2021年01月23日

日本語ウォッチング(36)  織田多宇人

敷居が高い
 令和元年度の文化󠄁廳の調󠄁査で「敷居が高い」の意󠄁味を調󠄁査したところ、正しい「相手に不義理などをしてしまひ、行きにくい」が29.0%、間違󠄂つてゐる「高級すぎたり、上品過󠄁ぎたりして、入りにくい」が56.4%だった。當然のことながら年齡が若くなる程󠄁間違󠄂つた意󠄁味に取つてゐる者が多い。平󠄁成󠄁20年度の調󠄁査では、各々42.1%、45.6%だつたから約󠄁10年間で間違󠄂つた意󠄁味に取る者がかなり揩ヲたことになる。
 同時に調󠄁査された「浮󠄁足立つ」の意󠄁味は、正しい「恐󠄁れや不安を感じ、落ち着かずそはそはしてゐる」が26.1%、間違󠄂つてゐる「喜びや期待を感じ、落ち着かずそはそはしてゐる」が60.1%だった。
posted by 國語問題協議會 at 00:00| Comment(0) | 織田多宇人

2021年01月16日

かなづかひ名物百珍(5)「志ほせ饅頭」/ア一カ

志ほ瀬饅頭
 日本の饅頭の發は、室町時代の初頭に歸化󠄁した宋人の林淨因がもたらしたものといふ。林淨因が奈良で興した店は今も東京の「鹽P總本家」として續いてをり、主󠄁力商品「志ほせ饅頭」には「志ほせ」の燒き印が押してある。應仁の亂のころ鹽P村(愛知縣新城市)に難を避󠄁け、以後は「鹽P」を名乘ったらしい。

饅頭塚
 奈良市內の漢國(カンゴウ)~社の境內に林(リン)~社があり、林淨因と田道󠄁間守(たぢまもり)を祀る。社前󠄁には饅頭を摸した饅頭怩ェあり、今も菓子業界の信仰が篤い。「ゴウ」は「コク(國)」の訛らしいから、假名遣󠄁はこれでよいだらう。

 寺院內の小院である「塔頭」を「タッチュウ」と讀むごとく、「ヂュウ(頭)」は唐宋音󠄁である。「トウ」も「ヅ」もタ行であるから、「ジュウ」とするのは感心できない。もともとこの「イュウ」音󠄁は、吳音󠄁や漢音󠄁では本來の日本語にない「ng」音󠄁の表現であった。その流儀なら「頭」は「ng」音󠄁が含まれないから「ヂウ」とすべきかもしれないが、時代の下った唐宋音󠄁では「ヂュウ」としてゐる。もはや「餃子」を「ゲウザ」と書いては滑稽なのである。

大手まんぢゅう
 「志ほせ饅頭」と共に日本三大饅頭の譽ある岡山の「大手まんぢゅう」も「ぢゅう」を守ってゐる。古式ゆかしい表現である。
posted by 國語問題協議會 at 00:00| Comment(0) | 高崎一郎

2021年01月09日

數學における言語(64) 戰後と私の心象風景(W)

