2018年10月25日

〈ほとけごころ〉その一 原山建郎

「むづかしいことを、やさしく。やさしいことを、ふかく。ふかいことを、ひろく。」

五木寛之さんは、『他力』(講談社、1998年)のなかで、法然上人は「むづかしいことをやさしく」=易(い)行(ぎやう)往生(わうじやう)、親鸞聖人はそれを「やさしいことをふかく」=自然法爾(じねんほうに)、さらに蓮如上人は「ふかいことをひろく」=本願(ほんがん)他力(たりき)といふところに惹きつけられる、そして、この三つの言葉の背後には、「わがはからひにあらず」といふ他力の聲が響いてゐるやうに思へてならない、と書いてゐます。
武蔵野大學佛教文化研究所客員研究員である私は、數年前の『研究紀要』第32号に、『和語(わご)が啓く「ほとけ」の世界』と題する論文を發表しました。これは、紀元前6世紀の古代インドで生まれたブつダ(buddha)は、その後中國にわたつて佛陀(ぶつだ)と漢譯(漢音寫)され、さらに朝鮮半島(高句麗、新羅、百済)を經てもたらされた6世紀の日本では、漢字(呉音)の佛陀(ぶつだ)・佛(ぶつ)(ブつ)の音讀とともに、和語の訓讀で「ほとけ」と讀まれた民俗學的な背景、和語(ひらがな)で育まれた上古代日本の身體感覺、和語「ほどけ(ほとけ)」と佛教との接點についてまとめたものです。
編集工學の創始者、松岡正剛さんは、『17歳のための 世界と日本の見方』(春秋社、2006年)のなかで、インド發・中國(朝鮮半島)經由でもたらされた佛教傳來の流れについて、【このやうにして、佛教は發祥の地、インドを離れて、その類ひ稀な普遍主義や平等主義の思想と慈愛の枝を、西域や中國や東南アジアのはうに伸ばすことになつていつた。その枝に稔つたいくつもの果實が、ぽとりぽとりと中國や日本の大地に落ちたとき、そこには非ヒンドゥ(※講座のなかでその意味を解説します)でもない佛教が「挿し木」された。このことが、佛教がインドから遠い中國でその葉を豊かに茂らせ、朝鮮半島を經由して、日本で美しい花を咲かせる理由になつていく】と書いてゐます。
注目すべき言葉は、「挿し木」です。インドで誕生した佛教(木)のひと枝が、直接インドから移送された土(原産地の培地)ではなく、日本にもともとあつた土(上古代日本の精神的・文化的な土壌)に挿し木された、つまりインドで芽吹いた木(佛教のDNA)と同じ遺伝子を持つクローン體(教義)が、日本で美しい花(華)を咲かせたのです。
「美しい大輪の佛花は、日本で豊かな實を結ぶ」と書いたのは、過去完了形の「實を結んだ」ではなく、未来完了形の「實を結ぶ」、つまり「やがて實を結ぶ」であらう、「おそらく實を結ぶ」にちがひない、日本佛教の近未来のすがたについても、皆さんといつしよに考へてみたいと思ひます。

2.中國語で書かれた佛典を日本のことばで説き、書く
日本佛教學の泰斗、中村元さんは、『佛教のことば 生きる智慧』(主婦の友社、1995年)「はじめに」に、こう書いてゐます。
【極東の孤島・日本に生まれ育つたわれわれが、日本人のことばをもつて普遍的な宗教の眞理をかたるといふのは、當然のことであり、つとめでなければならない。ところが學者のあひだには、古來一つの迷信が支配してゐて、漢文をもつて書かれた典籍が尊いといふのである。邦文(※和語=日本語)をもつて書かれた佛教書は、古來「假名法語」と呼ばれ、佛教の典籍のうちでは、從屬的な地位しか與へられていなかつた。
 しかし、われわれは日本人なのだから、日本のことばをもつて説き、書くのが當たり前ではなからうか。
佛教の教へは難しいといふのが、世間一般の印象である。しかし難しくて何のことかわからぬものであつたら、アジアの人々の心から心へと傳へられることはなかつたであらう。佛教の開祖・釋尊(しやくそん)(ゴータマ・ブッタ)は、人びとのために當時の口語(はなしことば)で教へを説いた。當時の諸言語が消滅したから解らなくなつてしまつたといふだけである。實際に説かれたことは解りやすいものであつた。
佛教は漢譯されたが、それは主として隋唐時代の中華民族の言語に飜譯されたのであつて、現在の中華民族にはもう解らなくなつてゐる。まして海を隔てた異國である日本人一般には、ますます解らなくなつてゐるのは當然である。】
(同書1〜2ページ)

