2017年04月22日

訓讀 原山健郎

武蔵野大學佛教文化研究所の定例研究会で、『ひらがなが啓(ひら)く「ほとけ」の世界』と題する研究發表を行つた。
この發表は、六世紀半ば、中國から朝鮮半島を經由して、わが國に傳來した佛教の経典にある「佛陀(ぶつだ)(<覺者>を意味するサンスクリット語buddhaの音寫)」を、日本では音讀の「ブつダ(呉音)」だけでなく、なぜ早くから和語で「ほとけ」と訓讀したのかを明らかにし、さらに上代日本(倭國)の多神教的な原始信仰に代表される習俗が外來宗教である佛教を比較的穏やかに受け入れた理由のひとつに、インド發中國経由の<覺者(佛陀)>といふ宗教的概念と「ほとけ」といふ和語の發音体感(習俗としての言語的感性)が時空を超えたシンクロニシティを起こし、わが國に佛教的パラダイムシフト(日本的習俗の佛教化)をもたらした、と主張するものである。

中國における「buddha」の音寫には、「佛陀」以前にも「浮屠(フト)・浮圖(フト)・佛圖(ブト)」などの用例があり、日本で「フト(ブト)」がなまつて「ほとけ」と転用されたといふ説もあるが、それだけでは和語である「ほとけ」の民俗學的なアウトラインがいまひとつスッキリしない。
そこで、それまで話しことば(口承)であつた和語を、漢字を假借した萬葉假名で表記することに成功し、千五百年以上經つた現在も用ゐられてゐる「ひらがな」が、上代日本人のメンタリティーを今に傳へてゐるといふ假説を立てた。

「ほとけ」といふひらがなのイメージには、<とく/とける>、<ほどく/ほどける>、あるいは<ゆるす/ゆるめる>など、さまざまなしばり(呪縛)やこだわり(執着)、こわばり(緊張)から心身を<ときはなつ(解き放つ)>佛教的な救濟思想につながるものがある。
野口三千三さんは、『野口体操 おもさに貞(き)く』(柏樹社、一九七九年)で、和語の「ほ」の身体感覚、なかでもとくに「ほどき」の自動詞形である「ほどけ」に注目してゐる。
【「ほぐし」は「ほどき・ほごし」と同じコトバである。「ほどき」はもともと「ほとき」と同音で、「ほ」の状態になるやうに解くことである。(中略)「ほどき」の自動詞形は「ほどけ」で、もともとは「ほとけ」であつたこの「ほとけ」こそ、実は「佛」の語源なのである。そこで私は「からだをほぐすことを手掛かりとして、佛とは何かを探り求める營みを体操といふ」と本氣で考へ、いろいろの動きを探り検(ため)してゐる。】
(同書八三〜八四ページ)

他動詞の「とく・ほどく」には、靴の紐(ひも)を自分で意識的にほどくといふ努力(自力)のニュアンスがあり、自動詞の「とける・ほどけ(る)」には、紐が自然にほどけたといふ無意識(他力)のイメージがある。
ひらがなの發音体感を分析すると、<ほとけ>の「ほ」音には、漢字の「炎/穂/帆/火/峯/誇(ほこ)る/賞(ほ)める/惚(ほ)れる」、ひらがなの「ほかほか/ほくほく/ほのぼの/ほれぼれ/ほやほや/ほんわか/ほんのり/ほのか/ほのめく」など、天に向かつて展(ひら)き伸び、押し上げられる、気体的な陽(ひ)だまりの暖かさがあり、<ゆるむ>の「ゆ」音には、漢字の「湯/油/愈/悠/湧/豊/夢/悠々/勇気/愉快(ゆくゎい)/寛(ゆる)やか/許(ゆる)す/緩(ゆる)める」、ひらがなの「ゆるゆる/ゆつたり/ゆらゆら/ゆらす/ゆるむ/ゆるす/ゆらぎ」など、内在の生命が浮き出て、豊かに湧き出る、液体的なお湯の温(ぬく)もりがある。

ここで、なぞかけをひとつ。
インド發中國經由の漢字「佛陀」とかけて、ひらがなの「ほとけ」と解く。その心は、わが國(日本)では「ごく(極)らく(楽)」になる。お後(あと)がよろしいやうで。
(武藏野大學非常勤講師『出版ニュース』コラム Book Therapy no.31)
posted by 國語問題協議會 at 21:33| Comment(0) | 原山建郎