2017年03月31日

きゃりこの戀 (44) 雁井理香

 
寧々:
 三囘続けて寧々の登場です。
オスカー:
 次囘はまた易しくなるので、きゃりこさんだけ。
きゃりこ:
 おばかでかはいいきゃりこ。(小聲で)ねえ、オスカー先生、ひよつとして寧々のモデルって、雁井さんぢやない? 性格惡いのかな。
寧々:
 今日は、字音の話を伺ひたいのです。
きゃりこ:
 あッ。字音って、漢字の《音讀み》のことだつたよね。
寧々:
 字音って、中國語の發音の眞似をして作つたんですよね。mountainを表す「山」は中国語で「サン」だから、日本語でも「さん」と読んだ。これが《音讀み》。そして、日本語では昔から、mountainのことを「やま」と言つてゐたから、「山」の字も意味を取つて「やま」とも讀むやうになつた。これが《訓讀み》。
 「開」も中國語でkai。だから、《音讀み》は「かい」。意味はopenといふ動詞だから、日本語の「ひらく」に相當する。だから、「ひらく」が《訓讀み》になつたの。
きゃりこ:
 さうだつたのか。さういふこと全然知らなかつたよ。漢字が中国から来たことは知つてゐたけど、意味だけ中国語と同じで、読み方は全部日本で作つたと思つてた。
 学校でそんなこと、全然教へてくれなかつたよ。
寧々:
 小学校で教はつたの。あんただけ覚えてないの。
 でも、不思議なのは、中國語の発音と《音讀み》が相当にずれてゐること。今、「山」は「サン」と言つたけど、ピンインはshanです。「シャン」と発音するのよね、中國では。
きゃりこ:
 「ピンイン」って、何?
寧々:
 中国の正式なアルファベット表記の書き方よ。基本的に英語の真似をしたとは言へるけど、xを「し」、qを「ち」と讀んだりして、中國語の複雑な発音体系をうまく表すやうになつてゐる。
 中國語の発音と《音讀み》のズレって、ズレが原則かと思ふほどに違ひますよね。「難」nanは《音讀み》でも「なん」だから一致してる。「相」xiang(しぁん)が「さう」になるのはまだ近い。でも、「金」jin(ジン)が「きん」になると附いて行けない。「陸」はlu(ルー)なのに、《音讀み》は「りく」。「區」qu(チュィ)が「く」。取り入れるとき、ずゐぶんいい加減なことしたんぢやないかしら。
オスカー:
 寧々さんともあらう人が、そこはちよつと勉強が足りませんね。
寧々:
 きゃり。何笑つてるの。
きゃりこ:
 わ、わらつてないよ。
オスカー:
 現代北京語とは相当にずれてゐるけど、古代中國語の推定音とはピタリと一致するんですよ。漢字が日本に入つて來た頃の中国語の発音(地域によつて違ふから大雑把な言ひ方ですが)を《隋唐音》と言ひます。今、寧々さんの擧げた漢字を見てみますと、《隋唐音》では、相sang、金kim、陸rik、區koですから、現代北京語よりはずつと《音讀み》に近いでせう。ついでに、「山」も現代北京語ではshanだけど、《隋唐音》ではsanです。
きゃりこ:
 そんな昔の発音がどうして分かるの。
オスカー:
 昔の本に発音が出てゐるのですよ。
寧々:
 さうか。それが「反切法(はんせつはふ)」なのか。
オスカー:
 さうなんですよ。難しい漢字の発音を表すために、二つの易しい漢字を組み合せて表記するのです。「東は徳と紅の切である」と言ひます。この三つの漢字、「東」「コ」「紅」の《隋唐音》がそれぞれtong, tok, hongであることから来てゐます。つまり、「東」tongは「コ」tokのt-と「紅」hongの-ongを合体させた発音だといふことです。六朝時代の「韻書」といふ辞書に詳説されてゐます。
寧々:
 六朝つて、隋や唐よりも前の時代ですよね。
オスカー:
 そんな昔から、こんなに精密で学問的な研究が進んでゐたんです。もっとも、古代インドの言語學の影響を受けてのことのやうですから、言葉の研究はとても古いんですね。
寧々:
 自然科学だけは、昔と今では大違ひですが、人文科学、社会科学は、二千年前でも現代でも、さうは變らないのですね。といふより、純粋な論理的思考能力は、昔の人も現代人より少しも劣る所がなかつたのでせうね。
posted by 國語問題協議會 at 13:57| Comment(0) | 雁井理香

