2020年09月29日

あやとり(20) 中谷信男

百になるまでは十代
百歳までは十代の若さだ、つまり百歳までは九十代であつても十代がつくことからさう氣張つて言つてゐることをさし、「四十五十は洟垂れ小僧、六十七十は働き盛り、九十になつて迎へが來たら百まで待てと追ひ返せ」と同じやうな意味です。この後の言葉は澁澤榮一が言つたとされてゐますが、御本人は九十一歳で亡くなつてゐますので、百歳までは待つてもらへなかつたことになります。いづれにせよ、今の高齡化社會では常識化したやうなことばになつて來ました。
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2020年09月23日

日本語ウォッチング(32) 織田多宇人

他人(ひと)はいざしらず
 「他人はいざしらず、僕は・・・」とか「地方出身者ならいざ知らず、東京のど眞ん中に住んでゐる貴方が・・・」等といふ言ひ方をよく目にするが、この「いざ」は「いさ」でなくてはならない。「いざ」と言つたり書いたりする人のはうが多いやうであるが、間違ひは間違ひである。
 小倉百人一首の中に、紀貫之の「ひとはいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける」といふ一首があるが、この「いさ」と「いざさらば」「いざ鎌倉」と言ふ時の「いざ」とは意味が違ふ。「いさ」は「どうだかよくわからないが」といふ意の副詞で、あとに「知らず」のやうな打消の語が來ることが多い。「いざ」は「さあ」とか「どれ」とか、他人を誘つたり、何かを始めようとする時に發する語である。
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