【今回の要󠄁約󠄁】
@「制約󠄁に縛られて不自由」と思はれてゐた漢字を、コンピューターが自由にしました
A機械に合せて國語の方を變へるのではなく、國語に合せて機械の方を變へるのが理想です
B傳統とは「變へてはならない根幹は守りつつ、改善出來る分野は採󠄁り入れて後代に繫ぐ」ものです
【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 變(変) 傳(伝) 舊(旧) 對(対) 應(応) 惡(悪) 當(当) 專(専) 體(体) 數(数) 竝(並) 讀(読) 壓(圧) 氣(気) 輕(軽) 續(続) 澤(沢) 證(証) 餘(余) 賣(売) 臺(台) 寫(写) 廣(広) 蠟(蠟) 鐵(鉄) 畫(画) 樣(様) 燒(焼) 寶(宝) 勞(労) 會(会) 處(処) 假(仮) 嚴(厳) 縱(縦) 戰(戦) 實(実) 學(学) 廳(庁) 發(発) 殘(残) 狀(狀) 權(権) 爭(争) 壞(壊) 點(点) 邊(辺) 擴(拡) 囘(回) 關(関) 號(号) 圖(図) 卽(卽) 覺(覚) 腦(脳) 擔(担) 聲(声) 劃(画) 擧(挙) 經(経) 濟(済) 擇(択) 驗(験) 鑄(鋳) 轉(転) 觀(観) 價(価) 滿(満) 來(来) 萬(万) 從(従) 檢(検)
傳統的󠄁な漢字とかなづかひ、いはゆる「舊字・舊かな」で文章を書いてゐると、「そんな書き方をする位なら筆で書け」と惡口を言はれる事があります。「コンピューター時代にふさはしくない、時代後れのもの」とけなされるやうで、悲しいものです。しかし、この表記を本當に筆書き專用にするのは勿體ない話です。コンピューターで活用すると、更に便利になります。
■「キーボードで漢字を打てるタイプライターなんて出來るはずがない」

明治の文明開化󠄁で日本人が衝擊を受󠄁けたものの一つが「タイプライター」でした。數十個のキーが竝んでゐるキーボードを叩くと、まるで話すのと同じ程󠄁速󠄁く、英語の文章が綺麗な活字で印刷される、まるで魔󠄁法のやうな機械でした。一方、日本語にはそんな便利な道󠄁具󠄁はなく、筆やペンを使って手で書くしかありませんでした。

大正時代になると漢字かな交じり文の打てる「和文タイプライター」も出來ましたが、勿論、一つの漢字に一つのキーボードが割󠄀當てられたわけではありません。漢字やかなが二千字前󠄁後竝んだ文字盤から活字を一つ一つ探して印字する機械で、熟練した人でも二、三秒に一文字がいいところでした。「書き手が考へながら打つ機械」といふより「手書き原稿をC書する機械」でした。

明治以降、新聞や出版物の印刷も、從來の木版印刷から、鉛󠄁で出來た活字による活版印刷に切替っていきました。英語なら文字の數が少いのですが、日本語は漢字が多く、漢字の活字を納󠄁める棚󠄁だけでも大きなスペースを必要󠄁としました。英語の場合、「ライノタイプ」といって、キーボードで文字を打つと一行分の活字を全󠄁部自動的󠄁に拾って作成󠄁してくれる便利な機械もありましたが、漢字の多い日本語では到底無理な話でした。ルビ(振假名)を振るのも大變で、熟練した人でも一ページ一時間は掛かったと聞いた事があります。新聞印刷の場合、漢字のにルビも附いた「ルビ附き活字」もありましたが、たとへば「生」には「い」「う」「お」「き」「しやう」「せい」「なま」「は」等、讀みに應じて複數の活字を用意󠄁しなければならず、活字棚󠄁のスペースを更に壓迫󠄁しました。
ですから、昭和の終󠄁り近󠄁くまで、「活字による文書を作る」といふのは、多くの日本人が氣輕に出來るものではありませんでした。NHKの朝󠄁の連續ドラマでは、この時代でも氣輕に活字によるチラシを澤山作ってゐる場面がよく出て來ますが、時代考證的󠄁にはあり得ません。本當は「活字の文書は高い金を出して印刷所󠄁にョんで作るしかなく、個人や小規模商店では餘程󠄁の事がないと作らない」時代でした(そもそも、今のやうにコミケで賣る同人誌を小ロットで安く印刷してくれる印刷所󠄁さへ殆どない時代でした)。

