2021年05月23日

日本語ウォッチング(41)  織田多宇人

嗚咽をもらす

 「おえつ」をもらすと言ふときに「鳴咽」と書く者が極めて多い。正しくは「嗚咽」でなければならない。「鳴」ではなく「嗚」である。この字の存在自體を知らない者が多いのではないか。「鳴」の字の音󠄁は「メイ」で訓は「なく、なる」であることは誰でも知つてをり、熟語の「共鳴、悲鳴、雷鳴」等は馴染のふかいものである。一方「嗚」の方は音󠄁が「オ」で訓はため息をつくときの「あゝ」である。「嗚」一字でも「あゝ」だが、「嗚呼」と書いても「あゝ」である。「嗚呼」が「鳴呼」となつてゐることが何と多い事か、嗚呼!
posted by 國語問題協議會 at 17:37| Comment(0) | 織田多宇人

2021年05月18日

かなづかひ名物百珍(8)「子w餅」/ア一カ

子福利餅
 奈良の菓子。享和二年(1802)の歲時記『俳諧新季寄』に
「粉ふぐり、大和餠搗きの用意󠄁に米粉・豆粉などを調󠄁しおくに、その粕をにあはし蒸して、鷄卵の如く丸め、したしき所󠄁、相互に贈るなり。粉󠄁ふくりと唱ふるは男子を賀する意󠄁とぞ」
とあるものを、近󠄁年復元したと聞く。

子福利餅b

 殘念ながら『俳諧新季寄』の原文を讀む機會を得てゐないが、典據はしっかりしてゐるやうだ。假名遣󠄁は「こふごりもち」でよいかと思はれる。漢字の「子w倬U」は新しい宛字で、なかなか上手にできてゐる。製品としても手間暇かけてゐるらしい。ぜひ味はってみたいものだ。
posted by 國語問題協議會 at 12:10| Comment(0) | 高崎一郎

2021年05月04日

數學における言語(67) 中世~學論爭と數學への序曲−宗ヘは必要󠄁か(T)

 いはゆる“中世”とは、古代と近󠄁世とを結ぶ「中間の時」といつたほどの意󠄁味で、中世史家のジャック・ル=ゴフ(Jacqes Le Goff,1924〜)の『中世とは何か』(藤󠄁原書店)には、「1950年代の西洋の傳統的󠄁な時代區分法によれば,476年に始まり,1492年に終󠄁はる」といふ記述󠄁が見られます。476年は西ローマ帝󠄁國末期󠄁のゲルマン人傭兵隊󠄁長のオドアケル(430年頃〜493)が最後のローマ皇帝󠄁を退󠄁位させた年(西ローマ帝󠄁國滅亡󠄁)で、一方1492年とは言ふまでもなくコロンブスがアメリカ大陸を發見した年です。人間の歷史を「古代、中世、近󠄁世、近󠄁代(あるいは現代)」の4つに區分してみせたのは、ハレ大學の歷史學者C・ケラリウス(Christophus Cellarius、1630〜1707)をもつて嚆矢とする、と言はれてゐて、私も中學、高校でかうした歷史區分に從つて世界史のみならず日本史の授󠄁業もヘはりました。しかし、私自身は歷史家ではなく、實はかうした時代區分にはほとんど興味がありません。私のやうな歷史の素人にとつては、“中世”とは西曆500年から1500年までのおよそ1000年の時間、といつた程󠄁度の認󠄁識で十分です。では、なぜ中世なのか?
 私の幼稚な歷史的󠄁風景では、“中世”とは
人間が~の存在證明に眞つ正直に沒入した時代

であり、數學においては、それは
平󠄁行線の第五公理の證明に執拗に挑戰した時代

だと感じられるからです。そして「~の存在證明」と「平󠄁行線の公理の證明」に立ち向かふ人間拐~や知性の根源にあるものが、同質のもの、かう言つてよければ相似形の協奏曲に思はれるからです。これから、私が「中世~學論爭と數學」について考へていくゆゑんです。
 私にとつて、中世は「すでに過󠄁ぎ去つた遠󠄁い時代の風景」ではありません。むしろ中世は、現在進󠄁行形の生々しい時間であり、いまも私自身がそこで息衝いてゐる瑞々しい場所󠄁だと感じられます。滑稽かもしれませんが、したがつて私は若い頃から「時代遲れ」とか「もはや古い」といつた言葉の意󠄁味がよく理解できないできました。G・K・チェスタトン(1874〜1936)は『正統とは何か』で、「私は自分の哲學を子供部屋で學んだ」(4章おとぎの國の倫理學)と述󠄁べてゐますが、私自身も「~學や數學の問題」は、すべて“子供部屋”で育んだもので、それらは謂はば「おとぎの國の論理學」でした。私にとつては、中世の“おとぎ話”は、“歷史”として觀想されるべき學問的󠄁對象ではないのです。
 私が「~の存在證明」といふことを明確に意󠄁識したのは、高校1年の夏休みに讀んだバートランド・ラッセル(Bertrand Russell、1872〜1970)の『宗ヘは必要󠄁か(Why I am not a Christian)』(荒󠄁地出版社・大竹勝󠄁譯)が切つ掛けです。生意󠄁氣盛󠄁りの數學少年の私は、それまでラッセルの『數理哲學序說』(岩波文庫・平󠄁野智治譯)を讀んでいたく感動し、その同じ著者の書いた“宗ヘ本”に大いなる興味を抱󠄁いたのです。
 冒󠄁頭、「キリストヘを信じるとはどういふことか」、また「キリストヘ徒とは何か」の解說があり、そのすぐ後に「~の存在」の章が續いてゐて、その“證明法”として、「@第一原因による證明法、A自然の法則による證明法、B~の意󠄁向による證明法、C~のための道󠄁コ的󠄁證明法、D不公平󠄁の償ひとしての證明法」といふ、五つの證明法が語られてゐます。私がもつとも強い興味を持つたのは@で、ラッセルは少年時代、この證明法を肯定してゐましたが、18歲のときJ・S・ミル(1806〜1873)の自敍傳を讀み、そこに以下のやうな文章を發見して、この證明法が誤󠄁謬であると悟つた、と述󠄁べていひます。
 私の父は「誰が私を造󠄁つたか」といふ問題には答へられないといふことを私にヘへた。なぜならばその問題は、たちどころに「誰が~を造󠄁つたか」といふ、さらにもう一つの問題を暗󠄁示するからである。

 すでにこれと同種の議論(兼󠄁好『徒然草』、トマス『~學大全󠄁』)は、このブログで紹介しましたが、ラッセルもまた若き日に、兼󠄁好やトマスと同じ議論に思ひを馳せてゐたのです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 11:50| Comment(0) | 河田直樹