2021年08月28日

日本語ウォッチング(44)  織田多宇人

片輪
 身體の一部に缺損があることや、その缺損を持つ人を「片輪」と書く人がかなり多い。正假名遣󠄁(歷史的󠄁假字遣󠄁)では「かたは」だから「片端」が正しいだらう。兩方とも認󠄁めてゐる國語辭典が多いやうだが、『廣辭苑』では「片輪」は、「車の片方の輪」としか記されてゐない。もつとも此の言葉は「差別用語」になるかもしれないので、「身體障害󠄂者」と言ひ換へて餘り使はれてゐないかもしれない。「めくら」も「差別用語」として扱󠄁はれてゐるが、モノづくりの分野では「貫通󠄁してゐない穴󠄁」と言ふ意󠄁味の「めくら穴」が」ないと困るのだが。
posted by 國語問題協議會 at 20:30| Comment(0) | 織田多宇人

2021年08月23日

かなづかひ名物百珍(11)「姨捨󠄁山(をばすてやま)」/ア一カ

姨捨山a
姨捨山b
姨捨山c

 長野縣の冠着山。古くより棄老傳說と結びつき、俗稱の「姨捨󠄁山」で名高い。篠ノ井線には「姨捨󠄁」驛もある。近󠄁年では深澤七カ著『楢山節考』(昭和三十一年)で再び注󠄁目された。ただしさういふ實態は無かったとして、否定的󠄁な硏究も多い。
姨捨山d楢山節考
 高齡者の意󠄁味なら「おば」の方ではなからうかといふ疑問がよぎる。伯叔父母、つまり父母の兄弟姉妹はもちろん「を(小さい)ちち(父)・はは(母)」で「をぢ」「をば」である。しかし「おほ(大)ちち(父)・はは(母)」から變化󠄁した「おほぢ(祖父)」「おほば(祖母)」といふ言葉もある事を忘󠄁れてはいけない。

 「姨」は母方の「をば」を指す。父方の「をば」は「姑」であり、「姑捨󠄁山」の表記もあるやうだ。傳說の原型となった『大和物語』では「姑」を對象としてゐるので、なるほど「をばすて」なのだらう。

 しかし吉田東吾は『大日本地名辭書』(2389ページ)で、もとの山名である「小長谷(をはつせ)山」をもぢった架空の物語に過󠄁ぎないと論じ、「をばすて」に擬するのは「沙汰の限りにあらず」と罵ってゐる。百遍󠄁語れば眞實になってしまっては困る。ただし「小長谷」や「小初P」の變であるとすれば表記としては「をばすて」でよい傍證にはなるだらう。
posted by 國語問題協議會 at 22:15| Comment(0) | 高崎一郎

2021年08月15日

數學における言語(70) 中世~學論爭と數學への序曲−宗ヘは必要󠄁か(W)

 前󠄁囘は私流の“~”について述󠄁べましたが、それは極めて平󠄁凡で陳腐なものであり、實は多くの人と共有できる“~に對する漠然とした思ひ”ではないかと考へてゐます。それゆゑ、私はラッセルのやうに宗ヘは必要󠄁なし、と斷ずることができない人間であり、そのラッセルが第二次󠄁大戰後「反戰反核運󠄁動」の旗振り爺さんとして活躍󠄁することを知るに及󠄁んで、二十代の私はラッセルを“幼稚”だと感じ、ますます彼を嫌󠄁ひになりました。したがつて、sc恆存の「自由と平󠄁和−ラッセル批判󠄁」を讀んだときは、私は百萬の援󠄁軍を得たやうな氣持ちになり、一文、一文が心に沁みわたり、大袈裟に言へば狂喜したものです。
 恆存はこの論文で、シドニー・フックとラッセルの論爭を取り上げ、フックの反論の、次󠄁のやうな最後の言葉を紹介してゐます。
 「死せるライオンより生ける山犬の方がましだ」と言ふ。それは山犬にはましかもしれぬが、人間にとつてはましではない。人間として生き、もし必要󠄁とあれば人間として死ぬ用意󠄁のある者は、自由な人間として生殘り、山犬やライオンの兩方の運󠄁命を避󠄁けられる見透󠄁しをもつてゐる。

