2015年12月12日

きゃりこの戀(16) 鍛冶  雁井理香(かりゐりか)


オスカー:
 「鍛冶」は何と読むでせう。
きゃりこ:
 それくらゐ、私でも分かりますよ。「かじ」でせう。「屋」を付ければ「かじや」。
オスカー:
 正解ですが、欲をいへば、「かぢ」「かぢや」と言つて欲しかつたですね。
きゃりこ:
 私、さう言はなかつた?
オスカー:
 「かぢ」ぢやなくて、「かじ」つて言ひましたよ。
きゃりこ:
 発音、どう違ふの?
オスカー:
 発音は同じですよ。
きゃりこ:
 ぢやあ、私、「かぢ」つて言つたことになるぢやない。
オスカー:
 上に「かじ」つて書いてあるぢやないですか。
きゃりこ:
 わけ分からなくなつて來た。
オスカー:
 「鍛」の音読みは何?
きゃりこ:
 「たん」ですよね。「鍛錬」の「鍛」だから。
オスカー:
 「冶」の音読みは?
きゃりこ:
 「や」。「冶金」の「や」。
オスカー:
 ぢやあ、どうして、「かぢ」つて読むのですか。
きゃりこ:
 さういへば不思議だね。でも、「冶」のニスイをサンズイにして、「治」にすると、「ち」ですよ。濁れば「ぢ」だから、「かぢ」の「ぢ」なんぢやない?
 分つた。「冶」は《漢音》が「や」で、《呉音》が「ち」なんだ。
オスカー:
 想像力が働くやうになつたことは褒めて上げるけど、全くの間違ひです。
きゃりこ:
 んみゃッ。
オスカー:
 「鍛冶」を「かぢ」と読むのは訓読みなんです。
きゃりこ:
 んみゃッんみゃッんみゃッ。まさかそんなこと。
オスカー:
 訓読みらしくないことに気付いたのは偉い。三箇月前のきゃりこさんだつたら、「んみゃッ」ぢやなくて、「ぽわーん」だつたものね。
 でも訓読みなの。語源は「金を打つ」から、「かねうち」。keneutiの後ろのeが落ちて、「かぬち」。さらに訛つて「かぢ」になつたの。「鍛」が「か」、「冶」が「ぢ」といふわけではなくて、全体で「かぢ」です。五月雨を「さみだれ」、時鳥を「ほととぎす」と読むやうなものです。
 このやうに、漢字の熟語を訓で読むのを、表音派の人たちは不合理だといふのですが、何で不合理なのか何も根拠がないのです。まあ、あの人たちは、漢字と假名が1対1で対応してないといけないと思つてゐるらしいですね。
きゃりこ:
 私も、先生とお付き合ひするやうになつてから、伝統的な表記の方がよいと思ふやうになりました。
オスカー:
 ちよつと似た字で、「鍜治」と書くと、音読みはどうなると思ひますか。「鍛」ぢやなくて「鍜」、「冶」ぢやなくて「治」」ですからね。
きゃりこ:
 「鍜」はツクリが、「暇」「霞」と同じパーツだから、「か」と読みさうですね。
 「治」は「冶」とは違つて、サンズイだから、「ち」。あれッ。「鍜治」を繋げると、「かち」。濁れば「かぢ」になりますよ。何か不思議な気がする。
 (雁井より読者へ/「鍛」と「鍜」と別字ですから、間違へないで下さい)
オスカー:
 「鍜治」は「鍛冶」と字形が似てゐて、音読みは「かぢ」だから、混同が生じて、「鍛冶」も音読みだと思はれるやうになつたのです。
きゃりこ:
 「鍜治」つて、どういふ意味なの。
オスカー:
 「鍜」だけでは「しころ」と訓じて、兜の背後に垂れ下つてゐる防禦用の厚い布のこと。でも、「鍜治」といふ熟語は存在しません。存在しないけど、無理に書くと、「鍛冶」に似てるから混同したのです。といふより、「鍛冶」を間違へて「鍜治」と書いたことから混同が始まつたのでせう。
きゃりこ:
 なるほどね。誤解から発生した読み方なのか。
オスカー:
 「あたりまへ」といふ言葉がありますが、漢語にするとどうなるでせう。
きゃりこ:
 「当然」かな?
オスカー:
 そのとほり。昔の人が間違へて、「当前」と書いたのです。
きゃりこ:
 わ、わ、わかった。「当前」を訓読みして、「あたりまへ」といふ言葉が出來たのか。誤解から生じた言葉なんだね。言葉つて、面白いね。漢字が面白いのかな。
オスカー:
 そもそも言葉といふものが面白いのですが、漢字はまたその上に面白いと言へますね。
 人を引っぱたくことを「ちやうちやく」と言ひますね。
きゃりこ:
 うん。おねえちやんに、「おまへなんか、ちやうちやくしてやる」つて言はれたことあるよ。
オスカー:
 流石はねねさん。古典的な言葉が使へるんだ。
きゃりこ:
 おねえちやんのことあんまり褒めると、また私が暴れるよ。
オスカー:
 「打」と「擲」をそれぞれ音読みすると?
きゃりこ:
 「打」は「だ」。「擲」は「てき」。あ、「鍛冶」と同じで、理窟に合はないね。これも訓読み?
オスカー:
 いや、今度は音読み。「打」は《漢音》が「てい」、《呉音》が「ちやう」。
きゃりこ:
 でも、「だ」つて読むぢやない。まさか、「だ」が訓読みつてことはないよね。「唐宋音」とかさういふのかな。
オスカー:
 当らずといへども遠からずですね。辞書には「だ」は《慣用音》と出てゐます。
 《慣用音》といふのは、ふつうは日本で発達した読み方なのですよ。ところが、不思議なことに、「打」の字は現代北京語でもdaと読むのです。中国の特定の時代や特定の地域で使はれてゐた読み方が日本に入つて《慣用音》「だ」になつたのかも知れません。そこで、「打」を「ちやう」と読むのは、「だ」よりも寧ろ自然だと言へます。
 「擲」は《漢音》は「てき」。《呉音》は「ぢやく」。《慣用音》が「ちやく」。
 「投げ飛ばす・投げ付ける」がふつうの意味で、「投擲」(とうてき)などといふ熟語がありますね。でも、「擲」には、他に「鞭などで打ち叩く」の意味もありますから、「打擲」が「ひっぱたく」の意味になつてもいいでせう。
きゃりこ:
 似たやうな面白いの、もつと教へて。
オスカー:
 「杜撰」はどうでせう。
きゃりこ:
 「とせん」つて読みさうね。
オスカー:
 「づさん」つて読むの。
きゃりこ:
 えッ。あの「ねねはズサンな女だ」つていふ「ズサン」?
オスカー:
 ひよつとして、意味、間違へてない? 「きゃりこはズサンな女だ」だとよく分かるんだけど。
きゃりこ:
 そこまで言ふと打擲するよ。
オスカー:
 歴史の本に、「片桐且元は杜撰な男だつた」と書いてあつたね。
きゃりこ:
 片桐且元つて、豊臣家を救はうと思つて、家康と交渉した人でせう。本当に忠臣だつたのか、家康のスパイだつたのか、棺を覆つても、評価の定まらない人ですよね。-------------このセリフ、ねねに言はせたかつたでせう。おばかキャラの私が言ふとをかしいんだよね。
 私、小保方さんが好きなんだ。「をぼかたキャラ」にしてくれない?
オスカー:
 片桐且元は、実は、忠臣だつたかスパイだつたかといふ以前に、ただ無能の人で、事務処理能力に缺陥があつたので、失敗してしまつたと、その本の作者は言つてゐました。豊國神社の祭礼の日付を家康が無理に変更させたといふのも、且元が自分の決めた日を間違へるとか、忘れるとか、ズボラなことをしてゐたのに付け込まれたといふことです。
 弱々しいインテリといふイメージがあるけど、実はマッチョ。賎ケ岳の七本槍の一人だから、杜撰ではあつても、弱々しいことはないんですよ。

