2020年10月03日

數學における言語(61) 戰後と私の心象風景(T)

 前囘まで「伊東靜雄と戰後」について述べてきましたが、本連載も60囘を數へ、いよいよこれから「中世の神學論爭と數學」の問題を扱つてみたいと考へてゐます。しかし、ここまでいささか堅苦しい話の連續、讀者の方々もお疲れになつたのではないか,と正直恐縮してをります.そこで,今囘から6囘にわたつて“幕間”といふことで,私自身の「戰後問題」について,少し語つてみたいと思つてゐます。と言ふのも、「なぜ日本文化に數理哲學の歴史がなかつたのか」といふ私の少年時代以來の疑問と、「戰後憲法に象徴される日本文化」の問題とが、いつしか私の中で絡まり、重なつていつたからです。端的に申せば、それは「論理の問題」なのです。
 私はもともと、政治や法律に興味があつたわけでもなく、またその方面の專門家を志したこともありません。したがつて、これから語ることは、憲法や法律の專門家からみれば、ど素人の戲言、たわいもない子供の感想文、と受け取られるかもしれません。しかし、幸か不幸か、實は、私の誕生日は「憲法記念日」であり、憲法といふものには比較的早くから關心を抱くやうになりました。そして、しだいに「日本國憲法」に疑問を持つやうになり、その疑問は歳を重ねるにつれて肥大化し、遂には、憲法に烈しい嫌惡感さへ抱くやうになりました。
 いまでもはつきりと覺えてゐますが、戰鬪機や軍艦、戰車などのプラ模型を作つて「戰爭シミュレーション」をして遊んでゐた小學2年生の私に、「ケンパフによると日本はもう戰爭できないんだ」と話してくれた、譯知りを氣取る同級生がゐました。もちろん私は、その意味がよく呑み込めず、少なからぬショックを受けたことを記憶してゐます。これは後で知つたことですが、その同級生の兩親は創價學會の會員であり、おそらく親から「戰爭放棄」のことを聞かされ、それを私に教へてくれたものと思はれます。私が「ケンパフ」に違和感を抱いたはじめでした。
 小學5、6年になると、「主權在民(國民主權)、基本的人權の尊重、平和主義」といふ日本國憲法の3つの特徴を覺えさせられます。實際、これは小學の社會科の試驗にも出されますし、讀者の方々も同樣の經驗をお持ちではないかと思ひます。かうした、3本の柱を難なく記憶する同級生もゐましたが、小學生の私は、この3つの御題目を鵜呑みにし、覺えることに強い抵抗を感じました。小學5、6年の頃といへば、この連載でもすでに紹介した『ピタゴラスから電子計算機まで』といふ本に熱中し、古代希臘の論證の文化に淫してゐた時期で、記憶力の惡い私は、苦手意識も手傳つて「鵜呑みして覺える」といふことに強い嫌惡感を抱いてゐたのです。この3つの柱のうち、なんとなく分かつた氣になれたのは「平和主義」で、それは要するに「戰爭をしない」と理解されましたが、しかし「主權」も「人權」も、小學生の私には理解できない概念でした。私は父親に「主權在民とはそもそもどういふことか」と質問したことがありますが、父の尤もらしい答へには納得できませんでした。
 中學3年の社會では「政治や經濟」について學びますが、憲法「前文」や例の「9條」も暗記させられ、これも嫌な思ひ出として殘つてゐます。いまから25年前、「現憲法への長年の違和感」と題して『This is 読売』といふオピニオン誌の投稿欄に私は以下のやうな文章を書いてゐます。
 自慢ではないが、中學三年の時に憲法を讀まされて以來、私はこの憲法が嫌ひだつた。とくに「前文」と「第九條」はよく分からない。「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、「武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄」する、とは一體どういふことか。

 そして、「皮肉にも憲法記念日が誕生日の私は、この憲法を『何とおめでたいことか』と、密かに笑つたものだ」と續けてゐます。要するに、自國の安全を他國の善意に委ね、「武」そのものを否定することが、どうしても屈辱的に感じられたのです。   (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 10:28| Comment(0) | 河田直樹