2020年11月21日

日本語ウォッチング(34)  織田多宇人

的を得ていない
 「そのやうな非難は的󠄁を得てゐません」といふやうに言つたり書いたりするのをよく見聞きする。「的󠄁を得てゐない」とは「的󠄁を手に入れてゐない」といふことになつてしまふ。勿論「的󠄁を射てゐない」としなければならない。
 「中」といふ漢字には「あたる」といふ訓があり、「的󠄁中」は「的󠄁にあたる」ことで、「的󠄁を射る」とは矢が的󠄁中することに外ならない。同情󠄁的󠄁に解釋すれば、道󠄁理にかなふことを「當を得る」と言ふが、「的󠄁」と「當」を取り違󠄂へたのかもしれない。
posted by 國語問題協議會 at 00:16| Comment(0) | 織田多宇人

2020年11月14日

かなづかひ名物百珍(3)「信夫文知摺石(鏡石)」/ア一カ

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 s市山口の安洞院(文󠄁知摺觀音普門院)に、夜泣き石や綾形石と共にある。百人一首「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに亂れそめにし我ならなくに(左大臣源融)」の悲戀の歌枕とも、實際にこの石で染色したとも傳へる。古くより文人の興味をひき、『奧の細道󠄁』にも「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」の句がある。『大日本地名辭書』岩代國信夫郡の條3928ページに詳しい。
かな百003文知摺b源融.jpg
 「もぢずり」は信夫郡の古い染織で、技法は絕えて傳はらない。{捩󠄁花󠄁}(ねぢばな)を石にすりつけ染めたものとか、織目がよぢれてゐるからなど樣々いふのは、つまり確かなことはわからないのだらう。また「しのぶずり」や、また伊勢の「{津綟󠄁子}(つもじ)」とは別種との說明も見かけた。
かな百003文知摺c捩花.jpg
 漢字は「綟󠄁摺」「毛地摺」「文知摺」「文字(もじ)摺」など多彩󠄁だが、「ねぢる」「もぢる」に由來する事は確實なので「ぢ」が適󠄁切だらう。確かに「捩󠄁花󠄁(Spiranthes sinensis var.amoena)」の花󠄁は莖の周󠄀圍をぐるぐると囘ってゐる。ちなみに「ねぢ(螺旋)」も「捩󠄁づ」の連用形の名詞化󠄁だが、宛字の「捻子」に振假名をつけるとすれば「ねじ」とせざるを得ない。それは上述󠄁の「津綟󠄁子(つもじ)」も同樣である。
posted by 國語問題協議會 at 09:24| Comment(0) | 高崎一郎

2020年11月07日

數學における言語(62) 戰後と私の心象風景(U)

 「團塊の世代」とは、昭和22年から24年(1949年)までに生まれた人たちを指す言葉で、私自身は彼等よりおよそ5年遲れの昭和28年生まれ。彼等は、いはゆる「戰後民主󠄁主󠄁義ヘ育」によつて成󠄁長した人たちで、「ベトナム戰爭反對、70年安保鬪爭、淺間山莊事件」などで世間を騷がせた「最後の全󠄁共鬪世代」でした。米ソ冷戰時代のさなか、ヘルメットを被りと角材や鐵パイプを持つて大學構󠄁內を練り步いてゐた學生たちのテレビ映像を、私は昨日のやうに思ひ出します。全󠄁共鬪の一部の學生が東大安田講󠄁堂を占據し、東大入試が中止されたのは昭和44年(1969年)のことでした。
 私はこの年の春に中學を卒業しましたが、もともと現實政治には興味關心のない人間で、いはゆる當時の「學生運󠄁動」にも何の共感もありませんでした。しかし、前󠄁囘述󠄁べたやうに、中學で學んだ「九條」の、「國權の發動たる戰爭を永久に放棄」し、この「目的󠄁を逹󠄁するための、陸海空軍その他の戰力は保持しない」といふ文言には、論理的󠄁矛盾を强く感じてゐました。言ふまでもなく、中學生だつて「自衞隊󠄁」(私はこの言ひ方が當時から好きではなかつた)といふ存在は知つてゐたからです。いや、「戰力を保持しない」といふ、この絶對平󠄁和主󠄁義とも言ふべき構󠄁へに對する極私的󠄁違󠄂和感が、この矛盾を私の意󠄁識の表層にあぶり出していつたのかもしれません。すでに小學高學年の頃から、憲󠄁法の“公理”とも言ふべき「前󠄁文」の人間認󠄁識に、私はうすうす嫌󠄁惡感を抱󠄁いてゐました。理由は簡單です。私自身が、自分の中に「惡」を感じてゐましたし、さうであるならば「戰爭は絶對になくならない」と思つてゐたからです。
 私にとつて、憲󠄁法の問題とは、社會的󠄁政治的󠄁なものではなく、あくまでも、まつたく個人的󠄁な「人間認󠄁識」に關する問題です。私は、「性惡說」にも「性善說」にも與する者ではありませんが、しかし、その無邪󠄂氣な人間認󠄁識は、いつたいどこから生まれてくるのでせうか。 
 それにつけても思ひ出されるのが、大東亞戰爭における敗北と59囘目でも觸れた「WGIP」による戰後の「閉ざされた言語空間」のことです。江藤󠄁淳には『閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本』といふ有名な著作がありますが、これは昭和57年(1982年)から昭和61年(1986年)にかけて、月刊誌『諸君!』に發表されたもので。批評󠄁家江藤󠄁淳の面目躍󠄁如たる勞作です。しかし、私の讀後感は「そんなこともあるだらうな」といつた程󠄁度のもの、むしろ私にとつて不思議だつたのは、理由がなんであれ、戰後の日本人がその「閉ざされた言語空間」に安住󠄁してきたといふ事實でした。1990年、「灣岸戰爭」が始まつたとき、私は「人を出さなかつた」日本の對應に苛立ちながら、『諸君!』の投稿欄に「自らの『汚れた手』」と題して、以下のやうな文章を書いてゐます。
 戰後四十五年間、米國に對する甘えた怨念の中で、日本は知的󠄁惰眠を貪りに貪つてきた、などと今さら確認󠄁する氣など毛頭起󠄁きないが、この國の大多數の人々は「戰爭はつひになくなるもの」と本氣で信じてゐるのであらうか。それにしては、自分の生存のために胎兒を殺す「姙娠中絶」は相も變はらず盛󠄁んで、それはひとつの「戰爭」にほかならないと思はれるが、「中絶を法的󠄁に是認󠄁せよ」といふ人々に限つて「平󠄁和憲󠄁法」を盾に「反戰、反核」を聲高に唱和し、あまつさへ自分の「汚れた手」を忘󠄁れて、「惡を行ふのは國だけで、國民は常にその犧牲になり、それゆゑ國家自體(國家主󠄁權)も消󠄁滅させるべきだ」などと、臆面もなく主󠄁張して恥ぢない。さもあらばあれ、日本を嫉視するアジアの某國にこの國が侵󠄁略されたとしても、それを彈劾してくれる國は、世界中のどこを探しても見當たらなくなるだらう。

 巨󠄁額の金を據出しながら、奇天烈な言語空間の住󠄁人である日本人が感謝されなかつたことはよく知られてゐますが、問題は、その淺薄な非論理的󠄁人間認󠄁識にあつたと言ふべきでせう。ちなみに「アジアの某國」とは。言ふまでもなく「中國」のことです。(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 10:05| Comment(0) | 河田直樹