2018年02月03日

歴史的假名遣事始め (三十八) 市川 浩

前囘提示しました問題、出版社の「賣れない」、SNSでの「難しい」、「讀めない」といつた感情論的攻撃への對處法を御一所に考へて見ませう。

先づこれらの攻撃が本當に事實に基いてゐるのか、考へてみるまでもなく、新かなで出版したら賣れる保障はありませんし、現在中學、高校での古文學習では歴史的假名遣の古典國文や學年別配當表以外の漢字が澤山交ざる漢文を學んでゐるといふ「事實」しかありません。第一正字・正かなの文を一瞥して「これは公用文作成の要領違反だ」などと摘發するやうな人でなければ、こんな攻撃は出來ない筈です。恐らくこの攻撃者の方は「俺は讀めるよ、だが一般の人に讀めない表記を強制する「知的エリート」ぶりに腹が立つてこのやうに發言するのだ」といふことではないでせうか。でも「これつて」ずいぶん「一般の人」の知的レベルを低く見てゐないでせうか。
これで反論は十分なのですが、放置してゐますと「賣れない」、「難しい」、「讀めない」が恰も實在の現象と誤解され、取返しのつかない結果となる恐れがあります。その一例が文語文や漢文に於ける新かなルビの跋扈です。「加へる」の語幹「加」に「くわ」と新かなでルビを振つて「くわへる」はをかしいと抗議しても、「今の人は「くはへる」では讀めません」、といふ答が返つて來ます。送り假名の「へ」に「え」とルビを振ればいいのではと言ふ人もゐる始末です。正字・正かなは「難しい」、「讀めない」が定著した結果でなくて何でありませう。
又一方で一旦かういふ「書込」があると、忽ち同調の書込が殺到、「炎上」して、正統表記を斷念せざるを得ない事例が多く語られてゐます。何だか戰時中の「敵性思想狩」みたいで嫌な豫感を抱かざるを得ません。特に此處には「新かな順應の善意の一般人」と「學識を誇示する惡意の舊かな知識人」とに國民をdivided controle「分斷支配」する戰略を感じさせるものがあります。これに就いては次囘にゆづりますが、是非皆さんも御考へ下されば幸ひです。
posted by 國語問題協議會 at 10:52| Comment(0) | 市川浩