3・「日本的靈性」のはたらき  日本の淨土系思想、禪的生活
禪についての著作を英語で著し、日本の禪文化を海外に廣く知らしめた佛教學者、鈴木大拙さんは、その著書『日本的靈性』(岩波文庫、1972年。原著は大東出版社、1944年)で、「靈性」をかう解説してゐます。
【靈性と言つても、特別なはたらきをする力かなにかがあるわけではないが、それは普通に精神と言つているはたらきと違ふものである。精神には倫理性があるが、靈性はそれを超越してゐる。超越は否定の義ではない。精神は分別意識を基礎としてゐるが、靈性は無分別智である。(中略)靈性なるものを精神の外において、物質と精神の對峙の上にいまひとつの對峙を考へる人があるかも知れぬ。さうすると頭上に頭を重ねるわけで、甚だ持つて回つたことになる。それゆゑ簡単に、靈性は精神の奥に潜在してゐるはたらきで、これが目覺めると精神の二元性は解消して、精神はその本體の上において感覺し思惟し意志し行爲し能うものと言つておくのがよいかも知れん。即ち普通に言ふ精神は、精神の主體、自己の正體に觸れてゐないものだと言つてよいのである】
(同書17・19ページ)
そして、「日本的靈性」の解説です。
【上來の所述で、靈性は何を意味するかが大體においてわかると思ふ。(中略)靈性はそれ故に普遍性をもつてゐて、どこの民族に限られたといふわけのものでないことがわかる。漢民族の靈性もヨーロッパ諸民族の靈性も日本民族の靈性も、靈性である限り、變つたものであつてはならぬ。しかし靈性の目覺めから、それが精神活動の諸事象の上に現れる様式には、各民族に相違するものがある。即ち日本的靈性なるものが話され得るのである。
 それなら靈性の日本的なものは何か。自分の考へでは、淨土系思想と禪とが、もつとも純粹な姿でそれであると言ひたいのである。それはなぜかと言ふに、理由は簡單である。淨土系も禪も佛教の一角を占めてゐて、その佛教は外來の宗教だから純粹に日本的な靈性の覺醒とその表現ではないと思はれるかもしれない。が、自分はだいいち佛教を以て外来の宗教だとは考へない、從つて禪も淨土系も、外來性をもつてゐない。(中略)
 禪が日本的靈性を表詮(ひょうせん)してゐるといふのは、禪が日本人の生活に根深く食ひ込んでゐるといふ意味ではない。それよりもむしろ日本人の生活そのものが、禪的であると言つた方がよい。禪宗の渡來は、日本的靈性に發火の機縁を與へたのではあるが、發火すべき主體そのものは、そのころ十分に成熟してゐたのである。(中略)
 なるほど眞宗教徒は、淨土三部經を所依(しょえ)の經典としてゐる。が、それならば眞宗は何故にシナまたはインドで展開しなかつたか。淨土教の起こりは、シナでは六朝時代(222〜589年)だと思ふが、それから今日に至るまで少なくとも千五百年を經過してゐる。それにも拘らず千五百年前の淨土教は、千五百年後の淨土教である。それから眞宗的横(おう)超(ちょう)經験および彌陀の絶對他力的救濟觀は生まれなかつたのである。これに反して日本では、法然上人が天台教義より獨立させて一宗の面目を保たしめんとするや否や、彼の會下(えか)には親鸞聖人が出現した、さうして彼の所説に一大飛躍を與へてゐるのである。鎌倉時代における日本的靈性の活動は、法然上人の淨土観にも止まることを許さなかつたのである。それは親鸞聖人を起(た)さなければ已まなかつたのである。これは決して偶然の事象だと考へてはならぬ。日本的靈性でなければ、この飛躍的經験は淨土系思想の中に生まれ出なかつたのである。淨土系思想は、インドにもありシナにもあつたが、日本で初めてそれが法然と親鸞とを經て眞宗的形態を取つたといふ事實は、日本的靈性即ち日本的宗教意識の能動的活動に由るものといはねばらならぬ。(中略)大いに有力な力のはたらきかけが、日本的靈性の中から出たと斷定しなくてはならぬのである。このはたらきが淨土系思想を通して表現されたとき、淨土眞宗は生まれた。眞宗經験は、實に日本的靈性の發動にほかならぬのである。それが佛教的構想の中に出たといふことは歴史的偶然であつて、その本質の日本的靈性なることを妨げるものではない。】
(同書20〜24ページ)

