2016年07月25日

きゃりこの戀(27) 邪馬台国と台風   雁井理香(かりゐりか)

きゃりこ:
 ヤマタイ國つて、ヤマイ國と呼ぶことがあるんですね。
オスカー:
 一時はその説が有力でしたが、今ではやつぱりヤマタイ國だつたらうといふことになりました。それが、そのまま「ヤマト」になつたのかどうかはまだ異論がありますが。
 ヤマタイの「タイ」とヤマイの「イ」が漢字が似てゐることから、厄介なことになつて來たのです。
きゃりこ:
 「ヤマタイ」つて、どんな漢字でしたつけ。
オスカー:
 「邪馬台」。
きゃりこ:
 「ヤマイ」は?
オスカー:
 「邪馬壱」。
きゃりこ:
 「台」と「壱」と似てないぢやない。
オスカー:
 ところが、正漢字で書くと、「台」は「臺」、「壱」は「壹」になるのです。
きゃりこ:
 なるほど、「臺」と「壹」なら似てますね。本當は「ヤマイ國」で、「邪馬壹國」と書いたのに、その「壹」を「臺」と間違へたために、「ヤマタイ國」といふ國があつたと誤解されるやうになつたといふわけか。
オスカー:
 さういふ説があつたといふだけのことですよ。今ではやつぱり「ヤマタイ國(邪馬台国)」が正しいといふのが通説になつてゐますからね。
きゃりこ:
 そもそも、「壹」(壱)つて、どういふ意味の漢字なの?
オスカー:
 数字の「一」のこと。
きゃりこ:
「一」 つて書けばいいぢやない。
オスカー:
 金額を書いたりするときに、間違ひを防ぐために、画数の多い「壹」を使ひました。
きゃりこ: 
 さうか。「一」だと、線を付け加へて「二」に改竄してしまふことができますものね。その「壹」の略字體(新漢字)が「壱」なのか。
オスカー:
 壹(壱)、貳(弐)、參(参)、肆、伍、陸、漆、捌、玖、拾。
きゃりこ:
 んみゃんみゃんみゃんみゃ。
 ちやんと、一から十まで揃つてゐるのね。
オスカー:
 昔、共産党書記長で、「野坂參三(さんざう)」といふ人がゐました。
きゃりこ:
 なるほど。「參」と「三」を竝べたのか。
オスカー:
 ところが、この人の本名は、「參●」といふのです。
きゃりこ:
 「さんくろまる」とでも讀むのかしら。「參九郎丸」かしら。あら、おばか言つちやつた。
オスカー:
 讀みはやつぱり「さんざう」です。
きゃりこ:
 クロマルを「ざう」と讀むんですか。
オスカー:
 馬鹿言はないで下さい。難しい漢字で、パソコンで打ち出しても文字化けするから、クロマルにしただけです。「弐」の「二」の部分を「三」にした漢字です。
きゃりこ:
 すごい字があるんだね。さすが、漢字つて、面白い。
オスカー:
 ところで、「臺」の方ですが、‥‥‥‥‥。
きゃりこ:
 これが「台」の正漢字なんですね。「台湾」も本當は「臺湾」と書くんだ。
オスカー:
 うん。ところが、台湾でも、「臺」の字があんまり面倒なので、「台」を使ふのがふつうになつてしまひました。その逆に、「湾」は正字の「灣」を使つて、「台灣」と書きます。
きゃりこ:
 「たいふう」も本當は「臺風」だけど、「台風」つて、書くのね。
オスカー:
 「たいふう」の語源はいろんな説があるのですが、「大風」(たいふう/現代北京語ではdafengですが、推定古代中国音はtaipong)をヨーロッパ人がtyphoonといふスペリングで受け取つたことから始まつたといふ説が分かりやすい。
 それを、中国では「颱風」といふ漢字で受けた。つまり、「大風」が輸出されてtyphoonになり、中国に戻つて來たときに、「颱風」になつたのです。
 そして、日本でも、中国でも、戦後は略字の「台風」を使ふやうになつたといふ次第です。
 でも、台灣を通つてやつて來るから「颱風」にしたといふ説もあります。
posted by 國語問題協議會 at 10:22| Comment(0) | 雁井理香

2016年07月17日

數學における言葉 その2 自分の杯で

前囘の最後に、鷗外の「杯」に登場する第八の娘の言葉を取り上げましたが、これは要するに「自分の器は大きくはないが、しかしそれでも自分の器で戴くほかはない」といふ決意表明です。これは數學と付き合つていく場合にはことのほか大切なことで、『現代數學への道』(ちくま學藝文庫)の著者中野茂男氏は、序章で數學の特徴として「T抽象性、U論理的嚴密性、V結論の説得性(明證性)、W廣い適用性」の4つを擧げられ、UやVに關聯して、次のやうに述べられてゐます。

