子供であれば、誰でも一度は發する問ひ――この宇宙の彼方には何があるのか?太古の大昔を遡つたその先はどうなつてゐるのか? この世界は誰がどのやうにしてつくり、最終󠄁的󠄁にどうなるのか? そして、なぜ、やがて自分はゐなくなるのか?――おそらく、子供は子供なりに“あのタルホ的󠄁お終󠄁ひの雰󠄁圍氣と永劫(aeon)への憧れ”から生まれた“世界の最終󠄁的󠄁理解衝動“に驅られて、この世界と自分自身に對して5W1Hの問ひを發し、その“答”として彼自身の“言語模型”を拵へていくものなのです。拙著『世界を解く数学』の第5部「こどもの世界認識と言語の話」の中で私は次󠄁のやうに書いてゐます。
ダーウィニズムの生物学者ヘッケルは「個体発生と系統発生は相似であって、個体発生において系統発生の全過程が繰り返される」という、いわゆる「反復説」を唱えたが、この「繰り返し」は「歴史を生きざるをえない」ヒトの精神世界においてもそのまま踏襲される。それゆえ古代人の憧れ、畏れは、こどもたちの心の中でこそ鮮やかに甦る。こどもの百科図鑑に出ているような古代人の宇宙像は、現代の大人にとっては、セキツイ動物の鰓裂のように、捨てられるべき「過去形」ものでしかなかろうが、この世に生を受けて10年もたたないこどもにとっては、それはまさに「現在進行形」の理に叶う素適な宇宙像なのだ。
この“言葉による宇宙像(曼陀羅圖)”こそ、私にとつての”~學”であり、その自然な延󠄁長線上に“學問”としての“基督ヘ~學”が生まれたと考へてゐます。洵に無邪󠄂氣で能天氣な認󠄁識ですが、なに、”~學論爭”など難しいものと考へずに、それは子供の幼い世界認󠄁識と地續きのものと構󠄁へて附き合つた方がよい、といふのが私の若い頃から持論です。
後期󠄁ヘ父哲學と言へば、まづ第一にアウレリウス・アウグスティヌス(354〜430)を擧げなければなりません。彼は、354年北アフリカのタガステといふ所󠄁に生まれてゐます。母は基督ヘ徒のモニカ、父は非基督者のパトリキウス。12歲の頃、タガステからおよそ30kmばかり南にあるマグウラといふ町の學校󠄁に入り、17歲の頃一旦歸クして、その後ロマニアスといふ人の援󠄁助を得てカルタゴに赴き辯論術󠄁を學んでゐます。
19歲のときキケロの”哲學のすすめ”とも言ふべき『ホルテンシウス』を讀んで、哲學への情󠄁熱に目覺めやがてマニヘ(マニヘとは、ゾロアスターヘに基督ヘを加味した謂はば一種のグノーシス宗ヘ)の信者となります。しかし、30歲のときミラノで辯論術󠄁のヘ師をしてゐる間に、司ヘアンプロシウスと出會ひ、アウグスティヌス33歲のときやうやく彼から洗禮を受󠄁けて基督ヘの信者になつてゐます。37歲のときヒッポ・レギウスの司ヘに任命され、その後彼は堰を切つたやうに多くの著作を書き上げることになるのですが、430年ヒッポの町がゲルマン人のヴァンダル族に包󠄁圍される中、76歲でその生涯を閉ぢてゐます。それは、正にローマ帝󠄁國の“落日”によつて“中世の夜”が始まらうとする秋でした。
アウグスティヌスの遺󠄁した著作はそれこそ厖大であり、“ヘ父哲學の知の巨󠄁人”と言つても過󠄁言ではないでせう。主󠄁なものを擧げると、『獨白』(386〜87)、『幸bネ生活』(386)、『自由意󠄁志論』(388〜95)、『吿白』(400)、『三位一體論』(400〜16)、『詩篇講󠄁義』(416)、『~の國』(413〜26)といつた具󠄁合で、この他に氣になるタイトルの本を擧げれば『文󠄁法論』、『音󠄁樂論』、、『見えないものを信ずることについて』、『結婚の善について』などがあります。 (河田直樹・かはたなほき)