それではどのやうに文書を作ってゐたかといふと、勿論「手書き」です。同じ文書を複數枚作る必要󠄁があるなら、紙と紙の間にカーボン紙を挾んでボールペン書きしました。チラシや臺本や授󠄁業のプリントや學級󠄁便りなど何十枚も印刷する場合は、謄󠄁寫版(ガリ版)が廣く使はれました。半󠄁透󠄁明の蠟引きの紙を、文字の形に鐵筆で引っ搔いて版を作り、これを印刷機にかけると文字の部分だけインクが通󠄁り拔けて紙に印刷される、といふ仕組みです(アニメ映畫「コクリコ坂から」にもこれを使ってゐる樣子が出て來ます)。普通󠄁紙コピー機が普及󠄁する前󠄁は、專用紙を使ふジアゾ式コピー機(いはゆる「燒き」)もよく使はれました。字を書くのが上手な人はあちこちで重寶されましたが、字を書くのがあまり上手でない人は本當に苦勞した時代でした。
海外との貿易などで英語を使ふ必要󠄁に迫󠄁られた人は、「綺麗な活字を高速󠄁に印刷出來る英文タイプライター」が、會社の業務を非常に效率󠄁化󠄁してゐる事をよく知ってゐました。日本語用の同じやうな機械があれば便利なのでせうが、果して作れるのでせうか。私自身もさうでしたが、今から五十年くらゐ前󠄁までは、キーボードで漢字の打てるタイプライターなんて「できる道󠄁理がない」(渡辺茂『漢字と図形』、NHKブックス、一九七六年)と多くの人が思ひ込󠄁んでゐました。二千文字以上の活字を納󠄁めるスペースは、まあタイプライターさへ巨󠄁大にすれば何とかなります。しかし、二千文字以上の漢字を、どのやうにキーボードに納󠄁めれば良いのでせう。
■ある人は「國語の方を變へよう」とした
ある人は「國語の方を變へる」事で對處しようとしました。たとへば假名文字協會(後のカナモジカイ)の創設者の一人である山下芳太カは、カタカナのタイプライター(カナタイプ)の設計や普及󠄁、左書き向けのカタカナ書體のデザイン、カナ專用表記による國語の普及󠄁に力を注󠄁ぎました(嚴密には、その前󠄁にもK澤貞次󠄁カによるひらがな・縱書きのタイプライターが作られてゐる)。
漢字を「無くす」は極端としても「減らす」事は出來ないか、と考へた人々もゐました。戰前󠄁から何度か案が作られ、戰後すぐの昭和二十一年に結實したのが「当用漢字表」でした。これは日常的󠄁に使ふ漢字を一、八五〇字に制限するものでした。お上の鶴の一聲で、學校ヘ育や官廳ではいち早く採󠄁り入れられましたが、他に喜んだのは意󠄁外な事に新聞社や出版社でした。使ふ漢字の數が減れば、活字棚󠄁の活字も少なく濟みますし、ルビだってほぼ振る必要󠄁が無くなります。「印刷=多くて重い活字を使ふ事」といふ發想に囚はれてゐる、と思ふでせうか。當時の人にさう言ったら、きっと「文句を言ふなら、代りにどんな方法があるのかヘへてくれ」と反論された事でせう。「多くて重い活字を使ふ方法の代り」は當時なかったか、あっても實用的󠄁ではありませんでした。
私自身も子供ながら感じてゐましたが、かつての日本人は「日本の國語は、漢字といふ『ややこしい文字』があるから世界に取り殘されてゐる」といふ劣等感、疎外感を何となく抱󠄁へてゐた氣がします。我が國語問題協議會の大先輩、sc恆存も當時の狀況をこのやうに記してゐます。
彼等(註:漢字廢止・國語ローマ字化󠄁を主󠄁張する人々)はかう言ひます。
(一) 日本の近󠄁代化󠄁が遲れたのは漢字が難しく、知的󠄁特權階級󠄁を除いて、一般大衆が讀み書きに習󠄁熟しえなかつたためである。
(二) 漢字は封建󠄁時代に支配階級󠄁が自分の權威を誇示し、大衆を政治から遠󠄁ざけるために利用されてきた。
(三) 言葉も文字も、人間の意󠄁思を傳達󠄁理解するための道󠄁具󠄁であるがゆゑに、專ら傳達󠄁と理解といふことを目やすに改良されねばならない。
(四) まづ考へなければならぬのは能率󠄁である。「すばらしい働きをする」事務機械、すなはちタイプライター、テレタイプ、電子計算機、穴󠄁あけカードなどによる事務のオートメイション的󠄁處理によらねば、「國際的󠄁な競爭」に勝󠄁てるものではない。それには表音󠄁文字の採󠄁用が必要󠄁である。
