2017年03月09日

歴史的假名遣事始め (二十七) 市川 浩

クイズで遊ぶ歴史的假名遣(二十七)

先月のクイズ解答
問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

いよいよ小学校での英語の必修が本格化し、中学入試の対象にもなる。グローバル化の流れは止められない中で、子供たちは必死に頑張つている。そこへ漢字だ、仮名遣いだと余計な負担をかけて、結局どれも中途半端に終ってしまったら、正字・正かな屋はどう責任をとってくれるのか。

この主張に對する反論の一例を擧げます。

九年間といふ時間的に制限のある義務教育に何を求めるか、意見はいろいろありますが、小中學校といふ人生始めて學ぶ學校がどのやうな役割を擔ふべきかを先づ考ふべきです。
則ち學校は「學問」の基礎として古典を「讀み」、「暗唱」させることが無ければなりません。其れは例へば、幼兒用の「音樂教室」では、發聲や音感など「基礎」を、「體操教室」では正しい姿勢や身體の動かし方など「基礎」を「身體で」覺えさせるのと同じです。
一方、學習指導要領では先づ「話すこと・聞くこと」により「議論」の「基礎」を教へよとしてゐますが、こんなことは「國語」以外の「算數」、「理科」、「社會」、更には「道徳」等の教科でも十分訓練可能なのです。でも學校の學校たる所以である「古典の讀みと暗唱」を學ばせることができるのは「國語」しかなく、茲に「國語」の教科としての重要性があるのです。
その「古典」と現代文とで表記が違ふといふ、それも單なる行政の都合で、不便な條件を強ひられてゐる子供達を見殺しに出來ないからこそ、口語體、文語體に共用可能な正字・正かなを主張してゐるのです。

そこで此の問題を契機に「現代仮名遣い」側論者の代表的著作ともいふべき白石良夫著「かなづかい入門」の所論を吟味してみたいと思ひます。

練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。
歴史的仮名遣と現代人
歴史的仮名遣を守ったひとたちは、大きく二のタイプに分けられる。一つは、染み付いてしまった習慣をいまさら変えられないというひとたちである。(中略)もう一つは、現代仮名遣よりも歴史的仮名遣のほうが優れていると確信しているひとたち、あるいはなんとなくそう思っているひとたちである。(中略)かれらの確信の最大の根拠は何かといえば、それは学問的合理性である。(以下略)
学問的合理性は規範の必要条件か
「歴史的仮名遣には学問的合理性があった」と言うのは、わたしではない。歴史的仮名遣のほうが現代仮名遣より優れていると信じしているひとたちが、そう言うのである。
はたして、そうだろうか。
(「かなづかい入門」10〜11頁)

posted by 國語問題協議會 at 18:07| Comment(0) | 市川浩