中學生や高校生が自信をもつて「先生それは違ふでせう」といへるのは、數學だけだといつてよいくらいである。地理や歴史や、いわゆる暗記科目と比べればもちろん、どの學科と比べても、「わかり方・納得のゆき方」の質が違ふことに氣がつくに相違ない。

中野茂男氏(19231998)は、京都大學數理解析研究所の教授をつとめられた方で、「代數學、代數幾何學」を專門とされた數學者です。上記の本は、中野氏が昭和四十五年頃京都大學において主に文科系の學生を對象とした講義をまとめられたものですが、「數學はどの學科と比べてもそのわかり方、納得の仕方の質が異なる」といふ指摘は、大變示唆的です。實は、この理解の仕方の質の相違にこそ、數學といふ學問のよさがある、と言つても過言ではありません。

「富士山は靜岡・山梨縣にまたがる圓錐状の火山で、その標高は3776mである」とか、「天智天皇の子である大友皇子と同天皇の實弟大海皇子の間の皇位繼承をめぐる爭ひ、すなわち壬申の亂は672年に起つた」といつたことに對しては、「先生、それは違ふでせう」と言ふことは叶ひません。すなわち、言はれた通りに鵜呑みするほかはありません。

小學校の理科でヘはる「色リトマス紙が赤に變化すれば酸性、赤色リトマス紙がに變はればアルカリ性」といつたことに對しても、「先生、それは違ふでせう」と反論することはできません。小學生の筆者は、先生に「なぜ、さうなのですか」と質問したことがあり、「とにかくさういうものなので覺えておきなさい」と言はれて、がつかりしたことを思ひ出します。悲しいことに、ともかく、自分の、ではなく「先生の言葉の器」で、その言説の水を飲むほかはないのです。

しかし「數學」においては、こんなことはほとんどありません。kahadaen.jpg
たとへば、右圖のやうな圓の直径ABと、圓周上のA、B以外の點Pに對して、點Pがどこにあっても、常に∠APB=
90°である、といふことを、先生にヘはりはしますが、この言説を鵜呑みにする必要はありません。なぜなら、この言説(定理)を、自分の言葉で明證的に確認することができるからです。言葉をかへれば、その言説の水を自分の言葉の器で、飲み、味はつてみることが確かに可能なのです。これを、數學では「證明」と言いますが、同じ先生の言説でも、その理解の仕方は決定的に違ひます。これは、驚くべきことです。

數學をヘへてゐて、一番氣になるのは、「∠APB=90°」という結論を、富士山の標高や壬申の亂の年號、あるいはリトマス試驗紙の場合のやうに、ヘ師の言つた通りに、素直に覺えてしまふ生徒が多いといふことです。數學ヘ師としては、「それは違ふです、なぜなら・・・」と反論してほしいのですが、さういふ生徒には滅多に御目にかかりません。

『知の歴史』の著者ブライアン・マギーは「みずからの論理で現實を理解しようとした最初の哲學者たち」の仕事を、「人類の艶_史における畫期的な試み」と述べてゐますが、次囘はこれについて考へてみたいと思ひます。
(河田直樹 かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 23:12| Comment(0) | 河田直樹

2016年07月10日

きゃりこの戀(25)  尺貫法    雁井理香(かりゐりか)

