2017年02月24日

へぇー、なるほど、さうか!うん。 原山建郎


何でもインターネット情報に答へを求める、いまどきの学生たちに、私が考案した「好奇心完結の法則」を勸めてゐる。
この法則には「へぇー(好奇心のきっかけ)、なるほど(概要の理解)、さうか(さらに調査、新發見)、うん(納得)」といふ4つのフェーズがある。
ふつうの好奇心の場合は、せいぜいが「へぇー、なるほど……」止まり、第一次情報をそのまま受け入れて終はりとなる。
しかし、本物の好奇心の場合には、さらなる調査を進めて、「さうか!」といふ新発見を手に入れる。最後は、好奇心の完結を表す納得の「うん」だが、その「うん」が次の「へぇー」につながるといふ仕組みだ。

たとへば、「鏡・かがみ」の語源」をインターネットで検索すると、次の情報が出てゐる。
漢字の「鏡」には、【「鏡」は<金+竟>。<竟>は「さかひ目」で、「明暗の境目を映し出す銅製(金色)のかがみ」】という説が、和語「かがみ」の語源には、【1、姿・形を映して、モノや面影を見る意味の影見(かげみ)。2、光の赫(かが)やきを見る意味の赫見(かがみ)】などが擧げられてゐる。

ここは、「なるほど」などと安易に妥協せず、念のため、「紙の本」に當たってみよう。
まづ、漢字の「鏡」を漢和辞典『字統』(白川靜著、平凡社、一九九四年)で引いてみる。
「鏡」は【形聲符(※音を表す文字)は竟(きやう)。古くは水鑑を用ゐたので、鑑にもその意がある。(中略)鏡の精妙なるものには破邪の力があるとされ】とある。さらに、「竟」は【會意。音と人に從ふ。(中略)すべてのことの終結、終了することを竟といひ】と、「鑑」は【形聲。聲符は監(かん)。監は盤に水を盛り、顔容を寫す形の字で、鑑の初文】と説明されてゐる。
(武藏野大學非常勤講師『出版ニュース』コラム Book Therapy no.21)

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2017年02月14日

きゃりこの戀(41) 敕撰集  雁井理香(かりゐりか)