 でも、そのお話で、「杜撰」の意味がよく分つた。でも、「とせん」つて読みたくなるね。あ、さうか、鍛冶や打擲と同じなのか。
オスカー:
 「杜」は《漢音》が「と」、《呉音》が「ど・づ」。人の姓によくあります。
きゃりこ:
 「杜甫」つて詩人は知つてるよ。
オスカー:
 「撰」は《漢音》が「さん・せん」。《呉音》が「ぜん」。
 だから、「杜撰」は《漢音》だと「とさん・とせん」。《呉音》だと「どぜん・づぜん」にになる筈なんだけど、訛って「づさん」になりました。
きゃりこ:
 なるほど、訛つたのを《慣用音》といふのか。
 でも、どうして、「杜撰」がねねちやんみたいなズボラな人のことを指すやうになつたの?
オスカー:
 宋の国に、「杜黙(ともく)」といふ詩人がゐました。(唐の「杜牧」とは別人)
 この人が書いた詩は、韻とか平仄とかの規則に外れてゐることが多かつたので、「『杜撰』の詩はずぼらだ」といふことになつたのです。
きゃりこ:
 「杜撰」つて、「杜さんが撰んだ」つてことでせう。人の詩を撰んで詩集を編纂するほどの人だつたのでせう。ずぼらではできないのではありませんか。
オスカー:
 「撰」には「えらぶ」の外に、「詩文を作る」といふ意味があります。むしろ中国ではその意味で使ふはうがふつうです。杜さんの作つた詩が出鱈目だつたといふことなの。
きゃりこ:
 なるほど。鍛冶と打擲と杜撰と。漢字つて、勉強すればするほど面白くなるね。
 これから勉強して、学者にならうかな。きつと、「美しすぎる漢学者」つて呼ばれるだらうね。
オスカー:
 をぼちやんみたいにぽしゃらないでね。
posted by 國語問題協議會 at 14:28| Comment(0) | 雁井理香