カンカンガクガクの議論
四文字熟語に關して、「ケンケンガクガクの議論」と言ふ言ひ方を多く耳にする。これは全󠄁く別の意󠄁味の「喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)」と「侃侃諤諤(カンカンガクガク)」の混合使用で誤󠄁用の一つと言へる。「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」「やかましい」「さわがしい」という意󠄁味があり、この文字を重ねた喧喧囂囂は、「口やかましく騷ぎたてるさま」「たくさんの人がやかましくしゃべる樣子」を表す。一方、「侃」には「性格などが強いさま、のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠󠄁慮せずに言ふ、ごつごつと直言する」と言ふ意󠄁味があり、この文字を重ねた侃侃諤諤は、「正論を吐いて屈しないさま」「みんなが率󠄁直に意󠄁見を述󠄁べて議論している樣子」を表す 。誤󠄁用とは言へるが、「多くの人がいろいろな意󠄁見を出して、收拾がつかない程󠄁に噪がしい樣」に多く用ゐられてゐる。
2022年11月26日
日本語ウォッチング(55) 織田多宇人
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| 織田多宇人
2022年11月21日
かなづかひ名物百珍(21)「~呪寺甲山大師」/ア一カ
![[神呪寺]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E3818BE381AAE799BE022E7A59EE591AAE5AFBAa-thumbnail2.jpg)
兵庫縣西宮市の寺院。現稱は「かぶとやまだいし・かんのうじ」だが、開山以來「摩󠄁尼山~呪寺(しんじゅじ)」「武庫山」「感應寺」といった變遷󠄁や別稱がある。假名遣󠄁は漢字に忠實なら「かんのふじ」、もしくは語源重視なら後段の理由で「かんのをじ」とすべきであらうか。
![[神呪寺]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E3818BE381AAE799BE022E7A59EE591AAE5AFBAb-thumbnail2.jpg)
寺傳では「のろ(呪)ふ」といった意󠄁味はなく、「かんのうじ」とは「~の寺」の變であるとする。しかし『大日本地名辭書』(444ページ)~呪寺(シンジウジ)の項に別稱の「~尾(かんのを)」を揭げてをり、こちらの方が地形や音󠄁韻上で自然な由來に感じられる。また現在「六甲山」と「甲山」は隣接する別の山名の扱󠄁ひだが、じつは同じ起󠄁源なのかもしれない。
また「感應寺」はかなり時代が下った宛字ではないか。~呪寺の開山が寺傳のとほり平󠄁安初期であるならば、「感應寺」をカンモウジと讀む可能性が高い。
六甲山は上代には「牟古山・務古山・六兒山」など樣々な表記あり、讀み方はムコヤマで間違󠄂ひなからう。これを大阪灣の「向うに見える山」とする說明を見かける。しかし「むかふ→むかう」のウ音󠄁便がそんなに早い時期にあったものか、俄かには信じ難い。
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| 高崎一郎
2022年11月12日
數學における言語(81) 中世~學論爭と數學−前󠄁期ヘ父哲學(W)
基督ヘが、その傳道󠄁の初期にはローマ帝󠄁國によつて迫󠄁害󠄂されたことはよく知られてゐますが、そのヘへがローマ世界に廣まるにつれ、その“眞理性”を異邦人にも納󠄁得させ、また異端の發生を押さへるためにも、そのヘ義を確立する必要󠄁があつたことは想像に難くありません。そして、そのやうな時代の要󠄁請󠄁から“ヘ父”と言はれる人々も生まれてきますが、“広辞苑”によれば“教父”とは「初期基督教会の神学的著作家・精神的指導者」と定義されてゐます。それはともかく、私が面白いと思ふのは、ヘ父たちがソクラテスやプラトン、アリストテレスなどの古代希臘の“論證哲學”から多大の影響を受󠄁けてゐるといふ點です。ここで第3回目のブログで紹介した、ブライアン・マギーの“古代希臘哲學”についての次󠄁の言葉を思ひ出して頂きたいと思ひます。
考へてみればこれ自體、洵に恐󠄁るべきヘへで、これが希臘哲學の蛾窒セとすると、この拐~に貫かれた“~學”とは、一體如何なるものになるのでせうか。一般に宗ヘには、偉大な師(ヘ祖)のヘへを絶對として、弟子(信徒)たちはそのヘへを無條件に受󠄁け入れていく、といふ惡く言へば“鵜呑みすべきヘへ”といふイメージがありますが、では希臘哲學の洗禮を受󠄁けてゐたヘ父たちのヘ義はどのやうなものになるのか? これは私の獨斷と偏󠄁見ですが、この點が“基督ヘ~學”と“他の宗ヘヘ義”とを決定的󠄁に分つ點であり、したがつて、“基督ヘ~學”には、その當初から今で言ふ所󠄁謂“眞理性を探究する科學”が胚胎し內包󠄁されてゐたと思はれます。でなければ、すでに述󠄁べたやうに、あのガリレオ・ガリレイの宗ヘ裁判󠄁など理解できません。この裁判󠄁は、單に基督ヘヘ義の暗󠄁愚が、近󠄁代知の開明を斷罪したものではないのです。
