2017年07月26日

ブックセラピー(その12) 明治・大正のエートス、正字正假名遣。 原山建郎


先般、「正字正假名遣(せいじせいかなづかひ)を中心とする國語表記の復權と普及」をめざす國語問題協議會の講演會で、大東文化大學学文學部准教授・山口謠司さんの講義を聞く機会があった。
音韻學の専門家である山口さんは、近著『〈ひらがな〉の誕生』(中経の文庫、二〇一六年)で、日本語の發音の歴史的な變遷について書いてゐる。
【現代人の日本語と、明治時代の初めの頃の日本語はまつたく違ふし、ましてや平安時代の言葉、奈良時代の言葉とは、大きく異なる。
おほよそ、同じ言語内での發音の變化は、一〇〇年を一つの世代と考へることができる。言ひ換へれば、一〇〇年の人とは話すことができるが、それを越えてしまふと、お互ひ何を言つてゐるのか、同じ言葉を使つてゐてもわからなくなつてしまふのである。】
(同書一二九ページ)

この日の講演で、奈良時代初期の政治家、藤原不比等の名前を、現代日本語では〈ふじわらのふひと〉と讀むが、奈良時代の發音では〈プディパラノプピティョ〉と呼んでゐたといふ解説があつた。私は高校時代、國語の渡邊弘一郎先生から、現代假名遣ひで〈私は=ha〉を我々は〈私わ=wa〉と発音するが、昔の日本人は〈は=ha〉でもない〈わ=wa〉でもない、〈ぱ=pa、pha〉あるいは〈ふぁ=fa〉と發音したと學んでゐたので、歴史的假名遣では〈ふぢはらのふひと〉と綴る名前を、山口さんによる上代日本語の口演で聞けてうれしかつた。

「母語は道具ではない。精神そのものです」とは、母語としての日本語(和語)を大切にした作家、井上ひさしさんが『日本語教室』(新潮新書、二〇一一年)に書いた言葉である。
【生まれた時の脳は、だいたい三五〇グラムで、成人、二十歳ぐらいでは一四〇〇グラムぐらゐになります。ちやうど四倍ですね。(中略)腦がどんどん育つていくときに、お母さんや愛情をもつて世話をしてくれる人たちから聞いた言葉、それが母語です。】
(同書一八ページ)

母語とは、人生で最初に出逢ふ言葉、幼児の耳元に響くお母さんの言葉、それは〈漢字〉まじりではなく、純粋な〈ひらがな〉だけの會話である。そして、平成の母親たちが語りかける〈ひらがな〉は、「現代假名づかひ」の發音なのである。

國語問題といへば、戰後の現代假名づかひ、當用漢字を思ひ浮かべるが、明治初期に採用された歴史的假名遣についても、表音式の假名遣改定案をめぐる論争が起つた。芥川龍之介は、一九二五年三月発行の『改造』に「文部省の假名遣改定案について」を寄稿してゐる。
【假名遣改定案は――たとへば「ゐ」「ゑ」を廢するは繁を省ける所以なるべし。(中略)「ゐ」「ゑ」を廢して「い」「え」のみを存す、誰か簡なるを認めざらむや。然れども敷島のやまと言葉の亂れむとする危險を顧みざるは斷じて便宜と言ふべからず。】

文教大學の社会人講座では、芥川龍之介の切支丹小説『おぎん』の關聯資料として、新字新かなづかひで書かれた青空文庫をもとに、私が正字正假名遣に再修正したテキストを配布した。
【一度などは浦上の宗徒みげる弥(彌)兵衛(衞)の水車小屋に、姿を現したと伝(傳)え(へ)られてい(ゐ)る。と同時に悪(惡)魔もまた宗徒の精(堰j進を妨げるため、あるいは見慣れぬ黒(K)人となり、】

江戸假名の音韻を残す明治に生まれ、大正という時代を足早に驅け抜け、昭和二年に自死した芥川龍之介の魂、「明治・大正のエートス」を理解するよすがに、芥川の作品を正字正假名遣のテキストで読む。

