2018年02月16日

きゃりこの戀(53)  水尾天皇 雁井里香

ねね:
 こんにちは。妹が模擬試験受けに行つてゐるので、かはりに私が来ました。オスカー先生を誘惑したら只ぢやおかないよつて凄まれましたけど。
オスカー:
 きゃりこさんがねねさんに凄むことがあるんですか。
ねね:
 よつぽど私のこと、怖い女だと思つてるんぢやありませんか。
オスカー:
 ねねさんは、男系天皇、女系天皇の区別はよく知つてゐますよね。
ねね:
 まあ、一応は。
オスカー:
 では、ねねさんとは、皇室の話をしませう。いつもの漢字やかなづかひの話はさておいて、歴史の話になりますが。ちよつと待つて下さいね。皇室系図を出しませう。-------------あれれ、あの本どこへ行つてしまつたかね。
ねね:
 なくてもいいですよ。憶えてますから。
オスカー:
 えッ。皇室系図覚えてゐるんですか。百二十五代、全部名前言へるんですか。
ねね:
 名前だけぢやなくて、系図全部書けますよ。
オスカー:
 ねねさん、きゃりこさんの本当のお姉さんですか。腹違ひとかぢやなくて。
ねね:
 きゃりこが聞いたら怒りますよ。
オスカー:
 女子プロレスラーつていふのは本当ですか。
ねね:
 本当ですよ。
オスカー:
 キャリアウーマンとか、ならうと思はなかつたのですか。
ねね:
 卒業してから研究室に残つて、国際政治史やつてゐたのですが、指導教官に往復ビンタ食はせて、大学院を中退しました。
オスカー:
 せ、せくはらされたの?。
ねね:
 セクハラされたんぢやなくて、教授が媚中派だつたんです。私が、「中国のチベット併合」といふ論文を書いたら、そんなもの発表するのは許さないと言ひ出したものだから、つい手が出ちやつた。驚いたのは、ほっぺた引っぱたいたのに鼻血が出たこと。往復するとき、鼻に当つたかな。でも、転職してよかつた。今の仕事の方が楽しい。
オスカー:
 おみそれしました。
 ところで、天皇の「諡号(しがう/おくりな)」についてですが。
ねね:
 神武・綏とかいふ、漢風諡号のことですね。
オスカー:
 うん。それに対して、「かむやまといはれびこのみこと」などは和風諡号と言ひます。
 漢風諡号は基本的には、漢字二字ですよね。
ねね:
 ああ。たとへば、後醍醐天皇みたいに、三字になる場合でも、「後」は別につけたものだから、基本的には「醍醐」といふ二字になるといふ意味ですね。「後」は「エリザベス2世」の「2世」みたいなものですね。
(雁井より:「聖武」は諡号ですが、「醍醐」は諡号ではありません。それについては次回説明します)
 でも、不思議なのは、「後水尾」天皇はをられるのに、「水尾」天皇はゐないんですね。
オスカー:
 「水尾」天皇は、清和天皇の異名なんですよ。
ねね:
 なるほどね。外人の先生からそんなこと教はるとは思はなかつた。ぢやあ、「後柏原」天皇がゐて、「柏原(かしはばら)」天皇はゐないけど、それも同じですね。「柏原」天皇つて、誰の異名ですか。
オスカー:
 桓武天皇。それから、「深草」天皇は仁明天皇。「後+異名」の諡号は戦国時代に多いのですが、元の「後」のついてゐない異名の諡号を持つた天皇は、平安時代の初期の方ばかりですね。もう一つ、「小松」天皇は光孝天皇のこと。
ねね:
 「後西」(ごさい)天皇がゐらつしやるけど、「西」天皇がどなたかの異名なのですか。
オスカー:
 平安初期に、兄弟三人が次々に即位しましたよね。
ねね:
 平城・嵯峨・淳和ですね。
オスカー:
 淳和天皇の異名が「西院」天皇でした。
 一方、江戸時代には、「天皇」といふ呼称はほとんど使はれずに、「後水尾院」「明正院」といふふうに、「院」をつけてゐました。ところで、江戸時代初期に、兄弟四人が次々に即位したのですが、これも名前覚えてゐますか。
ねね:
 明正(女帝)・後光明・後西・霊元ですね。あ、ここに後西天皇がゐるんだ。
オスカー:
 後西天皇は、「後西院」天皇の意味なの。平安初期の淳和つまり「西院」天皇は、子孫に皇位を伝へることができなかつた悲劇の天皇です。江戸時代の「後西」天皇が崩御した後、弟の霊元天皇が、「後西院」の諡号を選びました。霊元天皇は、自分の子孫に永久に皇位を伝へたかつたので、兄の子孫が皇位に即くことがないやうにと、不幸だつた「西院」を借りて、いはば、呪ひをかけた名前を与へたのです。
ねね:
 恐ろしい話。
posted by 國語問題協議會 at 18:57| Comment(0) | 雁井理香

