【今回の要󠄁約󠄁】
@傳統的󠄁な國語表記の實踐の敵は「意󠄁欲の減退󠄁」「完璧主󠄁義」「憎惡の風潮󠄀」です
A惡く言ふ意󠄁見に對處する方法は一つではありません
B傳統的󠄁な國語表記で讀みたい人は「私は讀める、讀みたい」とわざわざ言はない事が多いものです
【主な漢字の新舊對應表】
惡(悪) 圍(囲) 爲(為) 應(応) 假(仮) 會(会) 覺(覚) 學(学) 樂(楽) 勸(勧) 觀(観) 關(関) 氣(気) 既(既) 舊(旧) 擧(挙) ヘ(教) 經(経) 驗(験) 國(国) 濟(済) 參(参) 實(実) 收(収) 處(処) 乘(乗) 讓(譲) 數(数) 戰(戦) 踐(践) 屬(属) 體(体) 對(対) 澤(沢) 單(単) 遲(遅) 傳(伝) 當(当) 讀(読) 發(発) 變(変) 襃(褒) 默(黙) 譽(誉) 樣(様) 來(来) 勵(励)
■實踐の前󠄁に立ちはだかるハードル
前󠄁回說明したやうに、傳統的󠄁な國語表記は現代でも生きてゐます。コンピュータで書くのであれば、より便利な道󠄁具󠄁もあります。それでは書き方を憶えて、どんどん書いていきませう。それが文化󠄁活動ですよ……と言ひたいところですが、その前󠄁に說明󠄁しておきたい事があります。
ネガティヴな話題なので、こんな事を言はずに濟むならどんなに幸せか知れません。しかし、傳統的󠄁な漢字やかなづかひを「現代の言葉」として書く人が大抵遲かれ早かれ直面する問題です。突然問題に遭󠄁遇󠄁して慌󠄁てるよりも、あらかじめ心の準備が出來てゐた方が良いでせう。
前󠄁回の最後に出した質問ですが、傳統的󠄁な國語表記を使って書く上でのハードルは何でせうか。「漢字やかなづかひを憶える事」でせうか。「コンピュータでの入力環境の構󠄁築󠄁」でせうか。もちろんそれも含まれますが、他にもあります。
まづは「意󠄁欲の減退󠄁」です。私逹󠄁は學校や會社をはじめ、あらゆる場所󠄁で「新漢字・現代仮名遣い」を日常的󠄁に使ってゐますし、はっきりと、または暗󠄁默のうちにその表記で書く事を求められてゐます。傳統的󠄁な國語表記を憶えたところで、「實踐の場」がないと、書く意󠄁欲を無くしてしまふ事になります(經驗者は語る)。幸ひ、現代は「インターネット」と云ふ便󠄁利な道󠄁具󠄁があります。傳統的󠄁な國語表記で讀みたい・書きたい仲間がきっと見附かりますし、「誰かが讀んでくれてゐる」事がわかるだけでも勵みになるはずです。
次󠄁に「完璧主󠄁義」です。「明󠄁治の文豪みたいに傳統的󠄁な國語表記で立派な文章を書けるやうになってから、本氣出して色々な作品を書いてみる」と考へてゐませんか。
でも、ちょっと考へてみて下さい。プロのサッカー選󠄁手が「俺みたいに上手なプレーが出來るやうになってから、サッカーを始めろ」、プロのミュージシャンが「私みたいに上手な演奏が出來るやうになってから、樂器を始めろ」、英語のネイティヴスピーカーが「私みたいに上手に話せるやうになってから、英語を話せ」なんて言ってゐる樣子を見た事がありますか。そんな事を言ふ人がもしゐたとしたら、「これはただの反語表現で、自分󠄁はいいけど相手にはサッカーや樂器や英語を始めて欲しくなくて、意󠄁地惡を言ってゐるのだ、もしかしたら後の世代に自分󠄁の立場を奪はれたくなくて、嫉妬してゐるのかも知れない」と思はれても仕方ありません。本當は、サッカーなんてボールが蹴りたくなったその日から始めればいいんです。最初は失敗ばかりしても、やっていくうちにうまくパスしたりフェイントを掛けたりシュート出來るやうになつていきます。樂器も英語も同じです。
ところが不思議な事に、我が國では「完璧に書けないなら、下手に昔の漢字とかなづかひで現代の言葉を書いたりしない方が良い」と云ふ趣旨の事を言ふ人(中には古文に薗ハ󠄁した人もゐる)が少なくありません。でも、そんな事を言ってゐたら、いつまで經っても上逹󠄁しません。英語など語學と同じで「間違󠄂ひを恐󠄁れるな!」が合言葉です。英語のネイティヴだって子供の頃は澤山間違󠄂ひをして、それを直しながら徐々に憶えていきます。間違󠄂へた事に氣附いたら、憶えて次󠄁から正しく使へば良いだけです。
