2023年06月02日

日本語ウォッチング(60)  織田多宇人

言語同斷
「そのやうな振舞ひは言語同斷」と書いてあつても、もつともらしく見えるが。「言語同斷」は正しくは「言語道󠄁斷」である。なほ「言語」だけなら「げんご」だが、言語道󠄁斷は「ごんごどうだん」と讀む。原義は言葉で述󠄁べる道󠄁が斷絶してゐると言ふことで、佛ヘでは「言葉で說明󠄁出來ない深奧の眞理」の意󠄁に、一般では「口で到底言ひ表せないこと」に、更󠄁にこれが轉じて「もつてのほか、とんでもないこと」の意󠄁に用ゐられる。これを「言語同斷」と書いたのでは、意󠄁味が分らなくなる。それこそ「言語同斷」等と書くのは言語道󠄁斷である。
posted by 國語問題協議會 at 22:40| Comment(0) | 織田多宇人

2023年05月28日

かなづかひ名物百珍(26)「おるき」/ア一カ

[をるき]"
 小惑星名(48482 Oruki)。高知縣の藝西觀測所󠄁で關勉氏が發見し、平󠄁成󠄁十八年に認󠄁定。土佐方言で「(いつもここに)居るから(頑張れ)」の意󠄁味で、公募により同年に決定した。その銓衡委員シンガーソングライター矢野絢子(高知出身)はテーマソング「おるき」を作曲した。
 「をるき」であるべきだが、固有名詞の取扱󠄁は難しいものがある。
posted by 國語問題協議會 at 22:40| Comment(0) | 高崎一郎

2023年05月19日

數學における言語(86) 中世~學論爭と數學−後期󠄁ヘ父哲學(X)

 前󠄁囘までアウグスティヌスのアポリアに關聯して、三宅剛一、渡辺慧、滝浦静雄の時間論を簡單に紹介してきましたが、この他にもデーヴィド・アレン・パーク著『時間の源流をたずねて』(藤井明彦、かよ譯。講談社)や植村恒一郎著『時間の本性』(勁草書房)などにも、アウグスティヌスの名前󠄁は見られ、大變興味をそそられる書物です。前󠄁者ではマックスウェルの量子論や相對性理論の時空について論じた附錄があり、また後者の本では、ゼノンの逆󠄁理やマクタガードのパラドックスが詳しく論じられてゐますが、少々內省的󠄁過󠄁ぎるアウグスティヌスの“時間”はこれくらゐにして、アウグスティヌスの死の50年後に生まれた後期󠄁ヘ父哲學の~學者ボエティウス(480頃〜524)に話を移します。
 ボエティウスはローマきつての名家の出で、世俗的󠄁には順調󠄁に出世して政務長官にまで昇りつめてゐますが、晩年は東ローマ帝󠄁國のユスティアヌス帝󠄁とローマの解放を試み、ために北イタリアの牢獄に捉へられて死刑を宣吿されてゐます。彼は日本では『哲學の慰め』の著者として有名ですが、獄中で書かれたのがこの著作でした。この本は“哲學”の化󠄁身ともいふべき“女~”との對話であり、私たちはこんにち『世界古典文学全集26』(渡辺義雄訳・筑摩書房)で讀むことができます。印象に殘つてゐる箇所󠄁はたくさんありますが、例へば第三卷九には
天と地の創造者よ、あなたは悠久の
秩序によって世界を支配し、時を永遠から
流出させ、静止したまま万物を動かす。
漂う質料をあなたに形づくらせたのは
外部の原因ではなく、あなたの身に具わる
最高善の一点の曇りもない形相である。

とあります。プラトンやプロティノスの影響を色濃く感じますが、“天と地の創造󠄁者”とは、言ふまでもなく“~”のことであり、イエス・キリストの~と言ふよりも、人間の力を越えた一種の“普遍󠄁的󠄁な超越~”のやうなものだと私は考へてゐます。實は私自身は、かうしたボエティウス言說には餘り興味はありません。ここで私が彼を取り上げるのは、彼の”算術󠄁、論理”に多大の興味關心を持つてゐて、『音󠄁樂ヘ程󠄁』、『算術󠄁ヘ程󠄁』、『幾何學ヘ程󠄁』、『天文󠄁學ヘ程󠄁』のやうな書物を表してゐる事實です。ただし、現在殘されてゐるのは、『算術󠄁ヘ程󠄁』(2卷)、『音󠄁樂ヘ程󠄁』(5卷)だけのやうです。また、ボエティウスはユークリッドやアルキメデスの數學書をラテン語に飜譯し、さらに新プラトン派の哲學者ポリフィリオス(232頃〜305頃)のアリストテレスの『範疇論』の手引書である『エイサゴーゲー(希臘語)』の註釋書もラテン語で殘してゐます。ここでアリストテレスの“範疇論”には深入りできませんが、興味のある方は拙著『古代ギリシアの數理哲學への旅』(現代數學社)の第6章(127頁〜186頁)を參照して頂ければ幸甚です。
 ボエティウスの『エイサゴーゲー』のラテン語譯は、中世の例の“普遍󠄁論爭”の切つ掛けとなつた本で、彼のラテン語譯は中世ヨーロッパの大學のヘ科書として長きにわたつて用ゐられたと言はれてゐます。
 ともあれ、ボエティウスが、ある意󠄁味“~學”そのものよりも~學問題を論ずる土臺としての“數學、論理”を重要󠄁視してゐたのは確實と思はれます。“~の存在”を“證明󠄁”するにはその“論證のための言葉、思考法の檢討”が必要󠄁なのは當然でせう。私が“中世の~學論卽”を“ユークリッドの平󠄁行線問題”に比して、それを一種の“科學論爭”と考へるゆゑんです。
 “~學”と言へばいかにも嚴めしいものに感じられますが、要󠄁するにそれは“存在してゐるこの世界がどうなつてゐるか?人は如何に生きるべきか?”といふごく素朴な問ひから生まれたものであることを、私は忘󠄁れたくはありません。その意󠄁味で、ボエティウスの關心が、プラトンやアリストテレス、そしてギリシア數學のさまざまな硏究に向かつたのは當然のやうに感じられます。     (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 21:30| Comment(0) | 河田直樹