2018年02月10日

數學における言語(22) ロックとライプニッツ[T] 河田直樹

 ライプニッツ(1646〜1716)の『人間知性論』批判である『人間知性新論』の草稿が完成するのは1705年ですが、この書はプロシア王妃ゾフィー・シャルロッテ(彼女の母親もまたライプニッツの擁護者)が、ライプニッツに「ロックの『人間知性論』をどう思ふか」と質問したのが一つの契機になってゐると言はれてゐます。
 『人間知性新論』はライプニッツ最大の著作ですが、實はこの書は遂に出版されることはありませんでした。といふのも、印刷を待つばかりであつた翌1706年、ライプニッツはロックの訃報に接し、「論争相手がすでに亡き者になつてしまつたからには、自分の批判に對するロック自身の再反論が不可能になつた」と考へ、それゆゑ彼はこれを公刊することを潔しとしなかつたからです。
 『人間知性新論』の日本語譯は、『ライプニッツ著作集』(工作舎)の4巻と5巻に収められてゐて、「第1部 生得的観念について、第2部 観念について、第3部 言葉について 第4部 認識について」の4部構成であり、「序文」を除き全編プラトンの對話篇を彷彿とさせる「フィラレートとテオフイル」の長大な對話(プラトンのそれに比べ、緊迫感やドラマ性に欠けるが)から成り立つてゐます。言ふまでもなく、「フィラレート(真理を愛する者=ロックの分身))」とは「phil(愛)」に由來し、また「テオフゐる(神を愛する者)(=ライプニッツの分身)」は「theo(神)」に由来する命名だと考へてよいでせう。ちなみに、數学には「theorem(定理)」といふ言葉がありますが、これは「(神の命題を)観想する」といふ意味に由來してゐると私は考へてゐます。
 さて、前置きが長くなりましたが、ライプニッツはロックの何のどこを批判したのでせうか。簡單に言つてしまへば、それは「プラトンによるアリストテレス批判」と言つてもよいかと思ひます。ライプニッツ自身、序文で次のやうに述べてゐます。
  「じつに『知性論』の著者は、私の稱贊するみごとな事柄を述べてゐるけれども、われわれ二人の樂説は大きく異なる。彼(ロック)の説はアリストテレスに近く、私の説はプラトンに近い。私たちはいづれも、この二人の古代人の説とは多くの點で隔たつてはゐるけれど。彼は私よりも通俗的に語るが、私は時としてもう少し秘教的かつ抽象的にならざるをえない。これは、ことに現代言語で書く場合、私にとっては有利ではない。だが二人の人物に對話させることによつて、つまり一方がこの著者の『知性論』から出た見解を述べ、他方が私の見方をそれに組み合はせていくことで、兩者の比較對照が、無味乾燥は注釋よりも讀者の意にかなふだらうと思ふ」。
 これで、『知性新論』の意圖ははつきりしたと思ひますが、さらにライプニッツは、次のやうに語ります。ここは、非常に大切と思はれますので、敢へてさらに引用を續けます。
  「われわれ二人の見解の相違は、かなり重要な諸テーマについてである。それは次の問題に關はる。魂それ自體は、アリストテレスや『知性論』の著者のいふやうな、まだ何も書かれてゐない書字板(tabula rasa)のやうに、まつたく空白なのか。そして魂に記されてゐる一切のものは感覺と經驗のみに由來するのか。それとも、魂はもともと多くの概念や知識の諸原理を有し、外界の對象が機會に應じてのみ、それらを呼び起こすのか。私は後者の立場をとる。プラトンやスコラ派さへさうであり、「神の掟は人の心に書き記されてゐる」(ローマの信徒への手紙2・15)、といふ聖パウロの一節をこの意味に解してゐるすべての人々がさうである。ストアの哲学者たちはこれらの原理をプロレープシスと呼んだ。すなわち根本的假定、豫め前提されてゐる事柄である・數學者たちはそれらを「共通概念」(Notions communes)と呼ぶ」。
 數學屋の私は、もちろんライプニッツの立場にたちますが、數學者たちの「共通概念」とは、ユークリッド幾何の「公準」や「公理」にほかなりません。             (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 10:43| Comment(0) | 河田直樹

2018年02月03日

歴史的假名遣事始め (三十八) 市川 浩

前囘提示しました問題、出版社の「賣れない」、SNSでの「難しい」、「讀めない」といつた感情論的攻撃への對處法を御一所に考へて見ませう。

先づこれらの攻撃が本當に事實に基いてゐるのか、考へてみるまでもなく、新かなで出版したら賣れる保障はありませんし、現在中學、高校での古文學習では歴史的假名遣の古典國文や學年別配當表以外の漢字が澤山交ざる漢文を學んでゐるといふ「事實」しかありません。第一正字・正かなの文を一瞥して「これは公用文作成の要領違反だ」などと摘發するやうな人でなければ、こんな攻撃は出來ない筈です。恐らくこの攻撃者の方は「俺は讀めるよ、だが一般の人に讀めない表記を強制する「知的エリート」ぶりに腹が立つてこのやうに發言するのだ」といふことではないでせうか。でも「これつて」ずいぶん「一般の人」の知的レベルを低く見てゐないでせうか。
これで反論は十分なのですが、放置してゐますと「賣れない」、「難しい」、「讀めない」が恰も實在の現象と誤解され、取返しのつかない結果となる恐れがあります。その一例が文語文や漢文に於ける新かなルビの跋扈です。「加へる」の語幹「加」に「くわ」と新かなでルビを振つて「くわへる」はをかしいと抗議しても、「今の人は「くはへる」では讀めません」、といふ答が返つて來ます。送り假名の「へ」に「え」とルビを振ればいいのではと言ふ人もゐる始末です。正字・正かなは「難しい」、「讀めない」が定著した結果でなくて何でありませう。
又一方で一旦かういふ「書込」があると、忽ち同調の書込が殺到、「炎上」して、正統表記を斷念せざるを得ない事例が多く語られてゐます。何だか戰時中の「敵性思想狩」みたいで嫌な豫感を抱かざるを得ません。特に此處には「新かな順應の善意の一般人」と「學識を誇示する惡意の舊かな知識人」とに國民をdivided controle「分斷支配」する戰略を感じさせるものがあります。これに就いては次囘にゆづりますが、是非皆さんも御考へ下されば幸ひです。
posted by 國語問題協議會 at 10:52| Comment(0) | 市川浩