きゃりこ:
 私のおばあちやん、変なものさし使つてるんだよ。目盛りはあるんだけど、数字がついてないの。学校で使つてるものさしと並べてみたら、目盛りの幅が全然違ふんだ。
オスカー:
 ああ、それは尺貫法のものさしなんですよ。
きゃりこ:
 尺貫法つてなあに?
オスカー:
 相撲のテレビ放送見てゐると、力士を紹介するときに、「青森縣出身時津風部屋 百八十五センチ百三十キロ」とか言つてるでせう。昔は「六尺二寸三十五貫」とか言つたの。
きゃりこ:
 聞いたこともない。
オスカー:
 昔からの日本の、重さや長さを表はす度量衡の単位です。
きゃりこ:
 一里、二里なら知ってるよ。
オスカー:
 おお、それです。一里は3973メートル。
きゃりこ:
 へええ。ちやうど4000メートルといふわけぢやなかつたのね。
オスカー:
 西洋の単位と日本の単位がぴつたり端数なしで対応するとは考へられないでせう。
きゃりこ:
 さういへばさうですね。
オスカー:
 1里は12960尺。だから1尺は30.3センチ。その下の単位が1寸で、3.03センチ。
きゃりこ:
 12960なんて、尺貫法同士の変換なのに、丸い数字ぢやないのね。
オスカー:
 1里=36町。1町=60間。1間=6尺といふふうに、十進法ぢやないから、丸くならないの。でも、12960つて、12で割り切れますよ。十二進法なら、丸い数字になるの。
きゃりこ:
 へええ、面白いね。
オスカー:
 きゃりこさん、日本文化に興味があるから、面白いつて言へるんですよ。ふつう若者に訊くと、「馬鹿馬鹿しい」つて言ひますよ。
きゃりこ:
 先生と雁井さんのおかげよ。でも、おばあちやんのものさし、どうして目盛りだけで、数字が書いてないのかしら。
オスカー:
 尺貫法が法律で禁止されてゐるからです。
きゃりこ:
 えええッ。「今日は一里歩いた」と言つたら、犯罪になるの。
オスカー:
 そこまで厳しくはないけど、お店で尺貫法のものさしを売つたら、「一年以下の懲役または五十萬円以下の罰金」といふ法律があるのです。
きゃりこ:
 尺貫法のものさし売つたら、刑務所に行くの?? 民主主義国家でそんなことがあるとは信じられない。
 --------------わ、わかつた! だから、おばあちやんの尺貫法のものさし、数字が書いてないんだ。
オスカー:
 さうなのです。数字を入れずに、目盛りだけだつたら、「ここからここまで、偶然に1尺になつただけで、作るときは模様のつもりで目盛りみたいな数字を入れただけですよ」つて、言ひ逃れができることになつてゐます。
 アッと驚くのが、一寸の所に1/33、二寸の所に2/33といふ目盛のついたものさしは合法だといふことです。
きゃりこ:
 何のことかしら。------------------------------さうか。分つた。1/33(三十三分の一)メートルが一寸なんだ。「この点は1/33メートルの目盛ですよ」と言へば、尺貫法を使つたことにはならないから、お咎めはないんだ。こりゃあ笑へるね。「たまたま一寸になつただけで、私たちはそのつもりではなかつたんです」と言へば逮捕されないんですね。
オスカー:
 1寸は0.0303030303メートルといふ循環小数になりますが、それを分数に直すと1/33メートルなのです。1尺はその10倍だから、0.3030303030メートル。分数だと10/33メートル。
 かういふものさしを(数字の入つてゐない目盛だけのものも含めて)、「尺相当目盛付ものさし」と言ひます。
 それにしても、尺貫法を使つてはいけないといふ戦後の政府の政策は、漢字制限、新假名遣と同じやうに、伝統文化に対する悪意を感じますね、
 もつとも、「尺相当目盛付ものさし」は脱法行為ではなくて、建築現場の必要などから、後になつて政府が認めたものなのです。
きゃりこ:
 終戦直後に制定されたのですか。尺貫法を使つちやいけないと決めた惡法は。
オスカー:
 直後でもないんですよ。尺貫法が廃止されたのは昭和三十四年。ものさしの販売が非合法になつたのは昭和四十一年。「尺相当目盛付ものさし」が合法になつたのが昭和五十二年。
 僕の知り合ひのお爺さんに、昭和四十一年に大学生だつた人がゐるのですが、テレビのニュースで面白い場面を見たことを記憶してゐるといふのです。
 テレビ記者が、町の文房具屋を回つて、尺貫法のものさしを売つてゐるのを見つけると、「これは売つてはいけないんですよ」と叱り付けてゐたんですつて。
マスコミ業界の人は、反権力とか言ひながら、実際は権力に乗つかつて威張り散らすのが好きなんですね。尺貫法のものさしを売るのは、反骨精神を持つてゐるからですよ。それを弾圧しようといふのは、恐ろしい全体主義思想です。
きゃりこ:
 「売つてはいけないんですよ」といふ言ひ方は、人間性の卑劣さを感じさせますね。
 さつき言つた「六尺二寸三十五貫」の「三十五貫」つて、何のこと?
オスカー:
 これは重さの単位。1貫は3.75キログラム。4貫は15キロつて憶えればいい。
きゃりこ:
 それも、端数があるんでせう。
オスカー:
 今度は端数がなくて、4貫はきつかり15キログラムなの。
きゃりこ:
 さつきの話からすると、偶然にきつかりになることはありえないんぢやないの?
オスカー:
 偶然ぢやないんですよ。
きゃりこ: 
 えッ。偶然ぢやないといふことは、メートル法に合はせたの? 昔からの単位なんだから、そんなことありえないやうに思へるけど。
オスカー:
 1貫の重さは、江戸時代からはつきりしてゐなくて、だいぶ曖昧だつたのです。明治時代に厳密に決めることになつたときに、メートル法を考慮して、4貫はきつかり15キロと決めたので、これは端数のない丸い数字になりました。
 そのお爺さんたちの頃は、小学校の算数では、「1.5貫と700匁(もんめ)を足すと何キログラムになりますか」なんて問題が出たさうです。もう戦後の話なんですけどね。
きゃりこ:
 「匁」つてなに?
オスカー:
 「貫」の下の単位で、1000匁が1貫なのです。
きゃりこ:
 ややこしい計算なんだらうね。でも、小学生にやらせるといふことは、そんなにややこしくはないのかな。
オスカー:
 ややこしいけど、それをやるから賢くなるんですよ。だから、昔の日本の子供は賢かつたの。
posted by 國語問題協議會 at 17:37| Comment(0) | 雁井理香