2020年01月27日

日本語ウォッチング(28)  織田多宇人

花がよんぶ咲き
「花が四分咲き」とか「七分咲き」等と言ふ場合、ラジオ・テレビで「よんぶ」「ななぶ」と發音してゐる場合が多い。しかしこれは「しぶ」、「しちぶ」と言ふことに決まつてゐる。例へば「四十七士」「四萬六千日」をまさか「よんじゅうななし」「よんまんろくせんにち」とは言はないだらう。金錢や數字の聞き誤りを避ける場合は無理も無いが、いはば成語となつてゐるものは、ラジオ・テレビも正しい發音に從つてもらひたい。年齡等でも「よん」「なな」を使ふのは耳障りである。「四歳」は「しさい」と言ひにくいので、昔から「よっつ」と言ひ、「十四歳」は單に「十四」と言つた。「男女七歳にして」は成語なので「しちさい」である。「七歳」が發音しにくければ、「ななつ」と言ふ言ひ方が用意されてゐた。戰後、年齡に一々「歳」をつけて言ふやうになつて「四歳」、「七歳」のやうに發音がぎこちなくない言葉が生れて來た。柔道等の「段」も「七段」は「しちだん」だ。但し「四段」は「しだん」とは發音しにくいので、「よだん」と發音してゐるのが一般的のやうだ。
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2020年01月21日

數學における言語(53) プロティノス(W)

 菅野昭正氏(1930〜)については、ここであらためて詳述する必要はないと思はれますが、若い讀者のために簡單に紹介しておくと、氏は長い間東大で教鞭を執られてきた佛文學者で、ボードレール、マラルメ、ヴァレリーなどの多くの佛蘭西詩人の飜譯を手掛け、また近代日本文學の評論家としても幅廣く活躍されてきた方です。特に、佛蘭西サンボリズムの師表とも言ふべきマラルメ研究では、讀賣文學賞を受賞されてゐますが、以下の引用文も佛蘭西象徴派に多大の關心を持つ人の言葉として讀んで戴けたらと愚考します。

・初期の伊東靜雄の詩の宇宙は、古代ギリシャ人が思索した自然の原型のやうに、あるいはまたヘルダーリンが夢想した宇宙の根源のやうに、單純にしてしかも壯大であるところになによりも著しい特徴があるのだ。
・一種の形而上的自然。形而上的自然として内面に成立した自然宇宙の原型。そして、その原型をたずさへながら無限に彷徨する存在。『わがひとに與ふる哀歌』は、まさしくそのやうな地點を志向しながら構想された詩集なのである。

 プロティノスの「太陽と光」の哲學も、世界の根源の在り樣を志向する一種の形而上學であり、プロティノスは「かのものをわれわれは無限なるものと解すべきではある」が、しかしそれは「大きさとか數とかを盡くすことができないといふことによるのではなく、その能力は把握しきれない、といふことによるのである」(『資料集』161頁)と語ります。「有限數を、どんどん大きくすればそれが無限になる」と考へるのは、誤りだ、と私は繰り返し語つてきましたが、プロティノスも「大きさとか數を盡くすことができない」ことが、すなはち無限なのではないと主張して、彼の視線は「數」を認識する「能力」自體に向けられます。プロティノスは語ります−「生を越えてあるもの、これが生の原因である」。
「有限な生の延長線上に、生を越えてあるもの、すなはち無限」が存在するのではないのです。かうした發想こそが形而上學の形而上學たる所以で、靜雄詩の根底にも紛れもなく「生を越えてあるもの」への烈しい希求がありました−「わが痛き夢よこの時ぞ遂に\休らはむもの!」。

・ハイデッガーがみごとに解明してみせた通り、ヘルダーリンの歸郷とは「根源への近接に歸りゆくことである」(手塚富雄氏譯による)。伊東靜雄の歸郷もまた、まさしく根源への近接、彼みづからの存在の根源として意識した宇宙の原型的なイマージュの近接であることは、すでに繰りかへすまでもないはずである。
・「根源への近接に歸りゆく」苦鬪は、つまり、果敢なる一種のプラトニスムの行爲なのだ。少なくとも『わがひとに與ふる哀歌』の伊東靜雄は、そのやうなプラトニスムの意識を、かなり鋭敏に所有してゐたはずである。
・われわれの日常性の領域を假に球體と想定するならば、このプラトニスムがめざす部分は、球體の核をなす不可視の極微な點なのだと言つてもいいかもしれない。

 菅野氏の語る伊東靜雄のプラトニスムは、またプロティノスのそれであり、球體の核をなす不可視な極微の點とは、いはば太陽のモナド(ライプニッツ)とも言ひ得るのかもしれません。

