2017年06月17日

きゃりこの戀(48)  二つの竹田城   雁井理香

オスカー:
 前々回、「天空のお城」と言はれる「竹田城」の話をしました。これは兵庫縣にあるのですが、もう一つ、大分縣にも「竹田城」があります。兵庫の方を「但馬竹田城」、大分のはうを「豊後竹田城」と言ひます。
きゃりこ:
 お城って、昔はたくさんあつたのに、今はほとんど殘つてゐないんですよね。
オスカー:
 みんな破却されてしまつたのです。
きゃりこ:
 維新のときに、明治政府が破却させたのかしら。終戦後に国語改革をしたのと同じやうな馬鹿をしたのね。
オスカー:
 うん。それもあるのですが、實は江戸時代の始め、大坂夏の陣の直後に、幕府の方針で、「一国一城令」が出されたのです。
きゃりこ:
 「国」といふのは、武蔵国とか美作国とかの国ですよね。一つの国に一つのお城しか存在してはいけないといふことでせうね。何でそんな馬鹿なことしたの?
オスカー:
 お城に立て籠つて、幕府に反抗されると困るから。この法令のおかげで、お城の数が一挙に二十分の一に減つてしまつたといふことです。そして、明治になつて、また破却があつて、こんな全滅に近い状態になつたのです。
きゃりこ:
 日本六十六箇國と言ひますから、お城の数が六十六になつてしまつたのかしら。
オスカー:
 江戸時代の大名の中で、肥後国(細川家)のやうに、令制(律令以来)の國一つを持つてゐる大名を「国持大名(太守・國主)」と言ひました。典型的な「本国持」が十ないし十二家。
 それに対して、譬へば、浅野内匠頭は「播州赤穂五万三千石」と言ひますが、播磨國の中の赤穂だけを領有してゐました。さういふ小さな大名の方が多かったのです。その領地を管轄する組織を「藩」と言ひました。「一国一城」とは言つても、一つの藩も一つの城を持つことが可能だつたので、正確な意味では「一藩一城」と言つた方がよいでせう。もつとも、二つ以上の國にまたがる藩には二つ以上のお城が認められてゐました。
きゃりこ:
 そこで、「一国一城令」でお城の数はどうなつてしまつたの。だいたい、それまではお城がいくつあつたの? 二十分の一になつたといふことは、江戸時代の始めには、もの凄くたくさんのお城があつたことになるぢやない。
オスカー:
 それまでは、全国のお城は三千もあつたのです。お城の定義が難しいのですが、小さな砦まで入れると二万以上だつたといふ説もあります。室町末期には、現在の京都市内だけで、何十もあつたとのこと。
きゃりこ:
 それは凄いね。それが、いくつに減つたの? 二十分の一といふことは………。
オスカー:
 百七十に減つてしまつたのです。さらに、明治の始めにも「廢城令」が出て、原則的に、お城は、軍が使用できるものを除いては、全部取り壊すことになりました。それ以外の城で存続したのは、破却するのに金がかかるから放置してゐたに過ぎません。なんと、姫路城も、廢城になる所を、解体費用がなかつたためにそのままに殘つたといふわけ。
きゃりこ:
 姫路城がなくなつてゐたら、重大な文化的損失だつたよね。
オスカー:
 日本人は世界に誇るべき文化遺産を豊富に持つてゐるのに、それを守らうといふ気持がなさすぎますよ。子供たちに文語詩を教へなくなつたのもその一つですね。
 「君がさやけき目の色も………」も、なぜ小学校の国語の教科書に入つてゐないのでせう。
 ところで、「天空の城」の「但馬竹田城」は虎が臥してゐるやうな配置になつてゐたので、「虎臥城」(とらふすじやう/こがじやう)と呼ばれます。これに対して、「豊後竹田城」(別名・岡城)は「臥牛城」(がぎうじやう)と呼ばれます。
きゃりこ:
 牛が臥してゐるやうな配置なんだね。
オスカー:
 面白いことに、豊後竹田城も山の上にあります。高さも但馬が三百五十メートル餘。豊後が三百二十メートル餘。似たやうな境遇なのです。
 但馬竹田城は江戸の「一国一城令」で破却され、豊後竹田城は明治の「廢城令」で破却されましたが、どちらも石垣だけは綺麗に殘つてゐます。
 それにしても、山の上にあつて、何の邪魔にもならないのに、破却したといふ愚かさに腹が立ちますよね。メインテナンスに金がかかるといふことはあつたにしても。
きゃりこ:
 優ちゃんとの新婚旅行は二つの竹田城にしましょ。
オスカー:
 小林旭の「惜別の歌」に但馬竹田城の画像が出てゐたから、何か関係があるのかと思つて調べましたが、どうも無関係なやうでがつかりしました。ただ画像を使つただけみたい。
 それに対して、豊後竹田城は、「荒城の月」と関係があります。土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲なのですが、滝廉太郎は幼い頃、この城の近くに住んでゐて、これをイメージして作曲したとのことです。
posted by 國語問題協議會 at 17:37| Comment(0) | 雁井理香