2018年04月22日

「つたへること・つたはるもの」(25)   原山建郎

好かれる人物は「陽」、嫌はれる人物は「陰」のオーラを放つ。

和語(やまとことば)では、「心(シン)」を〈うら〉、「面(メン)」を〈おも(て)〉と訓讀する。上古代の日本人は、「心の内〈うら〉にある思ひ(心情)が、外〈おもて〉の顔(面)にあらはれる(表情)」ととらへた。昔から「目は口ほどに物を言ふ」「(心が)顔に出る・顔に書いてある」といふ言ひ方や、「心構へ」「気構へ」「面(つら)構へ」「身構へ」などの言葉もある。前の二つは心〈うら〉の抽象的な姿勢(スタンス)を、後の二つは面〈おも(て)〉の視覺的な姿勢(アピアランス)をあらはす。外見(見た目)から受ける印象をいふ「老舗らしい・店構へ」、「立派な・門構へ(家構へ)」などの常套句もよく使はれる。
また、「眞面目」といふ言葉を〈まじめ〉と讀めば【うそやいいかげんなところがなく、眞劍であること。本氣であること】だが、〈シンメンモク〉と讀む場合は【本來の姿・ありさま。轉じて、眞価】となる。〈シンメンモク〉とは、その人の目や表情(面・おもて)に本來の姿(心・うら)があらはれる、つまり裏〈うら〉表〈おもて〉のない(思ひと表情が一致する)ことであり、佛教用語では「眞面目(シンメンモク)を發揮する」と用ゐる。
「メラビアンの法則」によれば、コミュニケーションの受け手に與へる第一印象はどの要素によつて決まるかを米國人に質問したところ、半數以上の回答者が「見た目(外見)」のインパクトを擧げたといふ。
◎五五%が「見た目・仕草・表情などの視覺的要素」……見た目(ボディランゲージ)
◆三八%が「聲質・聲量・話すテンポなど非言語的要素」……話し方(呼吸・間の取り方)
●七%が「話の内容(言語的要素)」……話の中身(論理的思考)

かつて、私は日本人の「人間觀察」調査を行つたことがある。少し古い資料で恐縮だが、大學の授業や講演會で實施した「好かれる人物・嫌はれる人物のイメージ」アンケート(それぞれ思ひ浮かぶイメージを、三つづつ書いてもらふ)を紹介しよう。Aは年齡別(若者/高齢者)、Bは地域別(東京/沖縄)である。
A 若者/高齡者へのアンケート
◎二〇・二一歳の女子大生(武蔵野女子大學文學部三年生二〇四名、二〇〇三年調査)
★「好かれる人物」ベスト・イレブン(カッコ内は、3つづつ回答の構成比) @明るい人(五六・九%)/A笑顔が素敵な人(四四・六%)/Bやさしい人(四〇・七%)/C話を聞いてくれる人(三六・三%)/D氣配りのある人(二四・〇%)/E思ひやりのある人(二三・五%)/Fユーモアがある人(二二・五%)/G話し上手な人(一三・七%)/H自分の意見が言へる人・H氣が利く人・H誰でも裏表なく接する人(一二・三%)
★「嫌はれる人物」ワースト・テン @自己中心的な人(四四・六%)/A惡口(陰口)を言ふ人(三三・三%)/B暗い(陰險な)人(二四・〇%)/C人の話を聞かない人(一九・六%)/D自分勝手な人(一七・三%)/Eわがままな人(16・2%)/F約束を守らぬ人(一二・七%)/G嘘をつく人(九・三%)/H一方的に話す人(八・八%)/Iマイナス思考の人(八・三%)
◎六〇〜八〇歳代の高齡者(「敬老の日」の講演會參加者二一八名、二〇〇六年調査)
★「好かれる人物」ベスト・テン @明るい人(四〇・三%)/Aやさしい人(二五・七%)/B笑顔が素敵な人(二三・四%)/C話を聞いてくれる人・C思いやりのある人(一七・〇%)/E親切な人(一五・一%)/Fおだやかな人・F朗らか(陽気)な人(一一・〇%)/H嘘をつかない人・H清潔感のある(健康な感じの)人(九・六%)
★「嫌われる人物」ワースト・イレブン @暗い(陰氣な)人(三一・三%)/A惡口(陰口)を言ふ人(二二・九%)/Bわがまま(自分勝手)な人(二二・四%)/C自己中心(利己的)な人(一七・四%)/D意地惡な人(一四・九%)/E自分の話ばかりする人(一四・四%)/F自慢話ばかりする人(一〇・四%)/G怒りつぽい人(九・五%)/H嘘をつく人(七・五%)/I偉そうな(威張る)人・I不潔な(臭い・不健康な)人(七・〇%)
B 東京/沖縄への女性アンケート
◎東京の女性(東京都トラック協會婦人部+荒川區で二カ所の幼稚園教諭・園兒の母親、一九九四年調査、講演の事前アンケート)
★「好かれる人物」ベスト・テン @明るい人/Aやさしい人/B思ひやりのある人/C清潔感のある人/D笑顔が素敵な人/E話し上手、聞き上手な人/F誠實な人/G誰にでも親切な人/H氣配りがある人/I相手の立場で考へられる人
★「嫌はれる人物」ワースト・テン @自分勝手な人/A暗い(陰險な)人/B惡口(陰口)を言ふ人/C和を亂す人/D不潔な(きたない)人/E約束を守らぬ人/Fあたり散らす人/G優柔不斷な人/Hいやみな人/I他人の足を引つ張る人
◎沖縄の女性(沖縄タイムズ「女性倶樂部」での講演・事前アンケート、一九九五年調査)
★「好かれる人物」ベスト・テン @明るい人/A思ひやりのある人/Bやさしい人/C樂しい(愉快な)人/D笑顔が素敵な人/E好感が持てる人/F話しやすい人/G信頼できる人/H言葉を守る人/Iユーモアのある人
★「嫌はれる人物」ワースト・イレブン @意地惡な人/A不潔な(きたない)人/Bせこい(ケチな)人/C自己本位(自己中心)の人/D暗い人/E惡口(陰口)を言ふ人/F嘘つきな人/G短気な人/Hわがままな人/H思ひやりのない人/H一人で(自分だけが)しゃべる人