オスカー:
 やあ、今日は寧々さんも來て下さつたのですね。
きゃりこ:
 難しいお話だから、あたしが賢いこと言ふと現実感がなくなるの。だから、雁井さんが派遣なさつたの。
 そこで、今日のお話ですが、和歌の「三大集」って、「萬葉集」「古今集」「新古今集」のことですよね。
オスカー:
 それは受験参考書業界が作り出した言ひ方なの。受験の古文の和歌はたいていこの三つから出ますからね。
 「三大集」ではなく、「三代集」といふのがあつて、「古今集」「後撰集」「拾遺集」のことです。
寧々:
 それは知つてゐたけど、「三大集」が受験参考書業界が附けた名前だとは知らなかつた。
きゃりこ:
 おねえちゃんが知らないなら、あたしが知つてるわけないね。それにしても、「三代集」って「萬葉集」も「新古今集」も入つてゐないの?!
オスカー:
 「三代」といふのは、三人の天皇の御代といふ意味ですから、「三代集」は「三代の敕撰集」を指します。「萬葉集」は敕撰集ではないから入つてゐないのです。
きゃりこ:
 あ、漢字が間違つてゐる。「敕」でなくて「勅」でせうが。やつぱり外人ね。
オスカー:
 正漢字は「敕」。「勅」は略字です。略字といふことは、間違つてゐるといつてもいいくらゐです。……………あれ、なんで泣きさうな顔してるの?
きゃりこ:
 「やつぱり外人ね」って言つたのが恥づかしいの。日本人で一番おバカな私が、外人で一番賢い人のこと馬鹿にして、結局あたしが間違つてゐたんだから、寧々に聞かれたら殴られるよ。わッ、聞いてるんだ。
寧々:
 ほほほ、きゃりこ。人聞きの悪いこと言はないのよ。
オスカー:
 きゃりこさんつて、素直な所がいいですよね。
 「効果」の「効」も正字は「效」ですからね。「収」も「收」。
きゃりこ:
 でも一つ言はせてね。この「きゃりこの戀」は、漢字が、正漢字と略字(新漢字)と混ぜ混ぜになつてゐるぢやありませんか。七行上の「殴」は「毆」が正字だと思ひますけど。
オスカー:
 そのとほりです。でもね、全部正漢字にすると、慣れてゐない人は讀みにくくて仕方がないといふことがあるのです。そこで、雁井さんは、わざと混ぜ混ぜにして、少しづつ読者になれていただかうといふ方針なんです。美女なのに謙虚な方なのです。あれッ、またお世辞言はされちやつた。
 そのかはり、假名遣は完全な歴史的假名遣を使つてゐます。これも讀みにくいといふ若者がゐますが、そこまでは妥協できないといふのが雁井さんの立場です。
 うんと売れたら、「現代仮名遣版」を出さうかとおつしやつてゐますが。
寧々:
 うんと売れたら、そんなもん出す必要なくなるんぢやありませんか。
オスカー:
 そこが「美人のジレンマ」なんですよね。
きゃりこ:
 「ジレンマ」は分かる。美人なのとは関係ないやうに思ふけど。グラビア載せるわけぢやあるまいし。まあ、お世辭なんだから、何とでも言ひな。
 でも、一応納得。ところで、「勅撰集」って、たくさんありましたよね。
オスカー:
 全部で二十一。あはせて「二十一代集」と言ひます。そのうち、鎌倉初期までに完成した八つを「八代集」(最後が「新古今集」)と言ひます。その後の「十三代集」は、和歌の時代が終つてしまつた後なので、餘り評価されてゐません。
 平安時代の中頃、まだ勅撰集が三つしかなかつた時代に「三代集」といふ言葉が出来ました。その後、四つ五つと殖えても「四代集」「五代集」とは言はないやうになつたのです。
きゃりこ:
 「山家(さんか)集」「金槐(きんくわい)集」つて、この前習つたよ。
オスカー:
 ああ、それは二つとも「しかしふ」ですから、「勅撰集」には入つてゐません。
きゃりこ:
 なになに、また厄介な言葉が出て來たね。「しかしふ」?「鹿死譜」? 鹿が死んだのを悲しんでる歌かな。それとも、「しかし不思議だな」の頭を取つたのかな。
寧々:
 「しふ」と書いて「しゅう」と讀むの。「私家集」。
オスカー:
 歌人が自分の作つた歌を集めたのが「私家集」。そのうち、西行のものが「山家集」、鎌倉三代將軍源實朝のものが「金槐集」。
きゃりこ:
 「槐」って、「かたまり」? 「金のかまたり」って、インゴットのことかな。あれッ、漢字なら「鎌足」だよね。
オスカー:
 「かたまり」は「塊」ですよ。「槐」は木の名前で「ゑんじゆ」のこと。街路樹によく使はれる木です。
きゃりこ:
 「金の槐」って、何のことだらう。
オスカー:
 「槐」は中國では「大臣」のこと。実朝は右大臣になつたから、この字を使つたの。「金」は「鎌倉」の「鎌」の「カネ偏」。だから、「鎌倉右大臣歌集」とも言ふの。
寧々:
 実朝って、右大臣になつてすぐに暗殺されたんぢやなかつたかしら。
オスカー:
 大臣になる五年前に作つた歌集です。最初から「金槐集」と呼んでゐたかどうか、はつきりしないのです。暗殺された後で、他の人が名付けたのかも知れない。
寧々:
 百人一首は、全部勅撰集から撰んだと言はれますが、定家の時代に存在してゐた勅撰集だから、八代集のことですね。その後の勅撰集からは選ばれてないのね。
オスカー:
 百人一首の成立は、十三世紀の前半と言はれてゐますから、新古今の成立(1205年)より後なのは勿論ですが、百人一首には、「新勅撰集」(1232年)からもかなり採用されてゐます。だから、それよりも後に成立したといふことが分かります。
きゃりこ:
 やあい、おねえちゃん、間違へた。
寧々:
 「新勅撰集」つて、ヘンな名前ですね。
きゃりこ:
 「古今集」があつて、「新古今集」があるんだから、「勅撰集」があつて「新勅撰集」があつても、何もをかしくないぢやない。
オスカー:
 さうぢやなくて、寧々さんの言ひたいことは、「古今集も新古今集も固有名詞。それに対して、『勅撰集』は(いはば)普通名詞なのに、『新勅撰集』は固有名詞なのがをかしい」といふ意味なんですよ。
きゃりこ:
 やつぱり私は馬鹿なんですね。親を怨むよ。
寧々:
 でも、オスカー先生。きゃりこって、かはいいでせう。
きゃりこ:
 オスカー先生。おねえちゃん、ここでは優しい姉を気取つてゐるけど、この前、あたしのこと「ウスバカ」つて言ふんだよ。「うすら馬鹿」のことかな、と思つたら、「ブスバカ」なんだつて。こんな意地悪な人と結婚したら大変だよ。アッ、痛い。
オスカー:
 はいはい。確かに「新勅撰集」つてをかしな名前ですね。でも、新たな勅撰集を作つてやらうといふ意気込みが感じられるぢやないですか。さきほど八代集で和歌の時代は終りだと言ひましたが、實は、そのすぐ後の「新勅撰集」は相当に評価されてゐます。藤原定家が一人で選んだので、定家の特色がよく出てゐて、學者によつては、勅撰集の中で一番いいといふ人もゐます。
 実朝の「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小船(をぶね)の綱手(つなで)悲しも」は「新勅撰集」から取つたのです。
寧々:
 「新古今」には実朝の歌は入つてゐないのですか。
オスカー:
 入つてゐません。「新古今」が成立したとき、実朝はまだ十四歳だつたのです。