(武蔵野大學非常勤講師 『出版ニュース』コラム Book Therapy no.55)
 
posted by 國語問題協議會 at 19:16| Comment(0) | 原山建郎

2017年07月18日

きゃりこの戀(49)荒城の月 雁井理香

オスカー:
 前回、瀧廉太郎が作曲した「荒城の月」は、豊後竹田城をイメージしたものだといふ話をしました。そこで今日は、「荒城の月」の歌詞を見てみませう。作詞は土井晩翠ですよ。
  []春(はる)高樓(かうらう)の花の宴
   めぐる盞(さかづき)影差して
   千代の松が枝(え)分け出でし
   昔の光今いづこ
きゃりこ:
 春、花を見ながら、高樓(たかどの)で酒宴を開いてゐるんですね。
 みんなで盞を回して酒を呑んでゐる。
 千代って、何?
オスカー:
 まあ、簡単に千年といふことかな。
きゃりこ:
 千年も経つ松の枝の間を分けて、昔の光が……………。何の光だらう。ああ、さうだ。「荒城の月」なんだから、月の光だ。松の間から、月の光が差し込んでゐる。「今いづこ」つて何だ。「今どこへ行つてしまつたのか」だらうけど、何がどこへ行つてしまつたんだ。
オスカー:
 きゃりこさんの間違ひは、「分け出でし」の「し」を譯してないとこですね。
きゃりこ:
 過去の助動詞「き」の連体形だよね。……………あ、あ、あ。ひよつとして、「昔松の枝の間から差し込んでゐた月の光。それが今では見えない。どこへ行つてしまつたんだらう」と言ひたいのかな。
オスカー:
 さうなんですよ。今、月は出てゐるのか出てゐないのかははつきり書いてないけれども、(後まで見ると月は出てゐるんだけど)、いづれにしても古城の酒宴はもう行はれてゐない。昔、酒宴の席に差し込んでゐた月の光はどこへ行つてしまつたんだらう。
 ぢやあ、二番ですよ。
  []秋陣営の霜の色
   鳴き行く雁の數見せて
   植うる劒(つるぎ)に照り添ひし
   昔の光今いづこ
きゃりこ:
 うん、うん。戦争のために軍備を調(ととの)へたお城の情景だ。空には雁が飛んで行く。
 「植うる劒」が分からない。
オスカー:
 戦争のときには、すぐに刀を取り換へられるやうに、地面に何本も、きっさきを突き立てておきます。
きゃりこ:
 なるほど、それが木の枝を地面に植ゑたやうに見えるといふことだね。
 「植ゑる」ぢやなくて「植うる」なのはどうして?
オスカー:
 文語だからですよ。「植ゑズ」「植ゑタリ」「植う」「植うるトキ」「植うれドモ」「植ゑヨ」と變化する「下二段活用」。
きゃりこ:
 歴史的假名遣なら「植ふる」にはならないの?
オスカー:
 古文の授業で「うう・すう・うう」って習ひませんでしたか。
きゃりこ:
 なんぢやそれ。
オスカー:
 「ウエル(植)」「スエル(据)」「ウエル(飢)」だけは、「ワ行活用」なので、文語の終止形は「飢う」、この歌では連体形なので「植うる」となつてゐます。口語の終止形は「植ゑる」であつて、「植える」でも「植へる」でもありません。
 今度は三番。
  []今荒城の夜半(よは)の月
   替(かは)らぬ光たがためぞ
   垣に殘るはただ葛(かづら)
   松に歌ふはただ嵐
きゃりこ:
 やはんのことを「よは」つて言ふんだね。気障(きざ)だ。
オスカー:
 昔の言葉を大事にしてゐるだけですから、氣障なんて言はないで下さい。それに「ヨハ」って發音しないでね。「ヨワ」です。
きゃりこ:
 「替らぬ光」といふのは、「昔のままの光」といふことだらうけど、作者は昔生きてゐたわけぢやないのに、なんで「昔のまま」って分かるのさ。
 「たがためぞ」が全然分からない。
オスカー:
 「誰が爲ぞ」
きゃりこ:
 それぢやあ「だれがためぞ」ぢやないですか。
オスカー:
 古代の日本語には、濁音で始まる言葉がなかつたのです。「だれ」は「たれ」、「どこ」は「いづこ」。「いづこ」の「い」が脱落して、「づ」が「ど」になつたの。同じダ行だから、「づ」なのです。「いずこ」と書いてはいけません。
 「誰」(who, whom)は「たれ」、「誰の」(whose)は「たが」です。
きゃりこ:
 それは分かる。「私」(I, me)が「われ」、「私の」(my)が「わが」になるのと同じだね。
 昔と變はらない月光は誰のために差してゐるのだらう。
オスカー:
 誰もゐない古城で、見てくれる人もゐないのに、月がけなげに差してゐる、と言ひたいのです。
きゃりこ:
 垣根には雑草が生え、……………。「松に歌ふ」は松風の音を言ふのかな。
オスカー:
 さすがはきゃりこさん。
きゃりこ:
 昔は武士たちが歌を歌つてゐたのに、今では、松風が音を立ててゐるだけだ。
オスカー:
 見事、見事。
 では、四番。
きゃりこ:
 えッ。四番もあるの? かういふの、ふつうは三番までぢやない。
オスカー:
  []天上影は替らねど
   榮枯は移る世の姿
   寫さんとてか今もなほ
   嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
きゃりこ:
 「天上影は替らねど」は、「月の姿は昔と同じだけれど」だらうね。
 「世の中は、栄枯盛衰定まることがない」
オスカー:
 その譯、ものすごくいいね。見直しましたよ。
きゃりこ:
 へへへ。
 「寫」って字が分からない。
オスカー:
 「写」の正字體。
きゃりこ:
 「うつさんとてか」だね。あああ、「ん」は「む」で意志を表はすんだつた。栄枯盛衰が何を寫さうとするんだ。
オスカー:
 「栄枯盛衰が」ぢやなくて、「栄枯盛衰を」なんですよ。
きゃりこ:
 わ、わ、わかつた。「夜半の月」が「栄枯盛衰」を寫さうとしてゐるんだ。
 「栄枯盛衰定まりなき世の姿を寫し出さうとしてだらうか、今もなほ月が照つてゐる」
オスカー:
 感心、感心。寧々さんでもここまで見事には譯せませんよ。
posted by 國語問題協議會 at 08:44| Comment(0) | 雁井理香