まず、「好かれる人物」のベスト3は、
若者=@明るい/A笑顔が素敵/Bやさしい、高齢者=@明るい/Aやさしい/B笑顔が素敵、東京の女性=@明るい/Aやさしい/B思ひやり、沖縄の女性=@明るい/A思いやり/Bやさしい、となつた。
ポイントは「明るい・笑顔・やさしい・思ひやり」であり、あたたかい(温かい・暖かい)「陽」のオーラ(氣)を身にまとつた人が、誰からも「好かれる人物」像である。
次に、「嫌われる人物」のワースト3は、若者=@自己中心的/A惡口(陰口)を言ふ/B暗い(陰險)、高齡者=@暗い(陰氣)/A惡口(陰口)を言う/Bわがまま(自分勝手)、東京の女性=@自分勝手/A暗い(陰險)/B惡口(陰口)を言ふ、沖繩の女性=@意地悪/A不潔(きたない)人/Bせこい(ケチ)、となつた。
ポイントは「自分勝手、わがまま、惡口・陰口、暗い・陰険・陰気」であり、つめたい(冷たい・暗い)「陰」のオーラ(氣)を周圍に放つ人が、みんなが敬遠する「嫌はれる人物」のイメージである。

ところで、会社の同僚や上司、仕事の相手先から、あなた自身は「明るい人」と見られてゐるだらうか、あるいは「自分勝手な人」などと思はれてゐないだらうか。次回のコラムでは、「嫌はれる人物」から「好かれる人物」に變身する、最強の「オーラ・チェンジ・マジック(「氣」を變へる魔法)」を紹介しよう。
(武藏野大學非常勤講師『ゴム報知新聞』電子版コラム (2016年10月11日)

posted by 國語問題協議會 at 13:21| Comment(0) | 原山建郎

2018年04月16日

日本語ウォッチング(1)  織田多宇人

言葉は時代とともに變化して行くと言ひますが、「ちよつとそれは無いでせう」と言ふケースが少なくないと感じます。いくつか例を挙げてみます。一緒に考へて行きませう。

一日中喧嘩のしつぱなし
「あの二人が結婚したら、きっと一日中喧嘩のしつぱなしよ」といふやうな言ひ方をテレビドラマで聽くことがあるが、「一日中喧嘩のしつぱなし」はをかしい。「・・・・・・・ぱなし(放し)」と言ふのは、始末をつけずにそのまま放つて置くことであり、「貰ひつぱなし」と言へば、お返しもせず一方的に貰つたまゝにしてゐると言ふことになる。
だから「喧嘩のしつぱなし」と言ふこともある譯で、喧嘩したまゝ仲直りもしてゐないと言ふ意味になる。ただ、上に「結婚したら」とか「一日中」とあるためにをかしいのである。おそらく「一日中喧嘩のしどほし」と言ひたかつたのであらう。「しつぱなし」と「しどおし」では意味が大違ひであり、「書きつぱなし」と「書きどおし」とは使ひ分けなければいけない。「國語國字」も「讀みつぱなし」にしないでください。

