2017年03月02日

きゃりこの戀(その42) 百人秀歌

オスカー:
 今回は前回の続きなので、また寧々さんにも來てもらひました。
寧々:
 前回のお話で、ちょっと疑問を感じました。藤原定家は幕府寄りで、後鳥羽院に對してはあまり忠実ではなかつたと聞いてゐます。そして、後鳥羽院は1221年の「承久の變」で幕府に逆つて、隠岐に流されてしまつたんですよね。「新勅撰集」(1232年)よりも後だから、幕府を憚つてゐたはずなのに、後鳥羽院とその共犯者といへる順徳院の歌をよく入れることができましたね。
オスカー:
 それはいい質問です。
 定家は百人一首とほとんど同じ「百人秀歌」といふものを撰んでゐます。百人一首より前か後かも分からない。内容はほとんど同じ。ただ、全部で百一首。百人一首より一首多いのですが、二人の歌を棄てて、新たに別の三人の歌を入れてゐます。
寧々:
 さうか。その外された二人が後鳥羽院と順徳院なのですね。
オスカー:
 さうなのです。百人一首が先だといふ説では、最初はこの二人を入れたんだけど、後になつて、やつぱり幕府が怖いといふことで外したといふことになります。逆に、百人秀歌が前だといふ説に拠ると、最初は幕府を憚つたんだけど、後で、ほとぼりが冷めた頃になつて二人を入れたといふわけです。
 外に、作者は同じでも、歌が違つてゐるのもあります。
きゃりこ:
 定家つて、テレビドラマに出て來たのを見てたら、ずるい人みたいでしたよ。
オスカー:
 テレビドラマはみんないい加減だから、それを見てそんなこと言つては定家がかはいさうですが、後鳥羽院とはいろんな確執があつたので、あんまり誠実にはなれなかつたやうです。
きゃりこ:
 後鳥羽院が流されたのを見て、「いい気味だ」と思つたのかな。
オスカー:
 ははは。さういふことはあるかも知れない。何しろ、その前に後鳥羽院と衝突して、「今後公(おほやけ)の歌の席に定家を召してはならない」といふお触れを出されてしまつたのですから、後鳥羽院が京都にをられたら、定家の歌人としての生命は終つてゐたかも知れません。
寧々:
 家隆は誠實な人だつたんですね。
きゃりこ:
 それ、誰?
オスカー:
 定家と一緒に「新古今集」を撰んだ撰者の一人、藤原家隆です。家隆は、後鳥羽院をお慰めするために、隱岐まで訪ねて行つたのです。
きゃりこ:
 すごい。京都から隱岐島まで旅行するつて、大変なことだつたでせうね。流されるのなら、仕方がないけど、わざわざ自分から訪ねて行つたのね。
寧々:
 幕府に睨まれるのを覚悟して後鳥羽院を慕つて行つたのよ。
きゃりこ:
 若い家隆が、父親のやうな後鳥羽院を慕ふ麗しい忠義の物語ね。
オスカー:
 ところが、隠岐に流されたとき、後鳥羽院は四十二歳。家驍ヘ六十歳。定家は五十六歳になつてゐたのです。
寧々:
 さういふのが、歴史の「常識とは違ふ意外性」ですね。鎌倉時代に六十歳で旅行するって、大變だつだでせうね
オスカー:
 さて、百人秀歌で附け加へられた三人の歌のうち、僕の好きなのをご紹介しませう。
 一条院皇后宮。
きゃりこ:
 なんだそれ。
寧々:
 「いちじやうゐんくわうごうのみや」と読んでね。
きゃりこ:
 漢字ばつかりなのに、なんでおねえちゃん讀めるの。同じ兩親から生れたとは思へない。あたし、お母さんが不倫して作つた子かな。あ。お母さんに言はないでね。
寧々:
 お父さんが餘所(よそ)で作つた子をお母さんが育ててくれたんだよ。
 ところで、一条院皇后って、定子(ていし)か彰(しやう)子(し)かどつちかですね。さうか、歌のうまいのは定子だ。