・ともあれ『わがひとに與ふる哀歌』の伊東靜雄は、その一種のプラトニスム(あるいは深層のレアリスム)によつて、サンボリズムの系譜につながる詩人となつた。

 私は、伊東靜雄をサンボリストとして規定してみせた人を、菅野氏のほかに寡聞にして知らない。菅野氏も「日本の象徴詩人の系譜を論じた窪田般彌氏がなぜ伊東靜雄に論及しようとしなかつたのか、ぼくにはまつたく不可解である」とお書きになつてゐます。正に至言といふべきで、私たちは今なお伊東靜雄を誤讀してゐるのかもしれません。靜雄の詩的認識もまたネオプラト二スムなのです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 07:08| Comment(0) | 河田直樹

2020年01月16日

聲に出して讀みたい『萬葉集』、琉歌で詠まれた『歌聲の響き』。 原山建郎

4月1日に新元號「令和」が發表された以降、『萬葉集』關聯書籍の賣れ行きが良好であるといふ。口語譯附きロングセラー『声に出して読みたい日本語』(斎藤孝著、草思社、2001年)に載つてゐる萬葉集秀歌(短歌)から、「石ばしる…(卷八・1418)」と「うらうらに…(卷十九・4292)」を見てみよう。
(いは)ばしる(たる)()の上のさ(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも
石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成來鴨(※←萬葉假名)  (志貴皇子)
口語要約:瀧の上の蕨が萌え出る春になつた。
☆うらうらに照れる(はる)()雲雀(ひばり)あがり(こころ)(かな)しも、(ひと)りし思へば
宇良宇良尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆(※←萬葉假名)(大伴家持)
口語要約:のんびりした春の日、一人で物を思ふと何か悲しい。

高校時代、私が樂しみにしてゐた古文の授業に、『萬葉集』の諳誦があつた。日本固有の詩歌である和歌(やまとうた)には、短歌(5・7・5・7・7)、長歌(5・7・5・7……7・7)、旋頭歌(5・7・7・5・7・7)などがある。本來、前出の短歌2首には、「石ばしる…」に「()(きの)()()(よろこびの)()(うた)一首」といふ【題詞】(前書き、説明文)がついてゐる。同じやうに「うらうらに…」の【題詞】には「廿五日(天平勝寶5年2月25日)(つくれる)(うた)一首」と書かれてゐる。短歌(長歌)の歌意を考へる上で、その背景や作者の思ひを知るための【題詞】は重要な役目を擔つてゐる。
古文の授業では、【題詞】を含む長歌の諳誦をさせられた。たとへば、『萬葉集』卷一(ひとまきにあたるまき)(くさぐさの)(うた)の第2歌は、「國見の歌」だが、これを丸ごと全部、諳誦するのである。

【題詞】高市崗本宮御宇天皇代[息長足日廣額天皇]/天皇登香具山望國之時御製歌 (たけ)()(をか)(もとの)(みや)天皇(あめのしたしらしめししすめらみこと)(みよ)(おき)(なが)(たらし)()(ひろ)(ぬかの)天皇(すめらみこと)天皇(すめらみこと)()()(やま)(のぼり)まして望國(くにみ)したまへる時 みよませる(おほ)()(うた)
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎爲者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜國曾 蜻嶋 八間跡能國者
大和(やまと)には (むら)(やま)あれど とりよろふ (あめ)()()(やま) 登り立ち 國見をすれば 國原は (けぶり)立ち立つ 海原は (かまめ)立ち立つ (うま)し國ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和(やまと)の國は

長歌は5音と7音の句を3囘以上繰り返す形式の和歌で、しだいに5・7音の最後に7音加へて結ぶ形式になつていつた。日本人が大好きな「5・7調」のリズムで、諳誦する樂しみが倍加する。「聲を出して讀む萬葉集」は、勿論「舊假名遣(歴史的假名遣)」による諳誦、または詠唱である。
萬葉集が編まれた時代の大和言葉(やまとことば)の發音と今の時代の發音は異なつてゐる。たとへば、「私は」の「は」を、私たちはwa(ワ)と發音するが、奈良時代にはpa(パ)とfa(ファ)の間だつたのが、江戸時代に成つてwa(ワ)と發音するやうに成つたさうだから、「とりよろふ」を「とりよろう」と發音しても、奈良時代の發音を知らないからできない現代人にとつては、いたし方のない事である。
私が大學で學生たちに、「舊漢字や舊假名遣ひを使つて、文章が書けなくてもよいが、舊漢字舊かな遣ひで書かれた日本の古典(文字や文章)を讀める能力だけは養つてほしい」と訴へたのは此のことで、舊漢字からは文字の成立ちを、舊かな遣ひからは上古代日本人のエートス(心性)を感じとつてほしいものだ。ちなみに、【題詞】にある[(おき)(なが)(たらし)()(ひろ)(ぬかの)天皇(すめらみこと)]は、和風の()(がう)(崩御後のおくり名)で、所謂漢風の()(がう)は「舒明天皇」である。

