2016年12月03日

きゃりこの戀(36) いづれのおほんときにか  雁井理香(かりゐりか)

きゃりこ:
 源氏物語の書き出し、覚えてる人がゐたからびつくりしちやつた。
オスカー:
 優ちやんも憶えてますよ。僕も憶えてるけど。
 いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中にいとやんごとなききはにはあらぬがすぐれてときめきたまふありけり。
きゃりこ:
 やめてよ。日本人に恥掻かせないで。
オスカー:
 きゃりこさん、日本人だつたの?
きゃりこ:
 英語できないから、アメリカ人でないことは確かなんだけどね。
ところで、「いづれの御時にか」の所に、「か」があるから、文末は「ありけり」でなくて、「ありける」でないとをかしいですよね。
オスカー:
 ひやあ。きゃりこさんが係り結びを知つてゐるとは思はなかつた。
きゃりこ:
 それ以上言ふと暴力に訴へるよ。
オスカー:
 文のつながりだけを取り出して、餘計な副詞節とかを省略すると、「いづれの御時にか、すぐれてときめき給ふありけり」と縮まりますよね。
きゃりこ:
 「ときめく」って、何だらう。先生、私に會へる日は胸がときめくでせう。
オスカー:
 「ときめく」は現代語では「胸が躍る」ですが、語源は心臓の鼓動の音を「トキ」と聞き取った音から來てゐるらしい。現代語の「ドキドキ」みたいなもの。その清音の「トキ」は「時」の語源とも言はれます。心臓の鼓動の音が動詞化して、「ときめく」になつたといふのが有力説。
 異説では、漢語の「動悸(どうき)」が訛つて、「トキ」が出て來たとも言はれます。
 もう一つ、異説があつて、「とし(迅・利)」の連体形「とき」から來てゐるといふのです。言ひ換へれば「速い」といふことですね。
きゃりこ:
 なるほど、ドキドキドキって、心臓の鼓動が速くなるんだものね。
オスカー:
 一方、古語の「ときめく」は、「胸が躍る」と同語源とも言はれますが、「時流に乗る・もてはやされる」の意味。「とき(時)」が含まれてゐるから納得できるでせう。そのことから、宮中で女御や更衣が、「時めく」といふのは、帝の寵愛が甚だしいことを言ふやうになりました。
きゃりこ:
 ぢやあ、「どの天皇の御代でしたらうか、御寵愛の深い方がいらつしやいました」。
オスカー:
 でも「いづれの御時にか」と「か」があるんだから、疑問文になると思ひませんか。
きゃりこ:
 ほんとだ。でも、さうしたら、「どの天皇の御代に、御寵愛の深い方がいらしたのですか」といふ意味になりさうね。
オスカー:
 あるいは反語になつて、「そんな方はいらつしやらなかつた」にもなりますね。
 疑問や反語の場合は、係り結びが生じるのです。
きゃりこ:
 んみゃ、んみゃ、んみゃ。「ありけり」で終ると、「いらっしゃいました」といふ平叙文で、「ありける」なら、「いらしたのですか」といふ疑問文になるの?!
オスカー:
 「ありけり」の場合は、「いづれの御時にかあらむ」といふやうに、省略があつて、そこに係り結びが隠れてゐるから、「ありけり」の所までは、係りの助詞の影響力が及ばないのです。
 「なじかは知らねど心詫びて、昔の伝へはそぞろ身にしむ」つて歌、知つてる?
きゃりこ:
 ローレライだね。歌詞、そこまでしか知らないけど。ライン川の歌だつていふことは知つてる。
オスカー:
 ライン川に住む魔物が美しい女の子の姿をしてゐて、それが船でやつて來る人を誘惑して、川に沈めてしまふといふお話。
きゃりこ:
 ははは、男って、昔から馬鹿だつたんだね。優ちやんも、お母さんと同い年ののりピーの色香に迷つてるし。
 それにしても「なじかは」つて何? ライン川の異名を「ナジ川」といふのかな。あるいは蛙の一種かな。
オスカー:
 「蛙」の一種は「かじか」でせう。
 「なじ」は「なぜ」なのです。
きゃりこ:
 「なぜかは知らねど」。あ、さうか、そんな簡単な意味だつたのか。「なぜか分からないけども、心寂しくなって、昔の伝説がなんとなく身にしみる」といふわけね。
 「昔の伝説」って、---------わ、わかつた。「なぜか分からないけど、心が寂しくなつて、ローレライの伝説が心に浮んでくる」なんだね。「昔の伝へ」って、ローレライの伝説のことなんだ。
オスカー:
 見事な推理ですね。これも、簡単に縮めると、「なじかは知らねど、身にしむ」ですよね。
 さらに、現代語でも、「なぜか身にしみる」と言ひます。「なぜか」だけで、「なぜか知らないけれど」の意味になれますから、ローレライの歌詞も「なじかは身にしむ」といふだけでも通じます。
 そこで、「なじかは身にしむ」といふ文語の問題点なんだけど。
きゃりこ:
 うん。うん。「か」があるのに、係り結びしてないんだ。係り結びしたら、「なじかは身にしむる」になるはずだ。
オスカー:
 ところが、「なじかは身にしむる」といふと意味が違つて來る。
きゃりこ:
 「どうして身にしみるんだろう」といふ疑問。あるいは、「どうして身にしみるはずがあらう。身にしみはしない」という反語になつてしまふね。
 わかつた。源氏物語の冒頭と同じで、「身にしむ」は平叙文、「身にしむる」は疑問文なんだ。
オスカー:
 つまり、「なじかは知らねど」と言つてゐるけど、「なじかは斯のごとき」(なぜこんななのかは知らないけれども/なぜ「心詫びる」かは知らないけれども)の意味で、「か」に対応する結びの連体形は「ごとき」なのです。それが省略されて、係り結びが流れてしまったので、「身にしむ」の所はもう係り結びの影響を受けていないといふわけ。
posted by 國語問題協議會 at 21:04| Comment(0) | 雁井理香