2016年06月05日

きゃりこの戀(24)  大宰權帥   雁井理香(かりゐりか)

オスカー:
 前回、太宰府は、昔は大宰府だつた(「太」でなく「大」)といふ話をしましたよね。
 今日は、その大宰府の官職について、 説明しませう。
きゃりこ:
 「大宰帥(だざいのそち)」、「大宰權帥(だざいのごんのそち)」、「大宰大弐(だざいのだいに)」なんて官職があるんですね。
オスカー:
 古い時代には、「大宰」と書いて「おほみこともち」と読み、数カ国を統治する役職でした。吉備國にも大宰がをり、さらに、若干の國に、名は違つても同じやうな役職があつたといふことです。それが、律令制が整備されるに随って、すべてが国司に取つて代はられました。そして、九州の大宰府だけが残つたのです。
 さうなつてからの大宰府の役割はよく分つてはゐないのですが、大雑把に言つて、九州各國の国司を監督する立場だつたと言へさうです。
きゃりこ:
 その長官が「大宰師」だつたのですね。
オスカー:
 「大宰師」ではなく、「大宰帥」です。
きゃりこ:
 えッ、同じ字ぢやないの。----------------あ、「元帥」の「帥」なんだね。そしたら、「だざいのすい」つて読みさうなのに。まあ、「師」も「そち」とは読めないけど。
オスカー:
 「帥」の字の《漢音》《呉音》《慣用音》をいろんな漢和辞典で検索してみたのですが、辞書によつて書いてあることが違ひますから、学者もよく分つてゐないのでせう。「スイ」「ソツ」「ソチ」「シュツ」「シュチ」などの音があるやうです。
 意味は「率ゐる・軍の最高指揮者」といふことです。そして、「率」も「リツ」の外に「シュツ・ソツ・ソチ」と読みますから、関係のある字なのでせう。
 さらに、「師」にも、「将軍」の意味がありますから、実は「帥」「師」「率」は相通じる文字なのだらうと思はれます。
きゃりこ:
 ぢやあ、「大宰師」と書いても、まんざら間違ひではありませんね。
オスカー:
 それはやつぱり間違ひですが、いづれにしても、「大宰府の最高指揮官」といふ意味です。
きゃりこ:
 「大宰帥」は、国司を監督するのだから、国司より偉いのでせうね。
オスカー:
 うん。従三位相当官ですから、大納言・中納言と同じくらゐ偉かつた。国司は四位から五位ですから、文句なく大宰帥の方が偉い。平安時代には、皇族である親王が任命されるやうになりました。
きゃりこ:
 そんな偉い人が、都から九州まで行かされるのね。
オスカー:
 いや、さうではないのです。奈良時代には大伴旅人(おほとものたびと/家持の父)のやうな高級貴族でも、自分で九州まで赴任しましたが、平安の皇族となると自分は京都にゐたままで、現地に行ったのは、次官でした。
きゃりこ:
 「大宰大弐」つていふのが次官かな。「弐」があるから、二番目に偉い人なんぢやないかしら。
オスカー:
 それは当りなんだけど、「大宰權帥」も次官なのです。「權」といふのは、《漢音》は「くゑん」(けん)、《呉音》は「ごん」。日本で「ごん」と讀むときは、「副・準・補佐」みたいな意味です。權限が大宰帥と同じといふのがもともとの意味でせう。
きゃりこ:
 あ。百人一首では、藤原定家のことを、「權中納言定家」と書いてある。準中納言といふ意味ね。
 で、「大宰大弐」も「大宰權帥」も次官なのね。「權帥」の方が偉く聞えるけど。
オスカー:
 さうです。「權帥」のはうが偉いのです。次官が「權帥」になるか「大弐」になるかは、本人の持つてゐる位階(従四位など)によつて決まります。
 ところが、もう一つ、高級貴族が罪を犯して配流(はいる)されるときに、名前だけ「大宰權帥」とされることがあります。
きゃりこ:
 分つた! 菅原道真がそれなんだ。
オスカー:
 大當り。だから、「大宰權帥」といふのは、ちやんとした官職として赴任する場合と、罪人の異名である場合とがあります。もちろん、道真みたいな罪人である場合は、仕事はしません。そのときは、「大宰大弐」が実質上のトップになります。
 道真の約百年後に、藤原道長の甥姪である、伊周(これちか/974生)・中宮定子(977)・隆家(979)が悲劇の兄弟になります(数字は生年)。伊周と隆家は、罪を犯して流されました。伊周は大宰權帥、隆家は出雲權守(いづものごんのかみ)といふ名前で配流になつたのです。しかし、翌年には赦されて都に戻りました。もう藤原氏のトップ(氏の長者)としての地位は、叔父の道長に奪はれてしまつてゐましたが、ある程度の出世はできました。
 二十年後に、隆家は自ら希望して大宰權帥になつて、現地に赴任しました。つまり、兄が罪人として得た官職を、弟はちやんとした仕事をする官職として手に入れたのです。隆家は眼病を患つてゐたので、大宰府にゐる中国人医師の治療を受けることが目的でした。
 この人は剛毅な人だつたといふことです。大宰府に在任中に、「刀伊の入寇(といのにふこう)」といふ事件が起りました。1019年に満州女真族の海賊が北九州に攻めて來たのを、自ら勇敢に戦つて撃退したのです。
 その後、六十歳近くになつてから、また大宰權帥に任ぜられました。おそらく、大宰府が氣に入つて、自ら希望したのでせう。
posted by 國語問題協議會 at 10:03| Comment(0) | 雁井理香