歴史的假名遣ひといへば、沖繩(琉球)には、「琉歌(琉球方言による定型詩)」がある。『縄文語の発見』(小泉保著、青土社、1998年)によれば、原初の日本語(原繩文語)は、前期九州繩文語を起點に、一つのルートは九州全域に廣まると後期繩文語→九州方言に、もう一つのルートは南下して琉球繩文語→琉球諸方言(沖繩・奄美諸島)になつたと考へられてゐる。
ウチナーグチ(沖繩口)と呼ばれる沖繩方言で詠はれる「琉歌」は、漢字の音韻を借りた萬葉假名(やまとことば)による和歌から表現を借りながらも、沖繩方言の語彙を用ゐ、沖繩の音韻(リズム、抑揚)を生かして、獨特の詩歌として發展してきた。

1975年、今上天皇がまだ皇太子の時代、初めて沖繩のハンセン病療養所「沖繩愛樂園」を訪れたとき、その歸り際に入所者から、船出を祝ふ沖繩民謠「だんじよかれよし」の合唱が起きた。皇太子ご夫妻は眞夏の炎天下に立たれた儘、その歌聲をぢつと聞いてをられた。
そのときの光景を、皇太子殿下は沖繩學の(ほか)()(しゆ)(ぜん)さんに學んだ古謠集で琉歌作りを覺えた二首の琉歌(8・8・8・6の30音の琉球の定型詩)による()(うた)に詠まれ、さらに妃殿下(美智子皇后)は其の琉歌にふさはしい曲を附けた『歌聲の響き』(作詞・天皇陛下、作曲・皇后陛下)は、ことし2月24日、天皇在位30年の式典において、歌手の三浦大知さんの獨唱によつて披露された。

だんじよかれよしの歌声の響 見送る笑顔目にど残る(私たちの旅の安全を願ふだんじよかれよしの歌聲が響き、見送つてくれた人々の笑顏が、いつまでも私の目に殘つてゐます)/だんじよかれよし(ダンジュカリユシ)()歌声(ウタグイ)()(フィビチ)見送る(ミウクル)笑顔(ワレガウ)()()(ドゥ)残る(ヌクル)
だんじよかれよしの 歌や湧上がたん ゆうな咲きゆる島 肝に残て(私たちが立ち去らうとすると だんじよかれよしの歌聲が湧き上がりました。ゆうなの花が、美しく咲いてゐる島の人々のことがいつまでも心に殘つてゐます)/だんじよかれよし(ダンジュカリユシ)()歌や(ウタヤ)湧上がたん(ワチャガタン)ゆうな(ユウナ)咲きゆる(サチュル)(シマ)(チム)()残て(ヌクティ)

この「琉歌」もまた、萬葉假名(歴史的かな遣ひ)で詠まれた『萬葉集』の和歌(やまとうた)と同じやうに、ウチナーグチ(沖繩口)と云ふ歴史的假名遣ひで詠まれたすばらしい詩歌である。
やはり今上天皇が皇太子時代、初の沖繩訪問後に詠はれた2首の「琉歌」と、天皇即位後に歌會始で發表された2首の「御製」を、どちらも聲に出して詠唱してみよう。あと9日で「平成」31年は終はり、「令和」元年がくる。(※1)

ふさかいゆる 木草めぐる戦跡 繰り返し返し 思ひかけて(生ひ茂つてゐる木草の間を巡つたことよ 戰ひの跡にくりかへし思ひを馳せながら)/フサケユル キクサミグルイクサアトゥ クリカイシガイシ ウムイカキテイ
花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝に願て(花を捧げます 人知れず亡くなつていつた魂に對して 戰ひのない世を心から願つて)/ハナユウシヤギユン フィトゥシラヌタマシイ イクサネラヌユユ チムニニガティ
(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの(かた)き日を生きし人々
 (平成17年、歌會始、お題は「歩み」)
(まん)()(まう)に昔をしのび巡り行けば()(がた)(おん)()岳さやに立ちたり
 (平成25年、歌會始、お題は「立」)

(※1)本記事の初出:平成31年4月23日 ゴム報知NEXT 連載コラム「つたえること・つたわるもの」(64)
posted by 國語問題協議會 at 00:03| Comment(0) | 原山建郎