(五) しかし、それは古典の破壞を意󠄁味しない。專門家や知識階級󠄁は文化󠄁の「頂點」に位するものであり、その「底邊」には一般大衆がゐる。目的󠄁はこの「底邊」を擴大することによつて、「頂點」を安定させることにある。古典の言葉および文字はそのまま「頂點」に置いて保存し、新聞や日常用語は「底邊」を這はせて簡易化󠄁するのが理想である。
(sc恆存『私の國語ヘ室』、文春文庫、二〇〇二年版、二九二〜三頁)
その一方で、「機械に合せて國語を變へず、國語に合せて機械を變へよ」と主󠄁張したのが、このsc恆存でした。
俗論の(四)にあるタイプライターのためなどとは愚論です。なるほど過󠄁渡的󠄁には商用文にかな文字やローマ字を用ゐることもいいでせう。が、月までロケットが屆く時代です。軍擴競爭が少し下火になれば、今日の漢字かな文でも充分に消󠄁化󠄁しうる機械が發明されないとは限りません。現に、當用漢字を上廻る二千字の漢字が操れる機械が出來てゐるさうです。鐵道󠄁線路に狹軌を採󠄁用して失敗したのと同樣で、慌󠄁てて現在の道󠄁具󠄁に合せて國語國字を改造󠄁する手はないのです。時枝博士ではないが、「文字を使ふといふことは、機械に制限されて使ふのではなくて、機械がもし必要󠄁ならば、その文字の實情󠄁に應じて、新しい機械を發明するといふことが必要󠄁であります。」さう言ひたくなります。松坂さん(註:カナモジカイ理事長で國語審議會委員だつた松坂忠則のこと)、氣を確かにもつてください。タイプライターのための文字か、文字のためのタイプライターか、ついでにヘ育のための文字か、文字のためのヘ育か、ひとつ小學生を相手に輿論調󠄁査をしてみることです。
(sc恆存『私の國語ヘ室』sc恆存、文春文庫、二〇〇二年版、三一二頁)
■コンピューターが漢字文化󠄁を救った
さて、キーボードで漢字の打てるタイプライターなんて「できる道󠄁理がない」と著書で述󠄁べた渡辺茂ですが、實は後日談があります。昭和五十八(一九八三)年五月七日に日本工業俱樂部で開かれた、國語問題協議會の「第二十九囘國語問題講󠄁演會」で、大口道󠄁雄(現・國語問題協議會理事)と共に講󠄁演をしたのですが、その講󠄁演錄が國語問題協議會機關誌『國語國字』第一一九號に揭載されてゐます。
舊著の考へとその修正
私は昔、「漢字と圖形」といふ本を書きまして、漢字假名交り文の長所󠄁と短所󠄁とを指摘しました。卽ち、長所󠄁としては、@讀み易く分り易い。A知能構󠄁造󠄁によく一致する。B覺えやすく忘󠄁れにくい。C高度成󠄁長の達󠄁成󠄁に役だつた。D最後に何よりも大切な點は、古典に親しみ日本を知る事が出來るといふことである、としました。今もそれは變りません。これに對して短所󠄁として、@小學生が苦勞してゐる通󠄁り覺えるのに年月がかかる。A腦細胞󠄁に高負擔を掛ける。B圖形にョるので音󠄁聲感覺を退󠄁化󠄁させる。C一點一劃をおろそかにしないできめられた通󠄁り覺えたり書いたりするので創造󠄁の芽󠄀をつむ(この點は修正の要󠄁がありさうです)。Dタイプに不便である。を擧げたのですが、このうちの幾つかは、ワープロの出現によつて訂正する必要󠄁が出てまゐりました。
(渡辺茂「日本語とワードプロセサー」、『國語國字』第一一九號、昭和五十八(一九八三)年、一〇〜一一頁)
そしてその後に「ワードプロセサーの現狀」として、當時の狀況が說明されてゐました。ワープロはドット文字を使用して印刷する機械で、まづ最初は朝󠄁日新聞と日本經濟新聞が共同で、IBMの技術󠄁を導󠄁入したこと。活字の材料による鉛󠄁公害󠄂がない反面、熟練した植字工が職を奪はれる問題もあり、導󠄁入までには紆餘曲折があったこと。タイプ方式には文字盤から漢字を選󠄁擇する方式(註:ワープロ黎明期にあった方式だが、後に無くなった)と假名・漢字變換方式があるが、素人が一寸習󠄁っただけでも一分で六十字つまり手書きの二倍の速󠄁度で打てること。便利さ、印字の速󠄁さ、普及󠄁の速󠄁さ等を考へると、今後ワープロを無視することは出來ないこと。