もう一つの意󠄁味での「完璧主󠄁義」にも氣を附けて下さい。それは「これから書く言葉の百パーセントを傳統的󠄁な國語表記に切り替へなければ、言行不一致になるのでは」と云ふものです。何らかの組織やグループに所󠄁屬してそこで何か書く場合には、(必要󠄁に應じて「ここは舊字や舊かなを採󠄁り入れても良いのでは」といふ提案をしたり、實際にそれが實行に移される事も時にあるとはいへ、)最終󠄁的󠄁にはグループで決まった方針を尊󠄁重しなければなりません。そこで無理な抵抗をする事は、私は決してお勸めしません。くれぐれも「無理なく可能な範圍で實踐」して下さい。「オール・オア・ナッシング」では、ちょっとしたつまづきで心が折れて「ナッシング」側に倒れやすいものです。
■傳統的󠄁な漢字やかなづかひの常用を惡く言ふ人もゐる
そして最大のハードルが「傳統的󠄁な漢字やかなづかひを現代語に使用する事」への「憎惡」がはびこってゐる事です。
幸ひ、我が國では「特定の國語表記で書いたり、それを子供にヘへると、發禁になって本が押收されたり、逮󠄁捕されたりする」と云ふ「政府によるあからさまな迫󠄁害󠄂」はありません。代りに、社會では「誤󠄁解を受󠄁けたり」「憎惡に晒されたり」「『自主󠄁的󠄁な取締り』を受󠄁けたり」して嫌󠄁な思ひをするのが日常茶事です。たとへばこんな具󠄁合です。
「言葉はコミュニケーションの道具なのに、みんなが[誰?]読みにくい旧字旧かなで書くなんて、相手に読ませる気がない独り善がりだ[要出典]」
「そんなに古い書き方が好きなら、カタカナ語は一切使うな、古文で書け、文語体で書け、漢文で書け、変体仮名で書け、万葉仮名で書け[なぜ?]」
「旧字旧かなで文章を書くなんて、まるで新字新かなで書く人が非難されている[要出典]みたいでいい気はしないね」
「戦前教育世代が旧字旧かなを使うのは仕方ないし、プロの作家がそれで書くのもいいけど、戦後教育世代の一般人が一生懸命真似をしたところで『痛い』ものにしか見えない[なぜ?]」
「言葉は時代によって変わるものなのに、時代の変化[いつ?]を受け入れずに古い書き方にこだわるのは賢明ではない」
「旧字旧かなで今時書くのは右翼くらいのものでしょ?[要出典] 柄が悪く見える」
等々……。「親切心から心配してゐる(ただし誤󠄁解してゐる事も多い)」場合あり、「誤󠄁解を元に反對してゐる」場合あり、「少數派を笑ひ物にしてゐる」場合あり、「戰後の國語改革は正しかったと云ふ結論ありき」の場合ありと樣々です。
そして、この種の意󠄁見に反論すると、こんな返󠄁事が來るのはお約󠄁束です。
「そういうとこだぞ(=いちいち反論するところが嫌われてるぞ)」
「私がこうやって正直な意見を言うのは言論の自由なのに、それにいちいち突っかかってくるのは言論の自由の侵害だ!」
「私は旧字旧かなは愛するが、旧字旧かな信者は駄目だ。旧字旧かな信者自身がこんな風に旧字旧かなの評判を損ねていて、あなた方の界隈から人が離れていく[要出典]原因を作っている。それが嫌なら、そんな人を排除する自浄作用を働かせろ」
■どのやうに對處するか
傳統的󠄁な國語表記が「『古風で非日常的󠄁』の枠內で大人しく」してゐる限り、文句を言ふ人も少ないものです。ところが、その枠を越えて「現代の日常語としての傳統的󠄁な漢字・かなづかひ」を書くと、途󠄁端にこの種の反對意󠄁見に遭󠄁遇󠄁します。
