2016年01月27日

【★はがき一枚の國語】 國語教科書第一頁の印象 @小學校   大喜多俊一

サイタ サイタ サクラガ サイタ
の一文は兩開き二頁に滿開のソメイヨシノの繪を背景に書かれてゐた。力タカナ先習
の時代のことであつた。一世代前の教科書は「ハナ ハト マメ」、一世代後は「アカイ アカイ アサヒ」、そのあとは「おはなをかざる みんな いいこ」という言葉から始まつた。
サクラ讀本の特色は、繰り返し表現を十數ページにわつて取り上げて、言葉の學習の方途の一端を示したことである。「コイ コイ シロ コイ」「オヒサマ アカイ アサヒガ アカイ」等。

「サクラ讀本」の世代もすべての人が八十歳を超えてしまつた。教科書が國定であつた時代、昭和八年から十年間用ゐられた「小學國語讀本 巻一」の最初の文言は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であつた。この短い文章が大方すべての児童に覺え込まれ、この鮮やかな印象のゆゑにか、この教科書は後々まで「サクラ讀本」と呼ばれてきた。
文言は單純なやうに見えながら、實はよく考へられた言葉であることは、大人になつてから理解されたことであつた。入學を喜ぶ一年生に與へられた季節の言葉が、生命の囘歸を自覺させるものであることがカギであり、それを簡潔な反復表現で表してあるところに鮮烈な印象を與へるのである。まことの逸文であると言はれよう。開巻第一頁というのは
いつまても印象に殘るものである。
posted by 國語問題協議會 at 21:16| Comment(0) | 大喜多俊一

2016年01月10日

きゃりこの戀(17) 楠木正行  雁井理香(かりゐりか)