なほ、同じ日に講󠄁演した大口道󠄁雄は、新聞社での經驗から、當時新聞社に導󠄁入されたばかりの新しい印刷技術󠄁を詳しく紹介してゐます。原稿データを電氣的󠄁な情󠄁報として紙テープに記錄し、それを基に活字を鑄造󠄁したり、活字すら使はずにドットで構󠄁成󠄁された書體データをフィルムに感光させてオフセット輪轉機の版に使つたり、編󠄁輯(編󠄁集)もコンピューターのテレビ畫面上で電氣情󠄁報の形で修正するといふものです。

この講󠄁演會が開かれた頃は、ちゃうど活版印刷から寫植によるオフセット印刷へ、和文タイプライターやガリ版から日本語ワードプロセッサーへの移行期でした。そして「漢字をコンピューターで扱󠄁へる機械」が新聞社・印刷會社・會社や學校等に次󠄁々と導󠄁入された時期でした。その一世代前󠄁のコンピューターは、アルファベットだけか、日本語を使へるとしてもカタカナだけといふ場合も多く、私を含めた多くの日本人は「機械のための日本語、イコール、ローマ字かカタカナ」といふ先入觀に囚はれてゐたものです。ところが、三つの發明、つまり「コンピューター」「ドットフォント」「かな漢字變換」が、「小さく安價な機械で漢字かな交じり文を容易に扱󠄁ふ」道󠄁を切り拓いたのです。これは本當に大きな革命でした。
■コンピューターがあれば「舊字・舊かな」は棄てる必要󠄁が無かった

タイプライター等々の爲の「表音󠄁文字だけで書き表す日本語」に變革しよう、といふ、一部の人々による明治時代以降の主󠄁張は、「キーボードで漢字を打てる夢のやうなタイプライター」が本當に實現し普及󠄁したことによって說得力を失ふ結果となりました。「ブランコの漫畫」で言ふ「顧󠄁客が本當に必要󠄁としてゐたもの」は、必ずしも「漢字廢止・漢字制限・略字導󠄁入」ではありませんでした。本當は「日本語ワードプロセッサー」が出來ればそれで滿足だったのです。
かつて國語改革を支持してゐたが、日本語ワープロの登場で考へを變へた人もゐました。その一人は金田一春彦(父親は「現代かなづかい」を作った人の一人である金田一京助)でした。『THIS IS 読売』平󠄁成󠄁七年十二月號「福田恆存君を偲ぶ」でかう書いてゐます。
福田君の言ったことで私が今「参った」と頭を下げざるを得ないことが一つある。それは彼がこう言ったことである。「文部省の役人たちは、漢字はタイプライターなどへかからないから悪い、減らそうと言う。それは人が機械に使われているんだ。機械は人が使うものだ」私は文学者というものは妙な理屈を言うものだ、と心の中で笑っていた。(中略)が、戦後三十余年たってみると、驚いた。ワープロという機械が発明され、普及し、机の上でチョコチョコと指を動かすと、活字の三千や四千は簡単に打ち出してくれる。そうした普及につれて値段も安くなり、性能がよくなった。新聞ぐらいは、机の上のワープロ一つで簡単に印刷できる。これなら当用漢字の制限はしなくてもよかったし、字体でも仮名遣いでも昔のままでよかったのだ。
その一方で別の一部の人々は、最後のあがきなのか、「ワープロは無制限な漢字の使用を助長する」と非難したり、「83JIS」と言へばコンピューターに詳しい人はわかるでせうが、表外字の字體を見慣れない略字體に入れ替へて、正字體での表示・印刷をしにくいやうにしたりしました(この改正を主󠄁導󠄁したのは、「日本語使用者の自覚によって、漢字でかかなければわからないような単語は、つかわないようにしよう」などと主󠄁張してゐる、とある漢字廢止論者と言はれてゐる)。「十六ドット・二十四ドットの文字には畫の潰れにくい略字の方がいい」といふ「理窟」は、當時は通󠄁用しても、今となっては古臭いものです。
何はともあれ、「コンピューターによる漢字解放」は、もう止める事は出來ませんでした。そして日本人も日本語ワープロを使ひこなすうちに、「漢字といふ『面倒臭い文字』の爲に世界から取り殘されてゐる」といふ劣等感・疎外感から徐々に解放されていきました。