オスカー:
 そのとほり。定子は道長の兄道隆の娘。彰子は道長の娘。定子は父が死んだ後、叔父の道長に迫害されるのですが、彰子は定子と仲がよくて、父親に抗議して、定子いぢめをやめさせようとしました。
 さて、百人秀歌の定子の歌は、かうです。
  「よもすがら契りしことを忘れずは戀ひむ涙の色ぞゆかしき」
寧々:
 ひよつとしたら辞世の歌かな。
オスカー:
 さすが。寧々さん。
きゃりこ:
 さすが寧々さん。きゃりことは違ふって言ひたいのね。
オスカー:
 そんなことはありませんよ。賢い姉妹だなって感心したの。
きゃりこ:
 歯の浮くやうなこと言ふと毆るよ。
オスカー:
 ところで、寧々さん、「ていし」と読んだけど、僕は「さだこ」でいいと思ふのです。昔の女性の名前は、読み方が分からないことが多いのです。そこで、学者は、《訓讀み》すると間違つてゐるかも知れない。《音讀み》だとそれなりに間違ひではないだらうといふことで、「ていし」と讀んでゐるのですが、おそらく親兄弟からは、「さだこ」「あきこ」と呼ばれてゐたと思はれるのです。ついでに、式子内親王も「しきし」でも「しょくし」でもなく、「のりこ」。
 でも、この歌は分かりやすいでせう。
きゃりこ:
 全然分かんないよ。
寧々:
 一晩中ささやいて下さつた愛の言葉をお忘れにならなかつたら、きつと私が死んだ後、泣いて下さることでせう。その涙の色が見たいものです。
きゃりこ:
 おねえちゃん、初めて聞いた歌なんでせう。どうしてすぐに意味が分かるの?
オスカー:
 定子は二十四歳で夭折したのです。そこで、一条天皇のために辞世を遺しました。
 定子の辞世の歌は三首あります。もう一つ紹介しませう。
  煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれと眺めよ
 死ぬときの遺言が、火葬にしないで土葬にしてくれといふこと。土葬だと火で焼かれないから、煙にも雲にもなれない。此の世に殘つてゐますから、草葉の露を見たら、私だと思つて下さいね。
きゃりこ:
 よく分からないけど、涙を誘ふ歌だね。
オスカー:
 一条天皇はその十一年後に亡くなつたのですが、その時の辞世の歌が面白い。
  「露の身の草の宿りに君を置きて塵を出でぬることをこそ思へ」
寧々:
 定子の歌を念頭に置いてますね。定子は死んでも露になつて此の世に殘つてゐる。自分は火葬されるから煙になつて天に昇つてしまふ。あなたを置いて天に昇るのが気がかりだ。
きゃりこ:
 ひゃああああ。またまたショック。たうてい姉妹とは思へないよ。あたしの本當のお母さん、誰なのかな。さうだ。美恵子叔母さんだ。美人だけどパーだから。やけにかはいがつてくれると思つてゐたんだ。
寧々:
 馬鹿だね。美恵子叔母さんはお父さんの妹だよ。
きゃりこ:
 兄妹であやまちを犯してしまつたんだよ。あ、痛ッ。やめてよ。
オスカー:
 あはは。面白いけど、寧々さん、もつと打擲(ちやうちやく)していいと思ひますよ。
 ところで、この歌。天皇が死の床で口述して、彰子に書き取らせたのです。
きゃりこ:
 それってひどくない? ライバル同士の二人の妻なのに、一人のことを詠んだ歌をもう一人に書き取らせるって、そんなことしていいのかしら。
オスカー:
 彰子が定子を慕つてゐるのを天皇も知つてゐたから、信頼して書き取らせたんぢやないですかね。
きゃりこ:
 あたしが彰子だつたら、書き取つた後、ゴミ箱に棄てちやふよ。




posted by 國語問題協議會 at 21:58| Comment(0) | 雁井理香