きゃりこ:
 「くすきまさなり」つて、どんな人?
オスカー:
 ひよつとして、「くすのきまさしげ」ぢやない? 「楠木正成」つて書くんだけど。
きゃりこ:
 ああ、それ、それ。偉い人なの?
オスカー:
 後醍醐天皇に仕へた武将。忠臣の鑑(かがみ)つて言はれてゐる。
きゃりこ:
 なに、それ?
オスカー:
 主君のために命を捧げて悔いない人のことです。
きゃりこ:
 気持悪い。アイドルオタクの男の子みたい。
オスカー:
 福沢諭吉もそんなこと言つてる。「楠公権助(なんこうごんすけ)論」と言ひます。正成が天皇の為に死んだのは、下男の権助が金を落して、御主人に申し訳ないと言つて首をくくつたのと同じレベルなんだつて。
きゃりこ:
 さういふ人が歴史に名前を残すの?
オスカー:
 後醍醐天皇が、鎌倉幕府を打倒しようとして失敗して、笠置山(かさぎやま)に隠れてゐたときに、夢のお告げで正成のことを知つて、呼び出しました。正成が御前に出て、言つたセリフが太平記に書いてある。
 「正成一人いまだ生きてありと聞召(きこしめ)され候はば、聖運つひに開かるべしと思召(おぼしめ)され候へ」。
きゃりこ:
 先生のおかげでこのごろ文語少し分かるやうになつた。
 「私が生きてゐるとお聞きになつたら、天皇の御運もまた開けて来るとお考へ下さい」。
オスカー:
 おお、素晴らしい。
きゃりこ:
 でかい口叩く男だね。金を落して首をくくるやうなタイプぢやないと思ふけど。
オスカー:
 まあさういはないでよ。本当に言つたわけぢやないんだから。
きゃりこ:
 え? どういふ意味?
オスカー:
 太平記の作者が作ったフィクションです。笠置山で初めて拝謁を賜はつたのではなく、もつと前からの知り合ひだつたとも言はれます。
きゃりこ:
 なあんだ。ひよつとしたら架空の人物ぢやないの?
オスカー:
 いや、存在してゐたことは間違ひありません。後醍醐を裏切つた足利尊氏と、湊川(みなとがは)で戦つて死ぬまへに、櫻井の駅で息子の正行(まさつら)と別れる場面が、戦前は文部省唱歌になつてゐました。
 この息子の正行がまた、後醍醐の皇子の後村上天皇の忠臣になつたのです。僕はこの人が好きなのです。
きゃりこ:
 先生が男の人を好きだといふときは、みんな美少年なんだよね。やだ。
オスカー:
 んみゃッ。
きゃりこ:
 やだ、やだ。私の「んみゃッ」を使はないで。
オスカー:
ほんとに美少年だつたやうですけどね。もう一人北畠顕家(あきいへ)も後醍醐に愛された美少年。「神皇正統記」を書いた親房の息子。
 ところで、新田義貞といふ名前は聞いたことある?
きゃりこ:
 聞いたことはあるよ。どんな人か全然知らないけど。
オスカー:
 この人も後醍醐の忠臣。面白い逸話があります。
 義貞は、後醍醐の女官に心密かに恋をしてゐました。それを知つた帝が-----------------。
きゃりこ:
 分かつた。「俺の女に横恋慕するとは何といふ奴だ」と言つて切腹させたんだ。
オスカー:
 違ひますよ。「おまへの功績に免じて、この女を下げ渡さう」と言つて、その「勾当内侍(こうたうのないし)」といふ絶世の美女を義貞にプレゼントしました。
きゃりこ:
 女を物扱ひしてるんぢやないの?
オスカー:
 義貞は、勇猛な武将だつたのですが、美女をもらつてから、別れるのが厭になつて、戦争が弱くなつてしまひました。天皇の温情が薮蛇(やぶへび)になつたのです。
きゃりこ:
 まあ、死にたくなくなる気持も解るよね。
オスカー:
 楠木正行にも、新田義貞と似たやうな話があります。
 やつぱり、女官に恋をしました。そして、主上(後村上天皇)からその女官を下げ渡すといふ優諚(いうぢやう)を賜はつたのです。「優諚」つて、「優しいお言葉」。
 ところが、正行は御辞退して、歌を詠みました。
  とても世に永らふべくもあらぬ身の假(かり)の契りをいかで結ばむ
きゃりこ:
 どうせこの世には長く生きてはゐられないのだから、かりそめに愛しあふなんてことがどうしてできやうか。
オスカー:
 そのとほりです。
 二十歳の美少年が、きつぱりと恋を思ひ切つて、戦ひに出て行くのです。
きゃりこ:
 さういふ男の子ゐないかな。
オスカー:
 優ちやんがゐるぢやないですか。正行に負けないくらゐ誠実な子ですよ。この前、一緒に本屋に行つたら、大雨が降つて來たの。傘は優ちやんだけが持つてゐた。僕はJR、優ちやんは地下鉄。駅が離れてゐるの。コンビニで傘買ふとこまで付いて來てもらはうかと思ひました。そしたら、優ちやん、傘を僕の手に押し付けて、雨の中に走り出て行つたんだよ。かつこよかつた!
きゃりこ:
 優ちやんみたいなイケメンだと何をしてもサマになるんだよね。ブサメンがそれやると、かつこつけやがつて、つて笑ひ物にされるだけ。
オスカー:
 その次会つたとき、「風邪引いたらどうするんだ」と怒つてみせたんですよ。
きゃりこ:
 そしたら?
オスカー:
 「先生の為なら、命なんか惜しくありませんよ」 その言ひ方がまたさはやかだつた。
きゃりこ:
 先生のお返事は?
オスカー:
 「君がゐなくて、何の僕の命だ」。
きゃりこ:
 んみゃッんみゃッんみゃッんみゃッ。
 ちよつと、それ、英語にしてみて。
オスカー:
 Weren’t it for you, what on earth do you say I could live for?
 さて、正行。四条畷(しでうなはて)の戦ひに死にに行くとき、後醍醐天皇の廟のお堂(如意輪堂)の扉に鏃(やじり)で歌を刻みつけました。
  帰らじとかねて思へば梓弓亡き数に入る名をぞとどむる
きゃりこ:
 今度は全然解らない。頭の「帰らじとかねて思へば」からしてチンプンカン。最後に係り結びのあることだけは分かるけど。
オスカー:
 かねてから、もう帰つては来ないといふ覚悟ができてゐるのだから、死者の仲間入りをする人々の名前をここに記しておく。
きゃりこ:
 人々の名?
オスカー:
 この歌の後に百四十三人の部下の名前をずらっと彫り付けたのです。自分ばかりでなく、部下をちやんと立ててゐるのですから若いのに感心ぢやないですか。死ぬ前に同志に貧乏させながら祗園で遊び狂つた大石内蔵助よりよつぽど偉いですよ。
きゃりこ:
 さうか。大石内蔵助つて、悪い人だつたのか。
 でも、百四十三人の名前を簇で刻み付けるなんて、一日ぢや終らない作業だ。きつと只の伝説なんだ。
オスカー:
 その刻み付けた字は今でも殘つてゐるのですが、後世の人が伝説に合はせて捏造したといふ説もあります。
きゃりこ:
 やつぱし。
ところで、「梓弓」つて何?
オスカー:
 梓の木で作つた丸木の弓なのですが、語呂がいいので、全般に弓の美称として使はれます。そして、弓は「射る」ものなので、「入る」の枕詞に使はれます。後に「亡き数に入る」と「入る」があるぢやないですか。
 ところで、弓を射るときは、矢を弓の弧の右側に番(つが)へますよね。
きゃりこ:
 うん。それは解る。
オスカー:
 だから、ふつうに射ると、矢が右に逸れて行つてしまふのです。それを防ぐために、発射の瞬間に、左手で弓を微妙に動かしてやる。それを「弓返(ゆがへり)」と言ひます。
きゃりこ:
 わ、わかつた。それが頭の「かへらじ」と関係して来るんだ。
オスカー:
 偉い、偉い。それは感心した。
 かういふ関係のある言葉や、語呂の似た言葉をちりばめるのが「縁語」なのです。この歌、相当な名作ですよ。おぼえてね。
きゃりこ:
 名作といふことは、後世の人が作つた歌といふことね。
posted by 國語問題協議會 at 12:06| Comment(0) | 雁井理香

