2016年10月09日

きゃりこの戀(31) 「禀」と「凛」   雁井理香(かりゐりか)

きゃりこ:
 先生のお好きな、凛々しい男の子・優ちやん。
 前に先生が「らりるれろ」で始まる言葉は、古代の日本語にはなかつたとおつしやいました。「凛々しい」は例外なのですか。
オスカー:
 それはちよつと問題があります。「留守」「論議」なんかはどう思ひますか。
きゃりこ:
 私、先生のおかげで(or雁井さんのおかげで)、馬鹿が直つて來たから、このごろはさういふの分るんですよ。
 「留守」「論議」は漢語だから、話が違ふのですよね。
オスカー:
 さうです。漢語が入つて來てから、ラ行音で始まる單語も出來て來たのです。
きゃりこ:
 ぢやあ、「凛々しい」もさうですね。でも、漢語なのに、活用して、形容詞になつてしまつたのね。「凛」つて、どういふ意味なの?
オスカー:
 もともとは、「寒い」「厳しい」「心が引き締まる」といふやうな意味でした。そこから、「凛乎」「凛然」といふ形が生まれました。
 部首が「氷」だから、「寒い」がすぐに分かるでせう。
きゃりこ:
 えッ。部首はニスイぢやありませんか。
オスカー:
 ニスイは氷を指すのです。「冷」「凍」「凝」なんか、氷に関係があるでせう。「凝」ももともとは、氷が固まる意味なのです。
きゃりこ:
 へえ。知らなかつた。「冶金」の「冶」も氷に関係があるの?
オスカー:
 「冶」は「金属を鎔(とか)す」の意味ですが、原意は「氷が緩んで柔らかくなる」なのです。
 ところで、「断乎」といふ言ひ方があります。「断然」もほぼ同じ意味です。
きゃりこ:
 「ダンコ」は「断固」でせう。
オスカー:
 「断固」は、戦後、文部省と国語審議会が国民に押し付けた嘘字です。日本人はさういふ独裁政治に反対しなければいけません。愚かな役人と学者たちが、「ダンコ」といふイメージは、何か固い感じがするから、「固」でも通じるぢやないかと荒唐無稽なことを思ひ付いたのです。
 「乎」と「然」は、副詞を作る語尾なのです。
 海がゆったりと波打つてゐる状態を「洋々と(して)」と言ひますが、「洋々乎」と言ひ換へられます。かういふ伝統的な言葉を大切にしたいですね。
きゃりこ:
 なるほど、終戦後の国語改革つて、よつぽど杜撰な人たちがでつち上げてしまつたものなのね。それにしても、副詞の語尾になるなんて、英語の-lyみたいですね。「乎」の字を当用漢字・常用漢字に入れなかつたといふことは、国語の文法に関する重要な要素を削つてしまつたといふことですね。
オスカー:
おお、おお。賢くなりましたね。
「乎(こ)」を「凛」の後に付けて、「凛乎」ができました。「凛然」と言つても同じ意味です。この「乎」を「凛」を重ねた「凛々」の後に付けると「凛々乎」になります。一字の「凛」だと独立しにくいのですが、二字の「凛々」だとそれがたやすくなつて、「凛々」ができました。「勇気凛々」もそれですね。心が引き締まるほどに勇気が出て來たといふこと。
きゃりこ:
 分かつた! その「凛々」が和語的になつて、「りんりんしい」を縮めて「りりしい」ができたのね。「勇気のある」がもともとの意味なのね。でも、イケメンでない人には使ひにくいね。
 それにしても、この言葉、女の人には使へないのかしら。
オスカー:
 三島由紀夫は、「凛とした女」が好きだと言つてゐます。「凛々しい」の外に「凛とした」といふ形容詞もあるわけです。
きゃりこ:
 「凛とした」は「い」で終つてゐないから、形容詞ぢやないでせう。
オスカー:
 学校文法で習ふ形容詞とは違ふけど、名詞を修飾するんだから、広い意味では形容詞です。
きゃりこ:
 なるほど、先生の臨機応変な考へ方が、私もこのごろ好きになつて來た。
 「凛とした女」つて、たとへば櫻井よしこさんなんかのことでせう。若い女にはあんまりゐないわね。私、さういふ女性に憧れるんだけど、おねえちゃんより喧嘩弱いから、凛とした女にはなれないね。
 あッ。ねねのこと、凛とした女だと思つてない?
オスカー:
 ノーコメント。
きゃりこ:
 「凛とした女」つて、英語で何といふのかしら。
オスカー:
 Nene looks like a handsome boy.
きゃりこ:
 なるほど、それでいいのか。でも、なんでNeneなのさ。
オスカー:
 新島襄は妻の八重のことをhandsome womanと評しましたが、ちやうどそんな感じですね。
 ハリウッド女優では、クロエ・グレース・モレッツがいい。バタフライナイフをお手玉にするのを見せつけてから、悪漢に投げつけるの。ナイフが男の腹に刺さる。そこに飛びかかつて蹴り倒すところが恰好よかつた。戀をしてしまつた。
きゃりこ:
 アッハッハ。また馬鹿を言つて。
 その場面、私も覺えてる。「キックアス」の第一部です。あのとき、クロエ・モレッツ、十三歳だよ。十三歳の女の子に戀をしたの?
オスカー:
 悪いことしたみたいに言はないでよ。
きゃりこ:
 十分悪いことです。アンゲリカに言ひつけてやる。
オスカー:
 ちよつと誤解があるんぢやないですか。クロエは、みんなが十三歳だつたと思つてゐるんだけど、撮影時は十一歳だつたんですよ。
きゃりこ:
 じ、じ、じふいつさい?!? 餘計悪いぢやない。
 確かに、中学生にしては幼いなあと思つてた。
でも、もう十八になつて、女らしくなつてます。あの人は本當に絶世の美女だね。
オスカー:
 女らしくなつたら、凛とした所が減つて、ちよつとがつかり。
きゃりこ:
 オスカー先生つて、正統派のイケメンみたいなのに、アブノーマルな所があるんですよね。ひよつとしてMぢやない?
オスカー:
 ノーコメント。
 ぢやあ、「凛」から離れて、ニスイのない「禀」はどうでせう。
きゃりこ:
 「禀議書」といふ言葉は知つてゐるけど、意味は分からない。
オスカー:
 今の日本でもよく使ひます。会社で、下の者が案を作成して、上に持ち上げて行くのを禀議と言ひます。係長、課長、部長といふふうに、上司がみんなハンコを押して承認するのです。そのハンコを押す書類が「稟議書」。
 現代中国語では、「禀議」といふ言葉はないやうですが、「禀」の字は、「上申する・上の人に報告する」の意味で使ひます。しかし、面白いことに、発音がbingなのです。推定古代中国音はrimなのですが。(中国語を勉強してゐる人は、rでなくlではなからうかと思ふでせうが、古代語の場合は現代語とは違ふと思つて下さい)
きゃりこ:
 「天禀の才」なんて言葉がありましたね。
オスカー:
 感心。感心。「てんりん」ではなくて、「てんびん」と讀むのを知つてゐましたね。時代によつて違ふ発音を、日本に取り入れた時の発音に準拠して讀むのかも知れません。
 「禀」はもともとは「与へる・授ける」の意味がありました。
きゃりこ:
 なるほど、「天禀の才」は「天が与へた才能」なんですね。
 すると、「禀」の字には、「りん」「びん」の二つの《音讀み》があるのですね。
オスカー:
 それがまたちよつと厄介なのです。「りん」と「ひん」なのです。生れつきの才能や性質のことを「禀性」と言ひますが、「ひんせい」と読みます。「天禀」のやうに、二字熟語の下の字になると、連濁して「びん」になります。
 また、上役に申し上げることを「禀申」と言ひますが、意味から考へると、「りんしん」と読みたくなります。でも、「ひんしん」なのです。
 「禀議」も、もともとは「ひんぎ」と讀んだのですが、今では「りんぎ」。
きゃりこ:
 ぢやあ、「りん」と讀むのは、よく先生がおつしやる《慣用音》なのかな?
オスカー:
 でも、推定古代中国音がrimなのが不思議です。といふことは、「りん」は日本独特の音ではないといふことになります。後世になつて入つて來たのが「ひん」だらうと思はれるのですが、中国での発音がどう変遷したかもよく分からないから、これはもうお手上げです。
きゃりこ:
 でも、先生の結論は分かるよ。こんなふうにややこしいから日本語は素晴らしいんだ、といふことですよね。
オスカー:
 よく分つてくれるやうになりましたね。
きゃりこ:
 先生、日本語がお好きなんですね。日本女性も好きになつたらどうですか。優ちやんは棄てて、きゃりこにしたら?
posted by 國語問題協議會 at 10:31| Comment(0) | 市川浩