4.やまとことば(ひらがな) ほとけごころ(いつくしみ)
4〜5世紀(※諸説あり)に中國から漢字が傳來するまで、文字のない上古代日本では、もつぱらやまとことば(話しことば)によるコミュニケーションでした。やまとことばの發音を、傳來した漢字の音韻を借りて表したのが萬葉假名です。音讀は中國語の發音で讀む漢語、訓讀はやまとことばの發音で讀む和語ですが、その後、草體(崩し字)の變體假名を經て、明治時代に現在の「ひらがな(カタカナ)」となりました。
ひらがなで書く〈ほとけごころ〉は、もちろん日本のことば、やまとことばです。
漢字の「佛(ぶつ)心(しん) @佛の大慈悲心、A衆生のなかに本來備はつてゐる佛性)」よりも、ひらがなの「ほとけごころ(ほとけさまのやうにいつくしむ、なさけぶかいこころ)」の方が、日本人の情感に響きます。

@ と(溶)く/ほど(解)く
→と(融)ける/ほど(解)ける
A ゆる(許)す/ゆる(弛)む
→ゆ(搖)れる/ゆる(緩)める
B たす(助)く/すく(救)ふ
→ま(負)ける/まか(任)せる
C つつ(包)む/さら(晒)す
→あら(洗)ふ/すす(濯)ぐ
D な(成)る/な(鳴)る/な(生)る
→あ(生)る/あ(顯)る

全五回、「たのしい」講座を心がけます。

posted by 國語問題協議會 at 21:28| Comment(0) | 市川浩

2018年10月13日

日本語ウォッチング(6) 火事が起きた 織田多宇人

近頃は何でも「起きる」ことになつたやうだ。「火事が起きた」、「事件が起きる」と言つた調子。火事や事件がひとりで「起きる」わけではあるまいに、どうも耳障りである。「起きる」は目を覺ますこと、また横になつてゐる状態から立ち上がることが、もともとの意味で、主語は一般的に「人間か動物」。「起こる」は、病氣や災害などある状態・状況が發生するときに用ゐられて來て、主語は「出來事」。從つて「子供が早く起こる」等とは言へない。しかし、近頃はもともとは「起こる」と言うべき時に「起きる」を使う場合が大變多くなつて來てゐる。、
ただし、いまでも「起こる」しか使えない場合もある。たとえば、「サッカーブームが巻き起こる」や「拍手がわき起こる」などは、「巻き起きる」「わき起きる」とは言えない。また「国が(産業が)おきる」とは言はない。この場合は必ず「おこる(興る)」である。
posted by 國語問題協議會 at 15:35| Comment(0) | 織田多宇人

