2016年03月05日

歴史的假名遣事始め (十五) 市川 浩

クイズで遊ぶ歴史的假名遣(十四)(平成二十八年三月一日) 市川 浩

先月のクイズ解答
書き言葉が大勢の人に語りかけるものである以上、現代人の殆どが読めない正字・正かなで表記すること自体読者を蔑ろにしている。すでに文語文も新漢字表記が一般的になっているし、仮名遣いも和歌等で新かなが使われているのは読者に親切という意味で当然の流れである。

この主張に對する反論の一例を擧げます。

この主張の致命的缺陷は「現代人の殆どが讀めない」を前提にしてゐることです。これは果して事實でせうか。高校全入がほゞ實現してゐる我が國の高校では、古文又は漢文の履修が必須となつてゐます。その上で「殆どが讀めない」とすれば、萬葉集も源氏物語も讀む人がゐないといふことになります。日本文化を代表する古典を讀む人が殆ど無くても善いと、少くとも是認して、正字・正かなの絶滅を容認してよいのでせうか。「いや正字・正かなを含めた日本古典の學術的研究は自由であり、禁止など考へてゐない」との反論もあるかもしれません。しかし國民の大多數が讀むこともない古典は最早文化ではなく、例へばアフリカ大陸開發のため、野生動物を根絶させて農地にしよう、但し動物の種は全世界の動物園で保存すれば良いと主張するやうなものです。結局この問題文のやうな文言の主は「私は讀めますよ、しかし一般の人達は…」といふ尊大な自稱インテリではないでせうか。明治大正期には「總ルビ」の啓蒙書出版が多くありましたが、勿論字音假名遣を含む歴史的假名遣によるルビを誰も困らずに讀みました。今日「加へる」の「加」に「くは」でなく「くわ」、「へ」に「え」と、まるで汚いものに觸れるやうなルビ振りを見ますが、國民を蔑視するものではないでせうか。

練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

「現代仮名遣い」や「常用漢字」に問題がないとはいえないにしても、少くとも内閣告示となった以上は、国民として従う義務がある。徒らに自説を主張して告示に従わないのは順法の精神に欠けるといわざるを得ない。
posted by 國語問題協議會 at 09:39| Comment(0) | 市川浩