2019年12月08日

日本語ウォッチング(26)  織田多宇人

盜癖が覺める
また『小説宝石』の昔の號だが、「いつたん眠つてゐた盜癖がふたたび覺めたのだ」と言ふ一文があつたが、引つかかる。盜癖がまた始つたと、意味は通ずるが、「覺める」には、正氣に戻るとか、迷が解けると言ふ意味があるので、「覺めたのだ」と言はれると、惡い状態から良い状態になつたやうに、つまり、盜癖が無くなつたやうに思つてしまふ。上に「眠つてゐた」とあるため「覺めた」で受けたくなるところかもしれないが、「盜癖が覺めた」を「盜癖が始つた」の意に用ゐることには無理がある。

posted by 國語問題協議會 at 11:32| Comment(0) | 織田多宇人