 これに對して恆存は、二人の對立を「自由より平󠄁和を(死よりは赤を)」(ラッセル)と「平󠄁和より自由を(赤よりは死を)」(フック)と標語化󠄁してみせ、しかしこの問題をさう簡單に割󠄀り切つていいものかと疑問を呈󠄁しながらも、フックの標語は「覺悟の表現」であるのに對して、ラッセルのそれは「飽󠄁くまでも現實に卽した論理的󠄁歸結であつて、現實を變へようとする覺悟に關はるものではない」と述󠄁べてゐます。私はこの的󠄁確な指摘を、“理”の原理原則を重視した「朱子學(林羅山、山崎闇齋)」に對する、實踐を重んじた「古學(伊藤󠄁仁齋、荻生徂徠)」からの批判󠄁のやうにも感じられます。よく知られてゐるやうに、尊󠄁王攘夷思想に基づく御一新の原動力になつたのは、水戶學に代表される「古學」でした。
 恆存はラッセルの“朱子學(合理主󠄁義)”を、「嫉妬や憎惡や利己心などの小惡魔󠄁が顏負けするやうな大惡魔󠄁」と皮肉り、その大惡魔󠄁は「常に~との支配權を爭ひ、~に屈從してゐた小惡魔󠄁を片端から自己の從屬化󠄁に繰入れようとして荒󠄁れ狂ふ」と述󠄁べてゐます。そして「その方法論が科學的󠄁リアリズム、『なしくづしの論理化󠄁』にほかならない」と指摘します。まつたくその通󠄁りで、ラッセルの「合理主󠄁義」には、朱子學の堅固な「理」に裏打ちされた「本然の性」への樂天的󠄁な(私流に言へば“非論理的󠄁”な)過󠄁信が根底にあり、したがつて、ラッセルの自由は單に平󠄁板な「實現する自由」であつて、「欲する自由」ではありません。何のことはない、私が言ひたいのは、人間にはそもそも自由など無く、その自覺に逹󠄁した時のみ自由を獲得する、といふことです。ラッセルは1934年にアリバイ作りのやうに「なぜ私は共產主󠄁義者でないか」といふ論文を發表してゐますが、「自由より平󠄁和を(死よりは赤を)」は、實は彼の無自覺な全󠄁體主󠄁義への陷穽と言ふべきでせう。恆存は書いてゐます。
 全󠄁體主󠄁義の原理はかうである。自由の現物化󠄁を實現するためには、可能性だけの自由は否定されねばならない。(中略)何が本當の自由であるかどうかは政府だけが知つてゐる。政治的󠄁正義、政治的󠄁眞理を知つてゐるのは政府だけである。そればかりではない。國民や人類の未來について、何が眞で何が善であるかを知つてゐるのも共產主󠄁義政府だけである。

 ラッセルは、第一次󠄁大戰中の反戰氣分󠄁から自由人D・H・ロレンスに近󠄁づいたさうですが、彼等の交友は一年餘りしか續かなかつたやうです。また、かつては師弟關係にあつたあのヴィトゲンシュタインとも第二次󠄁世界大戰後に決定的󠄁に袂を分かちます。さもありなむ、ヴィトゲンシュタインは生涯、眞に自由な立場から「人間の救ひのなさ」を直視し續けた言語哲學者でした。この二人のラッセルからの離反は、一體何を意󠄁味してゐるのでせうか。それは「物の原理に拐~を委ねた」ラッセルへの手嚴しい批判󠄁のやうにも思はれます。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 12:00| Comment(0) | 河田直樹