2018年10月05日

數學における言語(33)(34) 古代希臘の無限思想

古代希臘の無限思想(W)
 前回はパルメニデスと彼の弟子ゼノンについて觸れ、ソクラテスやプラトンがパルメニデスに並々ならぬ敬意を抱いていたことをお話ししましたが、アリストテレスもまたパルメニデスが相當氣になつていたやうで、『形而上學』(出隆譯)第1巻第3章には「すべてを一つであると言つた人々(一元論者)のうちには、誰ひとりとしてあの新たな種類の原因をもあはせ認めるに至つた者はない。ただわづかにその例外ともされさうなのはパルメニデスだけであらう」と述べてゐます。また第5章では、パルメニデスと同じエレア學派のクセノパネス(この人はパルメニデスの師とも言はれてゐる)やメリッソスの考へ方と比較して、「この二人のものは素朴すぎるが、しかしパルメニデスは、ときにいつそう深い洞察をもつて語つてゐるところもあるやうにみえる」とも書いてゐます。
 『形而上學』第1巻第5章の冒頭には、「『ピュタゴラスの徒』は、數學的諸學課の研究に着手した最初の人々であるが、かれらは、この研究をさらに進めるとともに、數學のなかで育つた人々なので、この數學の原理をさらにあらゆる存在の原理であると考へた(傍點河田)」とあり、私のような數學屋にとつてはまことに心躍らされる書き出しです。この章でパルメニデスが特異な哲學者として取り上げられてゐるのはまことに示唆的で、アリストテレスは、上で紹介した文に続いて「けだし數學の諸原理のうちでは、その自然において第一のものは數であり、そしてかれらは、かうした數のうちに、あの火や土や水などよりもいつそう多く存在するものや生成するものどもと類似した點のあるのが認められる、と思つた」と述べてゐます。前回私が「パルメニデスは世界のアルケーを物のレベルから觀念(思惟)のレベルに飛翔させた」と記したのは、このことを意味してゐます。要するに火、土、水といつた「物」から「數」という觀念への飛躍(ジャンプ)です。
 ところで、アリストテレスは『自然學』第3巻第6章でもパルメニデスに觸れ、「パルメニデスの方がメリッソスよりも正しく説いたものと考へねばならない」と述べてゐます。要するにメリッソスを低く見てゐたわけですが、私自身はメリッソスを、「あるまたはあらぬ」の哲學者たち(パルメニデス、ゼノン)と、「原子論」の創始者たち(レウキッポス、デモクリトス)とを繋ぐ結節點に位置する人物だと考へてゐます。
メリッソス(前480年頃〜前400年頃)は、ゼノン同様パルメニデスの弟子でエレア學派の最後の一人ですが、彼は政治家、軍人としても活躍したやうで、紀元前441年ペリクレス率ゐるアテナイの艦隊がサモス島に攻め込んだ折、サモスの海軍を指揮してこれを撃破したといふエピソードも殘してゐます。メリッソスの言論については、例の『斷片集』で「有るものは永遠」、「有る者は無限」、「有るものは不變不動にして、また空虚は存しない」といつた主張を知ることができますが、私が注目してゐるのは、『自然學』第4巻第6章の「メリッソスは、萬有一切が不動であることを證示してゐる。もし、萬有一切が運動するなら、空虚が存在しなくてはならない。だが、空虚はまつたく存在しないゆゑに、萬有一切は不動であるといふのである」というアリストテレスのコメントです。とは言へ、その一方でメリッソスは變轉極まりない現象世界の感覺的認識についても語つてゐて、「われわれには、温かいものが冷たいものになり、冷たいものが温かいものになり、堅いものが軟くなり、軟いものが堅くなるやうに見える。つまり、それら凡てが多様なものになり、かつてあつたものも、現にあるものも何一つとして同様であることはなく、」とも述べてゐます。言葉をかへれば、メリッソスは「萬有一切の運動を是認してもゐる(といふことは空虚の存在を認めることになる)」のです。「空虚」という言葉で何を表してゐるかは、私にはいささか不明ですが、これは明らかにメリッソスの論理的破綻です。しかし、この論理的破綻こそは、「空虚」の存在を積極的に評価したレウキッポスやデモクリトスたちのアトミズムの思想的濫觴になつたのではないか、と私は感じてゐるのです。 

