2021年11月28日

數學における言語(73) 中世~學論爭と數學への序曲−日本ヘ(V)

 ハビアンは「內なる自らの基準」について一切語らなかつたのか? 實はさうではありません。ハビアンはその著『キリシタン版 平󠄁家物語』でそれを試みてゐます。山本氏は、次󠄁のやうに述󠄁べてゐます。
 ハビアン自身がまず「伝統的な思想を輸入の思想に仮託して客体化し、それによって『知識』として自ら再認識し、理解し直したものをパードレに提供しようとしているのである。西欧ではこういう例は少しも珍しくなく、こうなるのが常態だといえるが、少なくとも日本では、相互作用の第一歩に至った非常に珍しい例である。

 そして山本氏は疉みかけるやうに、「では一体、彼は、いかなる基準に基づいて『平家物語』を再編し、同時に、仏・儒・神道・キリスト教を『破』していったのであろうか」と問ひかけてゐます。これについては「破文の思想」の<ハビアンの「人」と「世」>および「恩という意識」に直接當つて戴くのが一番ですが、要󠄁するに山本氏によればハビアンは『平󠄁家物語』を“恩=過󠄁分論”の立場から讀み解いてゐるといふのです。
 『平󠄁家物語』卷第一の「C水寺炎上」には、「平󠄁家以外(もつてのほか)過󠄁分(くわぶん)に候」などとあります。しかし、ハビアンは平󠄁家滅亡󠄁を「ゥ行無常、盛󠄁者必衰、風の前󠄁の塵」のやうな“思考抛棄”の天然自然現象とは捉へずに、そこに“人を人とも思はず世を世とも思はぬ者”、すなはち“過󠄁分(恩)”といふ“相互債務性”の均衡を崩󠄁した者が滅びる、といふ“原則(理)”を見てゐるのです。山本氏は「破文の基準」の節で、「ハビアンの『平家物語』における“恩”という考え方は、一種の“人間相互債務論”のようなものだ」と記され、さらに次󠄁のやうな指摘をされてゐます。
 「恩」とは「人間相互債務論」であっても「人間相互債権論」ではないことである。すなわち、人は「恩を受けた」と債務を感じなければならないが、「恩を施した」と権利を主張することは許されない。これは重盛の「天地の恩」という考え方によく出ている。

 平󠄁重盛󠄁(1138〜1179)は『平󠄁家物語』では、“平󠄁氏一門のきはめて良識的󠄁人物”(實際は疑問)として描出されてゐると言はれてゐますが、彼が後白河法皇を庇つて父・C盛󠄁を諫めた話は有名で、ために彼は楠木正成󠄁(1294〜1336)、萬里(までの)(かう)()藤󠄁房󠄁(1296〜1380)とともに“日本三忠臣”の一人として今に語り繼がれてゐます。しかし山本氏は、ハビアンの『キリシタン版 平󠄁家物語』の「登場人物の全員に忠誠(フェイス)(信仰)という積極的概念がなく、この点では、忠孝の象徴のように見える重盛も同様」であると指摘されてゐます。これは「日本ヘ」においては非常に重要󠄁な意󠄁味を持つといふべきで、「重盛の“忠”には積極的“信仰”の概念がなく、それは“人間関係=人間相互債務論”の結果」と述󠄁べられてゐます。そして、日本人の現實の行動基準はここにあり、それ故ハビアンは「人を人と思はぬ」バテレンを強く非難してそれを棄ヘしたといふわけです。
 山本氏の『日本教徒』は、さらにハビアンを通󠄁して「日本ヘ」の考察が進󠄁められるのですが、ここではこれ以上は深入りできません。ただ、最後に「~と人U」の節の以下の文章を紹介しておきたいと思ひます。
 ハビアンの『平家物語』には、絶対神という概念も、またそれに基づく地上の絶対君主という概念もない。天皇家も、後白河法皇も安徳天皇も、また清盛も頼朝も絶対君主ではない。ともに「ナツウラ(自然)の教へ」に支配され、理念としての血縁への忠誠と受恩の義務を守ることを要請される点では平等の存在であった。