2016年10月03日

歴史的假名遣事始め (二十二) 市川 浩

クイズで遊ぶ歴史的假名遣(二十二(平成二十八年十月一日) 市川 浩

先月のクイズ解答
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

SNSやインターネットのホームページ等で正字・正かな表記をすると、「読めない」という苦情が殺到して結局新字・新かな表記にせざるを得なくなつた事例をよく耳にする。既に70年の歴史を経て、今や歴史的仮名遣いが読めない世代が圧倒的多数を占める現在、主張は読んでもらって何ぼなのだから、先ず相手の懐に入る為にも新字・新かなに妥協はやむを得ない。

この主張に對する反論の一例を擧げます。

自分が正しいと思ふ理念や政策に世間の理解を得て實現する過程で、妥協も必要であることは勿論です。正字・正かなを標榜しながら新字・新かなで仕事をしなければならないとか、出版社の方針に從はざるを得ないとか、現時點では内閣告示で新字・新かなが公認されてゐる以上涙を呑んででも妥協せざるを得ません。
しかし自分自身或いは志を同じうするグループや團體の書類、ホームページや著作刊行物では堂々と正字・正かなを實踐することも亦同じ内閣告示前書きで公認されてゐます。とは言へ「讀めない」などのクレームに、正字・正かなへの理解と同意を克ち取るには賢明な説明と説得が必要です。その意味でこのサイトで本年連載中の「反論例」が御役に立てばと思つてゐます。「讀めない」に對しては、例へば「高校全入」の時代、古文の教科で歴史的假名遣に觸れて、古典に親しんだことを思ひ出してもらふなどが考へられませう。

練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

今や世界はグローバル化の時代、電脳空間での受発信技術の進化について行けない言語が消滅の運命にあること、日本語も例外ではない。仮名遣いは一応四十八の仮名が使えるので「正かな」が可能だとはいえ、一旦「新かな」で入力、変換してから、仮名部分を打ち直すのが実態では、言語生活的にも、能率面で話にならないし、漢字のコード化も既にユニコードで統一され終つており、無理に「正漢字」を使おうとしてPDF化すれば何百倍ものメモリーを食い、経済的にも成立たないなどという事実を考えれば、或る意味どうでもよい表記問題を蒸し返すべきではない。
posted by 國語問題協議會 at 12:10| Comment(0) | 市川浩