2017年03月25日

むだと隙間と遊び、奚仲造車の公案。 原山建郎


『松岡正剛の千夜千冊』で見つけたセイゴオ語録がある。
【文化といふものは「むだ」と「隙間」でできてゐます。経済といふものは「むだ」と「隙間」を殺さうとしてゐます。それを埋めてゐるのが本といふもの……】
(『千夜千冊』一四八六夜)
昨今、アベノミクス、株價の亂高下など、主役は經濟問題だが、「部分最適(コスト削減)ばかり求めてゐると、全體最適(ワークフロー)が破綻する」といふ警句も何のその、なるほど「むだ」と「隙間」をきらふ効率第一主義が闊歩してゐる。

まてよ、醫療現場でも同じことが起きてゐる。そこで、文化を「からだ」に、經濟(効率主義)を「標準的西洋醫學(現代醫學)」に、本を「東洋物療(東洋醫學的物理療法)」に讀み替へた醫療バージョンの「セイゴオ語録」を作つて、鍼灸専門學校の授業で配布した。
『からだといふものは「むだ」と「隙間」でできてゐます。標準的西洋医学といふものは「むだ」と「隙間」を殺さうとしてゐます。
それを埋めてゐるのが東洋物療といふもの……』
ちやうど、一年生は解剖學のテスト直前で、身體体各部の骨の名称やその機能を勉強中。最初の『からだというものは「むだ」と「隙間」でできて……』あたりで、おやつという顔をする。
さらに、からだには「むだ」と「隙間」だけでなく、「遊び(ゆとり)」も「ため(溜め)」も「間(間合ひ)」もある、からだの理想形は「しなやかな臨機應變」と話すと、やつとそのニュアンスが通じたやうだ。

女優のアンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子診斷で乳がん發症率が八七パーセントの確率と判明し、豫防的乳房切除を選擇した。それでも五パーセントの發症率は殘る。とことん「むだ」を排し、「隙間」を埋める、いかにも現代醫學的な發想だ。
 
『無門關』第八則に「奚仲造車」がある。書き下し文では、【月庵和尚僧ニ問フ、奚仲車ヲ造ルコト一百輻、兩頭ヲ拈却シ、軸ヲ去却シテ、甚麼邊ノ事ヲカ明ラム】となる。これをざつと譯せば、月庵和尚が修行僧に公案を出した。奚仲といふ男が車(一輪荷車)をたくさん造つた。そして完成した車輪の止め具を捻じ切り、車軸を抜き取つて、何かを探してゐる。奚仲はいつたい何をさがしてゐるのか、さあ答へよと、月庵和尚はいふ。
奚仲はいつたん完成させた車を、バラバラの部品に分解して、「車はどこにあるか」とさがしてゐる。止め具の中にも、車輪の中にも、車は見當たらない。さて、本当の車はどこにあるのか、といふ公案(質問)である。
いくつか答へを考へてみる。おそらく、まず車を造らうと考へた奚仲の發意に、さらに心に描かれた一輪車のイメージ(設計圖)に、實は本當(理念)の「車」が存在する、と解釋釈することもできるだらう。

連なつて動くからだを観察しようと、教室中央に運んだ診察臺に學生を一人あほ向けにして、「足指もみ」を行なつた。
足の指を、親指から一本ずつ順番に押し回しもみする。お腹がゆれる、顔の皮膚がゆれる、兩肩もゆれる、兩側に垂れた手先もゆれる。足指からの小さなゆれが、からだ全体に小波のやうに傳はつていく。
「あつ、肩が樂になつた、あごもゆるんだ。からだ全体がぽかぽかしてきた。氣持ちがいい」
足指をもまれてゐる学生の表情がどんどん變はつていく。もんでゐる私の親指にも、氣持ちのよさがやさしく傳はる。

東洋物療のアドバンテージは、患者を診る手、治す手、手當てを施す、生きた手にある。
一本の足指をもむだけで、全身にゆるみが傳はり、眠りから覺めた六十兆の細胞たちの會話が始まる。
(武藏野大學非常勤講師『出版ニュース』コラム Book Therapy no.18)
posted by 國語問題協議會 at 18:59| Comment(0) | 原山建郎