前󠄁期ヘ父哲學の「アレクサンドリア派」で忘󠄁れてはならないのは、オリゲネス(185?〜254?)でせう。彼は新プラトン派やグノーシス派の思想を取り込󠄁みながらヘ義を體系化󠄁していつたやうで、「基督ヘ~學の創設者」と目されてゐます。後に彼の~學體系は、東方ヘ會に大きな影響を與へ、そのヘ義をめぐつては數世紀にわたつて論爭が繰り廣げられたやうです。その論爭とは、ひと言で言へば「キリストの“~性”と“人性”」についてのもので、元來基督ヘ信仰は、「~の子が肉體をとつて人になつた(受󠄁肉:Incarnation)」といふところに端を發してゐますので、これが問題にされるのはある意󠄁味當然のことなのかもしれません。因みに、「受󠄁肉」とは「三位一體である~の子(ロゴス・ことば)が人間イエス(肉)として生まれたこと」で。“三位一體(the Trinity)”の”三位”とは、「世界の創造󠄁主󠄁としての父、贖罪者キリストとしてこの世に現れた子イエス、そして信仰で顯現される聖󠄁靈」を指すのは周󠄀知の通󠄁りです。しかし實のところ、私自身はかういふ議論自體には餘り興味はありません。私の關心は、このやうに“理論化󠄁(科學化󠄁)されたキリストヘ”的󠄁良心(僞裝化󠄁されてはゐますが)が生み出した、尋󠄁常からは逸脫した社會理論や人權思想の行き着く先の方にあります。アレクサンドリア派のヘ父として擧げられる人には、オリゲネスの他にクレメンス(150?〜254?)やアタナシウス(295〜373)といつた人たちもゐますが、私は彼等の個々の言說にもさほど興味はありません。
繰り返󠄁しになりますが、私のもつぱらの興味關心は、“古代希臘哲學との汞和金(アマルガム)としての~學”なのであつて、その~學論爭こそが、ニコラス・クザーヌスやスピノザ、あるいはボルツァノなどを生み出し、その一方で奇怪な共產主󠄁義や奇天烈な人權槪念を創出してきた、といふ歷史的󠄁事實にあるのです。 (河田直樹・かはたなほき)
最初に登場した哲學者たちは、ふたつの點で過󠄁去と訣別しました。まづひとつは、宗ヘや權威や傳統とは關係のない、自らの論理で現實を理解しようとしたこと、これは人類の拐~史においては劃期的󠄁な試みでした。そしてもう一つは、他の人々にも自分の力で考へるやうに說いたことです。たとへ弟子の立場にあつても、師のヘへをそのまま受󠄁け入れる必要󠄁はないといふのです。
考へてみればこれ自體、洵に恐󠄁るべきヘへで、これが希臘哲學の蛾窒セとすると、この拐~に貫かれた“~學”とは、一體如何なるものになるのでせうか。一般に宗ヘには、偉大な師(ヘ祖)のヘへを絶對として、弟子(信徒)たちはそのヘへを無條件に受󠄁け入れていく、といふ惡く言へば“鵜呑みすべきヘへ”といふイメージがありますが、では希臘哲學の洗禮を受󠄁けてゐたヘ父たちのヘ義はどのやうなものになるのか? これは私の獨斷と偏󠄁見ですが、この點が“基督ヘ~學”と“他の宗ヘヘ義”とを決定的󠄁に分つ點であり、したがつて、“基督ヘ~學”には、その當初から今で言ふ所󠄁謂“眞理性を探究する科學”が胚胎し內包󠄁されてゐたと思はれます。でなければ、すでに述󠄁べたやうに、あのガリレオ・ガリレイの宗ヘ裁判󠄁など理解できません。この裁判󠄁は、單に基督ヘヘ義の暗󠄁愚が、近󠄁代知の開明を斷罪したものではないのです。
前󠄁期ヘ父哲學の「アレクサンドリア派」で忘󠄁れてはならないのは、オリゲネス(185?〜254?)でせう。彼は新プラトン派やグノーシス派の思想を取り込󠄁みながらヘ義を體系化󠄁していつたやうで、「基督ヘ~學の創設者」と目されてゐます。後に彼の~學體系は、東方ヘ會に大きな影響を與へ、そのヘ義をめぐつては數世紀にわたつて論爭が繰り廣げられたやうです。その論爭とは、ひと言で言へば「キリストの“~性”と“人性”」についてのもので、元來基督ヘ信仰は、「~の子が肉體をとつて人になつた(受󠄁肉:Incarnation)」といふところに端を發してゐますので、これが問題にされるのはある意󠄁味當然のことなのかもしれません。因みに、「受󠄁肉」とは「三位一體である~の子(ロゴス・ことば)が人間イエス(肉)として生まれたこと」で。“三位一體(the Trinity)”の”三位”とは、「世界の創造󠄁主󠄁としての父、贖罪者キリストとしてこの世に現れた子イエス、そして信仰で顯現される聖󠄁靈」を指すのは周󠄀知の通󠄁りです。しかし實のところ、私自身はかういふ議論自體には餘り興味はありません。私の關心は、このやうに“理論化󠄁(科學化󠄁)されたキリストヘ”的󠄁良心(僞裝化󠄁されてはゐますが)が生み出した、尋󠄁常からは逸脫した社會理論や人權思想の行き着く先の方にあります。アレクサンドリア派のヘ父として擧げられる人には、オリゲネスの他にクレメンス(150?〜254?)やアタナシウス(295〜373)といつた人たちもゐますが、私は彼等の個々の言說にもさほど興味はありません。
繰り返󠄁しになりますが、私のもつぱらの興味關心は、“古代希臘哲學との汞和金(アマルガム)としての~學”なのであつて、その~學論爭こそが、ニコラス・クザーヌスやスピノザ、あるいはボルツァノなどを生み出し、その一方で奇怪な共產主󠄁義や奇天烈な人權槪念を創出してきた、といふ歷史的󠄁事實にあるのです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 20:30| Comment(0)
| 河田直樹