 すでにこのブログの16囘目でsc恆存の「私たち日本人には、絶對性といふ槪念がない」といふ言葉を紹介しましたが、私たちは垂直的󠄁な絶對~ではなく、今も水平󠄁的󠄁な義理・人情󠄁の“信者”なのでせう。その意󠄁味では、ハビアンは「最初の近代的な『日本教徒』の祖と見なされるべき人物」なのです。そして、山本氏が『日本人とユダヤ人』で述󠄁べられたやうに、アッシジのフランチェスコが基督ヘの聖󠄁者(セント)であつたとすれば、“日本教を体現した聖者は西郷隆盛”といふ指摘にも、妙に納󠄁得させられるところがあるのです。     (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 17:30| Comment(0) | 河田直樹

2021年11月20日

國語のこゝろ(12)「『正字=康熙字典體』とは限らない」/押井コ馬

【今回の要󠄁約󠄁】
@活字體と書寫體で形が違󠄂ふ場合もあれば、活字體と書寫體でほぼ同じ形だが、それと別に略字體ができた場合もあります
A「正漢字」「本漢字」と「康煕字典體」は100%同じものではありません
B「略字を排除」ではなく「略字の無闇な正字化󠄁に反對」します

【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 體(体) 寫(写) 對(対) 舊(旧) 應(応) 專(専) 樂(楽) 學(学) 點(点) 實(実) 踐(践) 眞(真) 圍(囲) 氣(気) 單(単) 龜(亀) 隸(隷) 雜(雑) 殘(残) 變(変) 讀(読) 參(参) 屬(属) 從(従) 來(来) 戰(戦) 區(区) 畫(画) 數(数) 佛(仏) 兒(児) 當(当) 淺(浅) 圈(圏) 擧(挙) 嚴(厳) 藏(蔵) 續(続) 獻(献)

■「舊字を『正字』と呼んで日常使ひするのを憎む」專門家がゐる
 前󠄁々回(第10回)は、「本(もと)の字を知れば漢字が樂しい」と題して、傳統的󠄁な漢字を學ぶ利點を扱󠄁ひました。
 それでは、それらを早速󠄁學んで、時々書いてみませう。實踐も憶える早道󠄁ですよ……と言ひたいところですが、ここでお決まりのやうに登場するのが、見るからに「漢字のエキスパート」。早速󠄁こんな「有難い助言」をいただく事になります。
[真の字の用例]
 「あなたが『正字』とか『本字』と呼ぶ『康煕字典體』は、漢字の長い歷史の中でたった三百年ちょっとの歷史の淺い字で、漢字の傳統でも何でもないんです。たとへば『眞』の字が昔の文章でどう書かれたか、實際の文字を集めたこの資󠄁料をご覽なさい、ほとんど今の新字と同じ字で書かれてゐますよね。舊字は古風で非日常的󠄁な雰󠄁圍氣を味はふなら良いのですが、それを『正しい』と極(き)め附けるのは適󠄁切ではないんです」。
 皆さんは、このやうな意󠄁見にどう答へますか。

↓ここで調󠄁べてみませう
拓本文字データベース
史的文字データベース連携検索システム

■活字體と書寫體で形が違󠄂ふ場合
 さて、この資󠄁料そのものは正しいですし、この「眞」の字が「昔の文章ではほとんど今の新字と同じ字で書かれてゐる」といふ部分についても、實は正しいのです。
 「あなたは舊字を擁護するんでせう? そんな事言っていいんですか?」
 まあ、まあ、あせらないで下さい。現實は一言で說明できるやうな簡單なものではなく、ちょっと込󠄁み入ってゐます。順を追󠄁って說明します。
[漢字書体の歴史_眞]
 龜の甲羅や牛の肩󠄁甲骨に彫󠄁って書いた「甲骨文字」が現代の漢字の元になったといふのは皆さんも學校で習󠄁ったことでせう。そこから篆書、隸書、楷書、明朝󠄁體と新しい字體が育っていきました。
 篆書以降の系統は「篆書寄り」の字體と「隸書寄り」の字體の大雜把に二つに分けられます。篆書は現代でもハンコで生き殘ってゐることからわかるやうに、「彫󠄁る」ための字體でした。速󠄁く書くのには適󠄁してゐないので、後に線を簡略化󠄁(隸變)して速󠄁く書ける「隸書」が生れ、現代の私たちが日常讀書きしてゐる楷書も明朝󠄁體も、この隸書の子孫と言へます。