2017年03月19日

きゃりこの戀(43) 字音の不思議 雁井理香

 
寧々
 三囘続けて寧々の登場です。
オスカー
 次囘はまた易しくなるので、きゃりこさんだけ。
きゃりこ
 おばかでかはいいきゃりこ。(小聲で)ねえ、オスカー先生、ひよつとして寧々のモデルって、雁井さんぢやない? 性格惡いのかな。
寧々
 今日は、字音の話を伺ひたいのです。
きゃりこ
 あッ。字音って、漢字の《音讀み》のことだつたよね。
寧々
 字音って、中國語の發音の眞似をして作つたんですよね。mountainを表す「山」は中国語で「サン」だから、日本語でも「さん」と読んだ。これが《音讀み》。そして、日本語では昔から、mountainのことを「やま」と言つてゐたから、「山」の字も意味を取つて「やま」とも讀むやうになつた。これが《訓讀み》。
 「開」も中國語でkai。だから、《音讀み》は「かい」。意味はopenといふ動詞だから、日本語の「ひらく」に相當する。だから、「ひらく」が《訓讀み》になつたの。
きゃりこ
 さうだつたのか。さういふこと全然知らなかつたよ。漢字が中国から来たことは知つてゐたけど、意味だけ中国語と同じで、読み方は全部日本で作つたと思つてた。
 学校でそんなこと、全然教へてくれなかつたよ。
寧々
 小学校で教はつたの。あんただけ覚えてないの。
 でも、不思議なのは、中國語の発音と《音讀み》が相当にずれてゐること。今、「山」は「サン」と言つたけど、ピンインはshanです。「シャン」と発音するのよね、中國では。
きゃりこ
 「ピンイン」って、何?
寧々
 中国の正式なアルファベット表記の書き方よ。基本的に英語の真似をしたとは言へるけど、xを「し」、qを「ち」と讀んだりして、中國語の複雑な発音体系をうまく表すやうになつてゐる。
 中國語の発音と《音讀み》のズレって、ズレが原則かと思ふほどに違ひますよね。「難」nanは《音讀み》でも「なん」だから一致してる。「相」xiang(しぁん)が「さう」になるのはまだ近い。でも、「金」jin(ジン)が「きん」になると附いて行けない。「陸」はlu(ルー)なのに、《音讀み》は「りく」。「區」qu(チュィ)が「く」。取り入れるとき、ずゐぶんいい加減なことしたんぢやないかしら。
オスカー
 寧々さんともあらう人が、そこはちよつと勉強が足りませんね。
寧々
 きゃり。何笑つてるの。
きゃりこ
 わ、わらつてないよ。
オスカー
 現代北京語とは相当にずれてゐるけど、古代中國語の推定音とはピタリと一致するんですよ。漢字が日本に入つて來た頃の中国語の発音(地域によつて違ふから大雑把な言ひ方ですが)を《隋唐音》と言ひます。今、寧々さんの擧げた漢字を見てみますと、《隋唐音》では、相sang、金kim、陸rik、區koですから、現代北京語よりはずつと《音讀み》に近いでせう。ついでに、「山」も現代北京語ではshanだけど、《隋唐音》ではsanです。
きゃりこ
 そんな昔の発音がどうして分かるの。
オスカー
 昔の本に発音が出てゐるのですよ。
寧々
 さうか。それが「反切法(はんせつはふ)」なのか。
オスカー
 さうなんですよ。難しい漢字の発音を表すために、二つの易しい漢字を組み合せて表記するのです。「東は徳と紅の切である」と言ひます。この三つの漢字、「東」「コ」「紅」の《隋唐音》がそれぞれtong, tok, hongであることから来てゐます。つまり、「東」tongは「コ」tokのt-と「紅」hongの-ongを合体させた発音だといふことです。六朝時代の「韻書」といふ辞書に詳説されてゐます。
寧々
 六朝つて、隋や唐よりも前の時代ですよね。
オスカー
 そんな昔から、こんなに精密で学問的な研究が進んでゐたんです。もっとも、古代インドの言語學の影響を受けてのことのやうですから、言葉の研究はとても古いんですね。
寧々
 自然科学だけは、昔と今では大違ひですが、人文科学、社会科学は、二千年前でも現代でも、さうは變らないのですね。といふより、純粋な論理的思考能力は、昔の人も現代人より少しも劣る所がなかつたのでせうね。
posted by 國語問題協議會 at 11:31| Comment(0) | 雁井理香