 前󠄁囘、「戰後と私の心象風景」として2つの問題を提起󠄁しておきましたが、今囘は(2)の憲󠄁法の問題です。この問題を考へるとき、戰後最大の事件である昭和45年(1970年)11月の三島事件に觸れないわけにはいきません。しかし、勿論、私にはこの事件や三島由紀夫を論ずるだけの素養󠄁はありません。ただ、高校2年の夏休み、ある友人に「三島は太宰とよく似てゐる、そのうち自殺するかも」と話したことをはつきりと覺えてゐます。そして、三島自決後、その年の師走にその友人と再會し、その死に方に强い衝擊を受󠄁けながらも、「やつぱりね」と言つて不謹愼にも豫言的󠄁中(?)を“喜んだ”ものです。まことに、ふざけた話ですが、しかし、これが「學習󠄁院育ちの貴顯、天才作家三島由紀夫」に對する、平󠄁凡な田舍の高校生のシニカルな態度でした。
 文藝に無關心な私が、三島作品に本當の意󠄁味で强い關心をもつたのは、高校󠄁入學後に讀んだ『文章讀本』がきつかけです。すでにこのブログでも何度かこの本の文言を引用しましたが、そこでは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などの西洋文學との對比で、日本文學や日本語の特質が語られ、それは、私自身の「日本にはなぜ論證的󠄁な數理哲學の歷史󠄁がなかつたのか」といふ問題意󠄁識とぴつたり附合したのです。
 三島は、第二章で「われわれの言葉に對する考へでも安易な、すぐ建て直せるやうなものがどこかにひそんでゐ」て、それゆゑ「戰後行はれた言語の改革と稱するもの、制限漢字や新かな遣󠄁ひも、一片の法令で行はれるやうなさういふ改革は、日本人の革新といふことに對する安易さをよくあらはしてゐます」と的󠄁確に述󠄁べてゐますが、これは前󠄁囘紹介した下村寅太カの言葉を援󠄁用するなら「革新への幸bネ平󠄁坦さ」と言ふこともできます。數學といふ學問は、そこで用ゐられる「言語」が「すぐに建て直せる」などといふ安易な態度からは生まれません。言葉に對する宗ヘ的󠄁とも言へる絶對の信仰を共有してこそ、「論證」は可能なのです。「新かな遣󠄁ひ」も「憲󠄁法の論理的󠄁破綻」も、結局は、歷史の育んできた我々の言葉に對する構󠄁へに由來すると言ふべきなのかもしれません。
 三島のあの行動が、「憲󠄁法改正」を訴へて決行されたことはよく知られてゐます。實際、「檄」には、「われわれの愛する歷史󠄁と傳統の國日本を骨拔きにしてしまつた憲󠄁法に體をぶつけて死ぬ奴はゐないのか」とあります。また、「國家百年の大計にかかはる核停條約󠄁は、あたかもかつての五・五・三の不平󠄁等條約󠄁の再現であることが明らかであるにもかかはらず」ともあります。言ふまでもなく、憲󠄁法と核は表裏一體の問題です。
 その日、驛の賣店で新聞を購󠄂入、自殺を豫感してゐたとは言へ、實際にあのやうな苛烈な割󠄀腹自殺を目の當たりにすると、私は、うろたへ、言葉を失ひ、頭が混亂しました。三島は、ボディービルで體を鍛へ、寫眞の被寫體になり、やくざ映畫に俳優として出演、自作自演の映畫も制作し、自衞隊󠄁にも體驗入隊󠄁するといつたマルチ・タレント、常にマスコミの中心にゐて、世間の注󠄁目を浴びてゐた人でしたので、新聞に載つた識者たちのコメントも、毀譽襃貶さまざま、しかしその多くが好意󠄁的󠄁ではなかつたと記憶してゐます。
 私自身は、「經濟的󠄁繁榮にうつつ拔かし」とある「檄」に共感する一方で、三島の行動の是非については判󠄁斷できず、長い間、肯定と否定の兩極端の間を時計の振子のやうに、行きつ戾りつしてゐました。三島は、『小說家の休暇』(昭和30年)の最後に、次󠄁のやうに記してゐます。
 とにかくわれわれは、斷乎として相對主󠄁義に踏み止まらねばならぬ。宗ヘおよび政治における、唯一~ヘ的󠄁命題を警戒せねばならぬ。幸bネ狂信を戒めなければならぬ。現代の不可思議な特徵は、感受󠄁性よりも、むしろ理性のはうが(誤󠄁つた理性であらうが)、人を狂信へみちびきやすいことである。

 30才のとき書かれたこの文章を讀むと、15年後の三島の行動は、一體なんだつたのか、と問はずにはゐられません。次󠄁囘も(2)に關聯して三島について述󠄁べていきたいと思ひます。(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 00:00| Comment(0) | 河田直樹