 ところが、特に明朝󠄁體による漢字字典「康煕字典」が登場して以來、一部の字は隸書や楷書と異る道󠄁を步み始めました。「篆書への先祖返󠄁り」です。もちろん、篆書みたいにくねくね複雜な字體に戾るのではなく、「篆書の文字の作りを參考にしながら明朝󠄁體風にアレンジする」といふ意󠄁味です。篆書による漢字字典「說文解字」などを參考に「元の字をたどって正しい字形を追󠄁求」する試みだったと言はれてゐます。「康煕字典」に揭げられた漢字の字體(康煕字典體)は、後に金屬活字の標準字體として一般的󠄁になりましたが、かうして一部の字は從來の楷書と形の違󠄂ふものとなりました。

 とはいへ、活字體に康煕字典體が普通󠄁に使はれてゐた戰前󠄁の日本では、「活字體と書寫體は違󠄂ふ」といふのが「世間の常識」でした。まるで現代の人名漢字で「真」と「眞」をことさら區別して使ふのと同樣の事はせず、「どちらも交換可能な同じ字」とみなして讀み書きしてゐました。印刷所󠄁の活字は「眞」の形でしたから、作家が原稿用紙に「真」と書かうが「眞」と書かうが、印刷物では「眞」の形で印刷されました。

 「あれ? 戰前󠄁生れのおぢいちゃん、おばあちゃんが『真』を『眞』と手で書いてゐるのを見た事があるけど?」とお思ひの方、とても銳いです。實は、楷書で手書きする時も「眞」の形の字が使はれなかったわけではないのです。戰前󠄁の小學校のヘ科書はヘ科書體が使はれましたが、明朝󠄁體と違󠄂ふ傳統的󠄁な楷書の形で書かれた字もあれば(例:之繞は活字體のやうな二點之繞ではなく、現代のヘ科書體と同じく一點にくねる形だった)、この「眞」のやうに活字體を楷書化󠄁した字もありました。

 さて、戰後の昭和二十四(一九四九)年に「当用漢字字体表」が內閣吿示され、畫數を減らしたり活字體を書寫體に合せた新字體が普及󠄁していきました。その時以降、「眞」の字は活字體でも、書寫體と同じ「真」の字で作られ印刷されるやうになって現代に至ります。

■活字體と書寫體で形が同じだが、略字體が出來た場合
 「それ見ろ、康煕字典體は隸書や楷書の傳統と相容れない字體を持ち込󠄁んだもので、傳統でも何でもない。『作られた傳統』だ」。一部の方はさうおっしゃるかもしれません。
 しかし、戰後の新字體は「これだけで說明できる」やうな單純なものではないやうです。次󠄁に「佛」の字が昔の文章でどのやうな形で書かれてゐたのか、同じやうに調󠄁べてみませう。
[仏の字の用例]
 「眞」の時と違󠄂ひ、今度は大半󠄁が康煕字典體と同じ「佛」の形で書かれてゐます。「仏」の字もありますが多くはありません。
[漢字書体の歴史_佛]
 「真」の形は隸書で字形が大きく變った(隸變)ことで生れましたが、「佛」は字がほとんど變らなかったのです。後に右側の旁を「ム」で省略した「仏」の字も生れましたが、これはあくまでも略字で、楷書でも正式の字形は「佛」でした。明朝󠄁體も正式の字形は「佛」でした。

 こちらも戰後の「当用漢字字体表」で「仏」の字を正式な字にされてしまひました。先ほどの「真」と異る部分はどこでせうか。「真」は書道󠄁の傳統として正式な字形でしたが、「仏」は書道󠄁の傳統から見ても正式な字形ではなく、あくまでも略字體でした。「略字をあたかも正式な字であるかのやうにして、學校で兒童にヘへ込󠄁むとは何事か」と怒った人も當時は多かったやうです。