これらの意󠄁見にどう對處すべきでせうか。こちらが讓步した方が良い場合、誤󠄁解を解くための說明󠄁をする方が良い場合、失禮な發言を止めるやう毅然と對處した方が良い場合、挑撥に乘らず無視した方が良い場合と、時と場合によって、適󠄁切な方法は異なります。たとへば同じ「旧字旧かなは読みづらいので普通に書いてください」でも、本氣で讀みづらい場合もあれば、本當は讀めるのに相手を困らせる爲にわざと讀みづらいふり(本當に讀みづらいはずの人から何故か一分󠄁以內で返󠄁事が來る等)をする場合もあり、當然ながら對應はそれぞれ異ります。前󠄁者の場合は配慮が必要󠄁でせうが、後者に下手に配慮したところで「所詮その程度なのか」「それでやめるなんて言行不一致」だの何だのと揚げ足取りされる位が關の山です。
「變化󠄁球を投げる」、たとへば「いきなり反論するのではなく、まづは相手の觀察力の銳さを襃めたり、同意󠄁出來る部分󠄁だけは同意󠄁してみる」のも手です。「カッコつけて旧字旧仮名で書いてるくせに、右から左に書かないなんて間違った書き方だ」と馬鹿にされたら、「右から左への書き方がある事をよくご存じですね」と襃めてみては如何でせうか。その後、どこでその書き方について知ったのか尋󠄁ねてみたり、實際には算術󠄁のヘ科書をはじめ左から右に書く事も明󠄁治時代から既に多かった事を說明󠄁出來るでせう。
勿論、「この種の文句をなるべく見聞きしないやうにする」と云ふのも一つの選󠄁擇です。それでも、どこかでうっかり見聞きしてしまふ事はあります。相手に直接反論するしないに關はらず、「自分󠄁としてはその意󠄁見に同意󠄁するのかしないのか、もし同意󠄁しないならどう考へるのか」と、あらかじめ「理論武裝」しておく事を強くお勸めします。下記はその參考になりさうなウェブサイトの一部です。
國語ゥ問題 質問と回答(國語問題協議會)
歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁事始め(市川浩さん)
國字問題Q&A(野嵜健秀さん)
正字正かな質問箱(拙作)
正字正かな質問箱 (名賀月󠄁版)
正字正かな質問箱 (heitotsu版)
■傳統的󠄁な國語表記で讀みたい人は「讀みたい」とアピールしない事が多い
「あなたのお仲間以外、誰も讀む人なんてゐない」かのやうに年中言はれてゐると、まるでそれが本當のやうに思へてしまひますが、本當は違󠄂ひます。
歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁を讀めるツイッター利用者は何千人單位で存在する(ツイッターだけでもこれですから、インターネット全󠄁體や日本全󠄁體で見ると更󠄁に多いだらう事が容易に想像出來ます)
「傳統的󠄁な國語表記に文句を言ってくる人」が目立つ一方、「むしろその表記で讀みたい人」はわざわざ「自分󠄁は讀めます、讀みたいです」とアピールする事がほとんどありません。文句を言ふ人も、「むしろその表記で讀みたい人」が多い事を知らない場合があります。その事を決して忘󠄁れないで下さい。その表記を讀む側も、機會があれば「自分󠄁は讀んでゐる」アピールを何らかの形で努めて行ふなら、書き手も自信が附くでせう。
時には社會の「はみ出し者」扱󠄁ひされがちな、毀譽襃貶(きよほうへん)相半󠄁(あひなか)ばする國語表記ですが、これも大切な「日本の文化󠄁」です。過󠄁去の表記としてであれ、現代の表記としてであれ、適󠄁切な機會があれば今でも是非活用したいものです。
次󠄁回から、傳統的󠄁な國語表記にまつはる誤󠄁解の具󠄁體例を擧げながら、傳統的󠄁な國語表記の本質――國語のこゝろ――に少しづつ迫󠄁っていきます。
2020年12月31日
國語のこゝろ(3)「毀譽襃貶相半󠄁ば」/押井コ馬
posted by 國語問題協議會 at 22:28| Comment(0)
| 押井コ馬
2020年12月26日
日本語ウォッチング(35) 織田多宇人
耳ざはりのよい言葉