posted by 國語問題協議會 at 09:58| Comment(0) | 雁井理香

2017年02月10日

數學における言葉(その9)口惜しい思い 河田直樹


 『ピタゴラスから電子計算機まで』という本を讀み耽つてゐた少年時代、何故日本の文字は數學で用いられないのだら、と訝つ記憶がある。成長するにつれて、それは結局ギリシア數學を起源とする西洋のやうな數理哲學の歴史がなかつたからだ、と朧に理解されてきたが、何とも口惜しい思ひを味はつた。この時以來私の中で日本語に對するある蟠りが生まれ、それは純粹數學を専攻するやうになつた今でも續いてゐる。

上の文章は、外山滋比古氏が主幹をしていた「ことば」という月刊誌に佳作として掲載された、「日本語と數學」といふ私の小論文の冒頭部分です。今から40年以上も前のものですが、いまもこの思ひに少しも變りはありません。いや、それどころか、この場でこのやうなことを述べてよいかどうか躊躇ひがあるのですが、殘念なことにこの口惜しい思ひは、日本の文學、ひいては日本文化そのものに對してさへも向けられるようになりました。
 私の讀書など偏頗でその量など高が知れてゐますが、それでも若さゆゑ虚榮心から一應、明治、大正、昭和の代表的「文學作品」に觸れ、また和歌や漢詩にもそれなりに接してきましたが、正直に言へばごく一部の例外を除いて心底面白いと感じたことはありません。
元來、私は「文學」といふものに不向きで、味盲だと感じてゐますが、「文學とか云ふものは真平御免だ」と啖呵を切つているあの物理學校出の數學教師「坊つちゃん」を讀んでも、さほど面白いとは思ひませんでした。『坊つちゃん』と言へば、いまでも小中學生の讀書感想文の推薦圖書なのでせうが、そこに描かれてゐる‘面白可笑しい’とされてゐる人間模様にはほとんど興味が湧きませんでした。
漱石は英國留學中に英文學ではなく、自然科學方面に多大の興味と關心とを抱くやうになりますが、少年の私が期待していたやうな「そもそも數學の論證精神とは」といつた野暮なことは、數學教師坊ちゃんに語らせようとは一切してゐません。數學少年の私が失望するゆゑんです。
そんな私が心から面白いと思ひ共感を抱いた初めての「文學作品(?)」は、高校3年の1學期の終業式の日に出會つた稲垣足穂の『少年愛の美學』でした。その後、私はタルホの作品を次々と渉獵することになるのですが、1969年『the high school life』に掲載された次の言葉は、私にとつて正に干天の慈雨でした。

 シナ人も僕は好みません。彼らが肉体派で、しかもそれ以外の何物でもないやうな存在だからです。唐詩選など僕には感覺的陶醉と二日醉的たは言だとしか思へません。シナの文章はレトリつクを出でず、老子だつて中身は處世訓であり政治家で、純粹な形而上學なんて夢にも思へません。千夜一夜の英譯者のバートン卿は、シナ人の古來最も淫靡な民族であることを注意してゐますが、たとへば赤眉の賊が歴代の墓陵をあばいて、水銀處理でコチコチになつた皇后様の遺體を引きずり出し、片つぱしから凌辱したといふことにしても、僕はそんなことをもつてエロティシズムと見ることはできません。なぜなら凡そ時空の無限に心をいたす程の者にあつては、エロスの倫理が準備されてゐなければならないのに、彼らにはそんな抽象性が微塵もないからです。

淺學非才の私如きがこんなことを言へば、多くの讀者からお叱りを受けるやもしれませんが、漢詩や日本の詩歌のほとんどは「二日醉的たは言あるいは嘆き節」に近く、また「孔子、老子、荀子、韓非」なども單なる「弟子へのお説教」だとは、私が高校時代の漢文の時間にいつも感じてゐたことでした。そのお説教と、第3回目で紹介した「彼らは、知識を純粋かつ不動なものとして弟子に押しつけず」という態度とは何といふ違いでせうか。シナ文化に多大の影響を受けた日本で、「論證としての數學」が生まれなかつたのは、當然なのかもしれません。
                   (河田直樹・かわたなおき)
posted by 國語問題協議會 at 16:19| Comment(0) | 河田直樹