2016年01月01日

歴史的假名遣事始め (十三) 市川 浩

クイズで遊ぶ歴史的假名遣(十三)(平成二十八年一月一日)

先月のクイズ解答
云、会(會)、芸(藝)、転(轉) うん、くゎい・ゑ、うん・げい、てん
仮(假)、反、坂、叛 か、はん、はん、はん
卉、奔、焼(燒)、噴 き、ほん、せう、ふん
仏(佛)、私、広(廣)、弘 ふつ・ぶつ、し、くゎう、こう
(常用漢字字體表による字形では部分的共通性を考へることができなくなる例です。これからも明らかなやうに、字音假名遣は漢字に關する基本的な知識を學ぶ上でもきはめて重要であります)

新年明けましておめでたうございます。
「歴史的假名遣事始め」といふことで昨年一年間、歴史的假名遣の實例をクイズを通して見て來ました。複雜で面倒だと思はれる一方で、この假名遣には日本語書き言葉文化の歴史が詰つてゐると感じて下さつた方もいらつしやいませう。では何故このやうに貴重な文化財が廢止も同然となつてしまつたのでせうか。その事を正當化する「論理」に誤りはないのでせうか。「現代かなづかい」告示から七十年經過した今年は、この問題を考へて行きたいと思ひます。

練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

書き言葉は話し言葉の記録用に発生したものであり、言語の最重要成分である「声」の正確な記述が求められる。従つて表音文字である仮名が実際の発音の変化に従って変化して行くのは当然である。
posted by 國語問題協議會 at 14:00| Comment(0) | 市川浩