古代希臘の無限思想(X)
 「無限と有限」に關連して「ソクラテス以前」の哲學者で私に強い關心を呼び覺ます人物として、パルメニデス、ゼノン、そしてアナクサゴラスを擧げておきましたが、今回は三人目のアナクサゴラスについて少し述べてみたいと思ひます。
 アナクサゴラスの言説についても『初期ギリシア哲學者斷片集』で知ることができます。彼の名前を聞いて「nous(ヌース、精神あるいは理性)」という言葉を想起する人も多いと思ひますが、「無數の元素(種子)の混合によって萬物が生じ、始原のカオス状態から秩序ある世界を創り出した原動力こそがヌースであると説いた哲學者」といふのが、アナクサゴラスの通俗的イメージではないかと思ひます。
 しかし、ここで少々亂暴なことを言はせてもらふと、私にとっては「ヌース」だか「種子」だかは知りませんが、そんなものは實はどうでもいいのです。實際、私はかういふ言葉をいくら考へてもよく理解できません。ときどき、受驗生や哲學科の學生の中に、かういふ言葉をちやんと暗記してゐて、教科書的に正確に説明できる人を見かけます。惡いとは言ひませんが、かういふ人を見ると、“哲學する”とはいつたい何なのか、自分自身の切實な問題に根ざしてゐるのか、といつた質問をしてみたくなります。私にとつて、アナクサゴラスがなぜ問題になるのか、それは以下のやうな彼の言論のためです。
  「最小なものも最大なものもない」−なぜなら、小さなものに關しては、最小なものといふものはなくて、いつでもそれより小さなものがあるし(といふのは「有るものは有らぬ」といふことは出來ないのであるから)、また大きなものにせき關しても、いつでもそれよりも大きなものがあるからである。
 一讀してお分かりのやうに實に明快かつ素朴な議論ですが、上記の引用の下線部分には、「有るものが分割によって有らぬことはできない」といふ脚注があります。こんにちの私たちは、アナクサゴラスの上の主張をたとへば「數直線」といふものを思ひ描くことで簡單に了解することができます。どんなに大きな數(自然數)を想定しても、それより大きな數を考へることができますし、どんなに小さな數、たとへば、1を百分割して得られる數、さらにそれを百分割して得られる小さい數を作ることもできます。もつとも、アナクサゴラスが“數直線のやうなもの”を考へて上のやうな結論に達したかどうか、むしろ彼はこの世界に「實際に存在するもの」に對して上のやうな思考を働かせてゐたのかもしれません。しかし、「數」にせよ「現實の物」にせよ、「最小のものも最大なものもない」といふ結論の淵源は、どこにあるのでせうか。それは、人間精神(あるいは知性)に備はつた「延長可能といふ属性」(これはデカルトの『精神指導の規則』の問題でもある)によるとも考へられますが、彼が「ヌース」に注目するゆゑんかもしれません。いささか専門的になりますが、彼の上の議論から私は「ある正の整數aを2倍、3倍、・・・としていけば、どんな數よりも大きくすることができる」といふ、全解析學を貫く最も重要な「アルキメデスの公理」を思ひ出します。
 私には、アナクサゴラスの言葉でいま一つ氣になるものがあります。それは「大きなものも小さなものもその部分はその數が等しいのだから、この見方によつても、凡てのものは凡てのもののうちにあることにならう」といふ主張です。「凡てのものは凡てのもののうちにある」とはいつたいどういふことなのでせうか。このアナクサゴラスの主張から私は「二つの集合が共に無限である場合に兩者間の關係として起こり得るきはめて注目すべき特質」の研究を行つた、チェコのベルナルト・ボルツァーノ(1781〜1848)の『無限の逆説』を連想します。この書物は數學者にして宗教哲學者であったボルツァーノ最晩年の作品ですが、私はアナクサゴラスとの非常な親近性を感じます。「無限」の取りもつ“えにし”と言ふべきかもしれません。     
   (河田直樹・かはたなほき)

posted by 國語問題協議會 at 21:58| Comment(0) | 河田直樹