2017年07月07日

數學における言語(14)無限等比級數

前回、以下のやうな等式
0.33333……=1/3 ・・・@
を紹介しましたが、この等式と、たとへば
3+7=10 ・・・A
といふ等式とを比較して、私が長い間考へてきたことは、この2つの等式の等號「=」は、生身の人間にとつてはその意味が根本的に異なるのではないか、といふことでした。
等式Aの等號は、言つてみれば現實的經驗世界(=身體世界=形而下世界)で確認することができます。たとへば、實際に3個のリンゴと7個のリンゴを用意し、リンゴに手で觸れながら數へていくと、右邊の「10」に到達できます。ここに人間固有の理知の力が働いてゐるとしても、等式Aは小學1年生でも了解できます。
ところが、等式@(左邊を「無限等比級數」といふ)は、前回にも申し上げましたやうに、現實的、經驗的には確認することができません。ここで、もう少し分かりやすい例を擧げてみませう。20170707zu.jpg

1辺の長さが1の正方形を考へ、右圖のやうに、これを半分に分割し、次に殘りの部分を半分に分割し、以下同じやうに、どんどん半分に分割していきます。すると、図から容易に分かるやうに、
1/2+1/4+1/8+1/16+……=1 ・・・B
といふ等式が成り立つことが豫想されます。

等式Bの左邊も、@の左邊と同様に「無限等比級數」と言はれるものですが、上に述べた操作を現實に繰り返し行つて、左邊が右邊の「1」になることが、実際に確認できるのでせうか?言ふまでもなく、自分の全人生の時間を費やしても、現實的には「1」に到達することは不可能です。にもかかはらず、數学の世界では、@やBは當然のやうに「論理的に眞」であるとして議論を進めていくのです。

では、何故論理的に眞とするのでせうか?それは、鷗外の言ふやうに、「等式Bの左邊」は「1」である「かのやうに」考へるからなのでせうか?あるいはまた、「演繹論理」ではなく「歸納論理」による法律學を確立した末弘嚴太郎(いずたらう)(1888〜1951)の言ふ「嘘の効用」として、等式Bを是認するのでせうか?斷じてそんなことはありません。「數學」においては、等式Bは「かのやうに」でもなければ、「嘘の効用」でもない、それは、「絶體的な眞」としての等式です。そうであるとすれば、これらを「眞」とする私たちの精神とは一體如何なるものなのでしせうか?

もちろん、日本で二人目のフィールズ賞受賞者である廣中平祐氏も「數學は技術を超えてはならないもの」と語られてをり、「無限級數」を數學教師として取り扱ふ時の私も、それを肝に銘じてゐます。しかし、その一方で「技術」の大前提である、「無限」自體を問ふ私といふ生身の人間がゐることも確かなのです。

フランスの數学者アンリ・ポアンカレ(1854〜1912)は、1、2、3、・・・という自然數系列にお終ひが、私たちの現前に現れない理由を「1つの操作が1度可能だと認めらさへすれば、その作用を際限なく繰り返して考へることができると信ずる理知の能力を私たちが肯定するところにある」と述べてゐます。しかし、私たちの「身體(=現實世界)」は「1つの操作を際限なく繰り返す」ことはできません。端的に言へば、私たちの身體はいづれ「死」に至り、1つの操作の“無限”の繰り返しは不可能なのです。 結局、小矩形で、1邊の長さが1の正方形を全て覆ひt盡くすことはできません。しかしその一方で「數学」が「無限」を容認し、すべて覆ひ盡くすことが可能であるとする、その精神的な淵源とは一體何なのでせうか。私が最も注目したいのは、この點なのです。         
(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 20:56| Comment(0) | 河田直樹