posted by 國語問題協議會 at 11:02| Comment(0) | 織田多宇人

2018年04月06日

數學における言語(24) ライプニッツとは 河田直樹

 ここまで數回に亘つてロックの言説をライプニッツのそれと比較しながら考へてきましたが、私の意圖は、私たちが混同しがちである「科學の言葉」と「數學の言葉」との相違、あるいはその志向性の決定的相違を分かつてもらふためです。もうお分かりだと思ひますが
  自然科學、社會科學の言葉=ロックの『人間知性論』の言説
  數學の言葉=ライプニッツの『人間知性論』の言説
といふ構圖が、私の頭の中にはありました。もちろん、私とて數學が自然科學や社会科學から多くの養分を得てきたことは承知してゐますが、數學の命題(定理)には必ず「證明(proof)」があり、この言葉は法律用語でもあって「證據、立證、反論に堪へる」といふ意味もあります。
 論理學者のゴットローブ・フレーゲ(1848〜1925)は、「算術の基礎」という論文の結びで「數法則といふのは、本來、外的な物には適用不可能である。それは自然法則ではない」と述べ、とは言へ、「數法則は外界の物について成立する判斷には適用可能である。つまり、それは自然法則の法則である。數法則が主張するのは自然現象間の結びつきではなく、判斷間の結びつきであり、そして判斷の中には自然法則も含まれるのである」と、誠に的確なことを述べてゐます。「數學」が「自然科學」ではないゆゑんです。數學の定理にはカール・ポッパーが考へた「反證可能性」の餘地は全くありません。實際、ユークリッド幾何の公理を「共通了解事項」として認めてしまへば、「ピュタゴラスの定理」は「絶對」であり、この命題は知性の「關係に關する判斷」なのです。これはまた、『エチカ』のスピノザの立場でもありました。
 ところで、『シンボル形式の哲學』の著者エルンスト・カッシーラー(1874〜1945)によれば、「ライプニッツは、フィレンツェの神秘主義者たちによつて形成されたプラトニスムから解放されてプラトンそのものを自らの眼で見た最初のヨーロッパの思想家」(谷川多佳子「最小表象の示唆」)であり、「フィッチーノやプロティノスのフィルターを通さずにプラトンの對話篇を讀むべきだ」と主張していたさうですが、「ローゼンタールの森」を逍遙してゐたニコライ學院時代の少年ライプニッツは「機械論的自然觀」に立脚した、どちらかといへば非プラトン的唯物論哲學に共鳴していたやうです。歳を重ねるともにライプニッツは「スコラ哲學」に親近感を抱くやうになり、やがて「無限と連続」の問題から「モナド(單子)」といふものを考へるようになります。そのあたりのいきさつをオルテガ・イ・ガセット(1833〜1955)は『ライプニッツ哲學序説』で次のやうに記してゐます―「ライプニッツの合理的情熱、存在の理解可能性、論理性への信頼は、數とか大きさといった純粋理論にきわめて近い領域で不合理の深淵を發見して、甚大な外傷的障害を蒙つたにちがひない。一再ならず、連續した構成要素の困難な迷宮(labyrinthus difficultatum de compositione continui)と呼ぶところについて不平をもらすのが聞かれる」と。
 この指摘はきはめて重要だと思はれます。ライプニッツは、一般に理性と合理の萬能の天才であり、「豫定調和」を説いた啓蒙の人だと思はれてゐるかもしれません。實際、ヴォルテールは小説『カンディード』でライプニッツその人と思はれるパングロス教授の樂天主義を陽気に茶化し、またスウィフトは『ガリバー旅行記』第3編の「ラガード學士院」の數學言語の製作者であるライプニッツとおぼしき學者に痛烈な皮肉を浴びせてゐます。しかし、「スコラ學」に親近感を抱き、あの不可解な「單子論」を書いたライプニッツは私にとつて啓蒙家ではなく、はじめから「一種の神秘主義者、非合理な魂の理解者」と受け止められてゐました。その意味では、「反省による主題化」によつて生まれたロックのあの餘りにも穩健な社會思想も私には奇妙であり、そのすぐ裏側にはいま私たちにはほとんど徒勞とも思はれる「無限や絶對」を媒介にした‘神學’論爭があつたはずです。私たちはさらに、中世から近世にいたる「無限思想の旅」に出てみる必要がありさうです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 12:53| Comment(0) | 河田直樹