■「あなたの守る『正字』とは『康煕字典體』だ」といふ勘違󠄂ひ
 漢字のエキスパートの中には「あなたが守ってゐるのは『正字』ではなく『康煕字典體』だ」と言ふ人もゐます。「あなたは『正字、正字』と呼ぶが、歷史の淺い康煕字典體を絶對とみなすつもりなのか」「康煕字典體を勝󠄁手に正字と極(き)め附けるな」といふ具󠄁合です。
 「眞」の字の例を出すと、まるでその意󠄁見が正しいやうに見えてしまひますが、一方で「佛」の字の例のやうに、康煕字典より前󠄁の篆書・隸書・楷書の傳統から見ても「これこそ正式な字とみなすのがふさはしい」場合もあります。「舊字を『正字』『本字』と呼んで日常使ひする」人が主に問題にしてゐるのは、前󠄁者(「眞・真」など)よりむしろ後者(「佛・仏」など)です。
 もちろん、私たちはインターネットでは活字體で物を書くのが普通󠄁です。手書きはともかく、活字體であれば、漢字圈全󠄁體で昔も今も事實上の標準となってきた康煕字典體で書くことは、私は別にをかしな事だとは思ひません。現に、我が國でも表外字(「常用漢字表」にない字)は康煕字典體が原則で、表內字(「常用漢字表」にある字)も括弧書きで康煕字典體が擧げられてゐるほどです。
[康煕字典_玄]
[康煕字典序文]
 それでも、「康煕字典」にはあくまでも「大筋で從ふ」に過󠄁ぎません。戰前󠄁の日本の活字體も、(康煕字典では皇帝󠄁の諱を避󠄁けて最後の點が省略された)「玄」の字を元に戾したり、字形が一部違󠄂ってゐたり、「間」の門構󠄁への中を「日」にする(康煕字典の基準では)俗字が一般的󠄁だったり(ですから「正字正假名」と言ふ時の「正字」とは「俗字」の反對ではなく「新字」の反對です。中國の昔の字典「干祿字書」の分類「正・通󠄁・俗」とは別物です)と、康煕字典の字體に百パーセント嚴密に從ってゐたわけではありません。そもそも康煕字典そのものも、楷書による序文は、たとへば康煕字典體通󠄁りの二點之繞ではなく、一點にくねる形の傳統的󠄁な楷書體で書かれました。「眞」の字の例からわかるやうに、楷書で傳統的󠄁に正式な字とされてきたものと、活字體のそれとも一部異るものです。私自身も楷書で書く時は、之繞をはじめとして、康煕字典體ではなく楷書の傳統的な字形で書く事がよくあります。
 また、「正字」といへども「完璧」なものではなく、どちらの字形を正とすべきか意󠄁見の分かれるものも一部にあります。それでも、略し方のばらばらな新字を正式な字とするよりは、よほど良いのではありませんか。

■「略字」は「略字」と割󠄀り切らう
 これも誤󠄁解されがちなことですが、「舊字を『正字』『本字』と呼んで日常使ひする」のは「一切略字を使ふな」といふ意󠄁味ではありません。先ほど擧げた「仏」の字もさうですが、略字も漢字の傳統のうちです。しかし、國語改革以前󠄁と以後とでは、その「略字」の立場が大きく變化󠄁しました。「本當は正式な字があるが、畫數が少いので略式の場で代用として使ふ」から「略字を正式な字に格上げし、從來の正式な字をお藏入りにする」への變化󠄁です。
 しかし私は、「『正字』『本字』と呼ばれる漢字を『正』とした方が、國語の世界のより良い調󠄁和が保てる」と思ひます。大切なことなので以前󠄁に引き續きもう一度書きますが、まづは建前󠄁でいいので傳統的󠄁な漢字を「基本形」とみなし、常用漢字の略字體をその「應用」と位置づけることにする。このやうな位置付けで漢字を見た方が整理しやすい、と私は信じてゐます。

■參考文獻
安東麟, 『本字を知る樂しみ 甲骨文・金文』
菊地恵太, 『位相論的略字体史の試み―仏家と非仏家の対立―』(PDF)
posted by 國語問題協議會 at 18:15| Comment(0) | 押井コ馬