最近󠄁、「耳ざはりのよい言葉」といふ言ひ方を時々耳にすることがある。「耳ざはりのよい」とはよく考へてみると妙な言ひ方である。漢字で書くと「耳障り」と書き、意󠄁味は耳に聞いて不快な感じを與へることである。「さわる」には「觸る」と「障る」があり、前󠄁者は單に「ふれる」の意󠄁だが、後者は「惡く作用する、障碍となる」の意󠄁で、病氣に障るは「病氣によくない」ことを意󠄁味する。從つて、「耳ざはりのよい言葉」では「聞いて不快な感じを與へるのが良い言葉」となって、何のことか分らなくなつてしまふ。「目ざはり」にしても、目に不快な感じを與へることだから、決して「目ざはりのよい」とは言はないのである。
最近󠄁、「耳ざはりのよい言葉」といふ言ひ方を時々耳にすることがある。「耳ざはりのよい」とはよく考へてみると妙な言ひ方である。漢字で書くと「耳障り」と書き、意󠄁味は耳に聞いて不快な感じを與へることである。「さわる」には「觸る」と「障る」があり、前󠄁者は單に「ふれる」の意󠄁だが、後者は「惡く作用する、障碍となる」の意󠄁で、病氣に障るは「病氣によくない」ことを意󠄁味する。從つて、「耳ざはりのよい言葉」では「聞いて不快な感じを與へるのが良い言葉」となって、何のことか分らなくなつてしまふ。「目ざはり」にしても、目に不快な感じを與へることだから、決して「目ざはりのよい」とは言はないのである。
posted by 國語問題協議會 at 10:07| Comment(0)
| 織田多宇人
2020年12月19日
かなづかひ名物百珍(4)「鹽あんびん餠」/ア一カ
「鹵部」から直接「鹽(塩)」の字を引ける人はよほど漢和字典の達󠄁人であらう。「鹵+監(カム)=鹽(エム)」なのだから、「鑑」「覽」「艦」などと同じ文字構󠄁成󠄁なのであるが、そもそも「鹵(ロ)部」なる部首がある事すら氣づかないかもしれない。「塩」は「土偏󠄁」でござりますといふ話は『徒然草(第百三十六段)』で古來有名である。
「鹽」は海水鹽、そして「鹵(ロ)」は岩鹽を意󠄁味し、中央の「𠂭」はまさに掘り出された鹽の象形なのだといふ。ちなみに「胃」の本字は「𦞅」、「鬯」中の「𠂭」も入れ物の中にある食物、更に「𦳊」は「屎」の古字なのださうで、何につけごちゃごちゃ細かいもののを表してゐる。「卤」は「西」の古字で、「鹵」とは關係ない。

埼玉縣の加須市や久喜市に「鹽あんびん餠」といふ大るUがある。甘みのない鹽味で、一說に砂糖が貴重品であった時代の名殘りらしい。飽󠄁食の今はそこが卻って新鮮なのだらう。さて「あんびん」とは北京語「鹽餠(yán bǐng)」の訛といふから、じつは「鹽鹽餠餠」で「いにしへの昔の武士のさむらひ」の如き名前󠄁なのである。
「鹽」をアンと讀むのは不自然なやうだが、出雲市鹽冶(えむや)町は古事記や風土記に「止屋(やむや)」「夜牟夜(やむや)」とあるから、ア行でもをかしくはない。忠臣藏の「鹽冶の判󠄁官(つまりは淺野內匠頭)」はこの地に假託してゐる。「餠」が北京語で「bing」なのは、昨今のグルメ情󠄁報でご存じの向きもあらうか。
「鹽」は海水鹽、そして「鹵(ロ)」は岩鹽を意󠄁味し、中央の「𠂭」はまさに掘り出された鹽の象形なのだといふ。ちなみに「胃」の本字は「𦞅」、「鬯」中の「𠂭」も入れ物の中にある食物、更に「𦳊」は「屎」の古字なのださうで、何につけごちゃごちゃ細かいもののを表してゐる。「卤」は「西」の古字で、「鹵」とは關係ない。

埼玉縣の加須市や久喜市に「鹽あんびん餠」といふ大るUがある。甘みのない鹽味で、一說に砂糖が貴重品であった時代の名殘りらしい。飽󠄁食の今はそこが卻って新鮮なのだらう。さて「あんびん」とは北京語「鹽餠(yán bǐng)」の訛といふから、じつは「鹽鹽餠餠」で「いにしへの昔の武士のさむらひ」の如き名前󠄁なのである。
「鹽」をアンと讀むのは不自然なやうだが、出雲市鹽冶(えむや)町は古事記や風土記に「止屋(やむや)」「夜牟夜(やむや)」とあるから、ア行でもをかしくはない。忠臣藏の「鹽冶の判󠄁官(つまりは淺野內匠頭)」はこの地に假託してゐる。「餠」が北京語で「bing」なのは、昨今のグルメ情󠄁報でご存じの向きもあらうか。
posted by 國語問題協議會 at 20:30| Comment(0)
| 高崎一郎