そして今はインターネットで世界が繫がる時代で、漢字も「ユニコード」規格で中國や韓󠄁國の漢字と文字コードを共有する時代になりました。もし日本も中國本土もいはゆる「舊漢字」のままなら、文字コードだけでなく漢字フォントの字體も一種類で濟んだかも知れません。しかし現實は、將來を考へずに實施された早まった改革をどこかの二ヶ國(バレバレ?)がしたので、まるでバベルの塔のお話のやうに漢字が分かれてしまひました。
驚くべきことには、いはゆる「舊字・舊かな」でさへもコンピューター處理出來るやうになりました。以前󠄁紹介したやうに、コンピューターでいはゆる「舊字・舊かな」を入力するソフトが何種類かあります。そして、それを使って書かれた文章が、空文庫然り、和歌や俳句然り、個人のブログ然り、古文のプリントや論文然り、あちこちで活用されてゐます。DTP(デスクトップ・パブリッシング)の普及󠄁により、印刷會社ではない個人でさへも、コンピューターと組版ソフトにより、いはゆる「舊字・舊かな」による本の印刷用原稿を作成󠄁し、印刷所󠄁に入稿して實際の本を作成󠄁する事も出來るやうになりました。活版印刷の時代は、厖大(膨大)な「舊字」の活字を揃へてゐる印刷所󠄁を探さないと印刷出來なかったのに、今はもうその苦勞も要󠄁りません。コンピューターの基本ソフトの設計が「新字・新かな」に特化󠄁してゐる現狀では確かに「新字・新かな」に比べ一手間二手間掛かりますが、その手間さへ厭はなければ普通󠄁に個人用のコンピューターで傳統的󠄁な國語表記も扱󠄁へる時代になったのです。
私は日本語ワープロの登場する前󠄁の時代を知ってゐるので、その前󠄁と後を比較して言へる事ですが、現代の日本人は漢字やかなづかひの間違󠄂ひが激減してゐます。勿論コンピューターで書いた場合です。コンピューターは單なる「漢字を扱󠄁へる小型の機械」に留まることなく、「正しい國語表記」を書き手にヘへる道󠄁具󠄁にもなったのです。新字・新かなでかうであれば、いはゆる「舊字・舊かな」にも應用出來るのではありませんか。殘念ながら、現時點ではそこまで親切なソフトはまだありませんが、決して不可能な夢ではありません。
■コンピューター時代だからこそ「舊字・舊かな」を「現代の日常の言葉」として活用しやすい
「私は『舊字・舊かな』で書く事自體は非難しません。古風で非日常的󠄁な分野にたまに使ふなら良いと思ひます。それでも、現代の日常の文章にはふさはしくないと思ひます」と主󠄁張する人がゐます。勿論、その人自身が現代の日常の文章を「新字・新かな」で書くとしても、もとより自由です。私も必要󠄁に應じて「新字・新かな」で書く事があります。しかし、「『舊字・舊かな』は現代の日常の文章にはふさはしくない」といふのは、飽󠄁くまでもその人の主󠄁觀で、客觀的󠄁な事實ではありません。
傳統的󠄁な國語表記で書くのももとより自由なのですから、古風で非日常的󠄁な文章でも、現代の日常の文章でも、好きに書けばいいんです。筆や萬年筆で書いてもいいし、江戶時代のやうに木版印刷しても、明治〜昭和のやうに活版印刷しても、現代のやうにコンピューターで入力・印刷してもいいんです。
「傳統」とは「必要󠄁な根本部分を守ること」、決して堅苦しいものではありません。(「漢字をみだりに邪󠄂魔󠄁物扱󠄁ひしない」「略字をみだりに正字に格上げしない」「語源に從ふ綴りを、現代共通󠄁語の發音󠄁を氣にしてみだりに邪󠄂魔󠄁者扱󠄁ひしない」といった)「變へてはならない根幹」さへ守れば「新しいものを採󠄁り入れる餘地」があります。傳統的󠄁な國語表記で書いた昔の人々も、活版印刷や和文タイプライターなど當時の最新技術󠄁を採󠄁り入れました。いはゆる「舊字・舊かな」も、コンピューター技術󠄁を採󠄁り入れる事により、文書を電子化󠄁して檢索や再利用しやすくなったり、文藝表現の可能性を擴げたり、書いて慣れることで國語の原理原則を更に深く學んだり出來ます。折角ある道󠄁具󠄁ですから、活用しないと勿體ないものです。
ところで……(今回少しだけチラ見せ。詳細は後日……)