2023年06月25日

數學における言語(87) 中世~學論爭と數學−スコラ哲學前󠄁期󠄁(T)

 “スコラ哲學”と聞いてすぐに連想するのは“school(學校)”といふ言葉ですが、御存じのやうにスコラ哲學”はラテン語の“scholasticus(學校に屬するもの)”の意󠄁味で、またこの言葉はギリシア語の“スコレー(閑暇)”に由來します。哲學には“ひま(時間のゆとり)”が必要󠄁といふわけですが、持て餘す時間に惠まれながらも“哲學”なんかには無關心の人も多くゐるやうで、“ひま”が“哲學”に直ちに結びつくとばかりは言へません。
 ボエティウスは5世紀から6世紀のヘ父でしたが、彼等の努力でキリストヘのヘ義がある程󠄁度確立されると、そのヘ義を“論理的󠄁、合理的󠄁に體系化󠄁”する胎動が生まれてきます。これは當然の成󠄁り行きだと思はれますが、彼等の著しい特徵は、“理性(ヌース)を信仰のために用ゐる”といふことであり、言葉を換へれば“~の存在を人間理性(ロゴス=言葉)で證明󠄁してみせる”といふことでした。實際、もしそれが可能ならば人類普遍󠄁の信仰を異端の~を信じる人々の間にも行き渡らせることが可能になるからです。そこには現在も抱󠄁へてゐる世界の根深い問題が潛んでゐると思はれますが、ともかくそのために、その論證自體に關心が向かひ、それはもはや“宗ヘ心そのもの”からの逸脫とも言へますが、その結果いはゆる強大な“ヘ會宗ヘ”が生まれてきた、といふのが私の持論です。  いまここではこの問題には深入りしませんが、“宗ヘ心そのもの”と“ヘ會宗ヘ”とを明󠄁確に區別するのは、その民族の歷史、文󠄁化󠄁、傳統、そして風土等を考慮すると大變難しいテーマになりますが、やはりこの二つはどこかで區別しておくべきだ、と私は考へてゐます。なほ、これまで繰り返󠄁し述󠄁べてきたやうに、私はキリストヘのヘ義そのものには餘り關心はなく、私が強く魅かれるのは、プラトンやアリストテレスの影響を受󠄁けた彼等の“論證の仕方、議論の方法”なのです。
 スコラ哲學の胎動は、西ローマ帝󠄁國のカール大帝󠄁(768〜814)の御代に始まり、いはゆる“カロリング朝󠄁ルネッサンス”と呼ばれてゐる時代に徐々に盛󠄁んになります。この時代の~學者の第一人者として取り上げるべきは、アイルランド生まれのスコトゥス・エリウゲナ(810頃〜877)でせう。彼は40歲の頃カール大帝󠄁に招かれ、パリの宮廷學校でヘ鞭を執り、大王の命令で『ディオニシウス魏書』をラテン語に飜譯してゐます。ディオニシウスは5世紀頃の人で、キリストヘと新プラトン主󠄁義の調󠄁和を圖らうとし、魂と人間の位階(ヒエラルヒー)の問題を論じたヘ父だったと言はれてゐます。
 エリウゲナについては、かつて私は、拙著『古代ギリシアの数理哲学への旅』で次󠄁のやうに書いたことがあります。
 9世紀最大の哲学者スコトゥス・エリウゲナは「論理的思考を神の啓示」と考えてキリスト教の教義をすべて「数学的・論理的」に証明しようと企てている。

 いささか大袈裟な物言ひかもしれませんが、エリウゲナは“理性信仰の人”、今風に述󠄁べれば“數理信仰の人”であり、例へば“自然”を古代ギリシアの四大元素說を參照しながら、アリストテレス流の“肯定と否定の論理”を驅使󠄁しながら、自然を4種に分類してゐます。彼は「眞の宗ヘは眞の哲學であり、逆󠄁もまた眞なり」と言ひ遺󠄁してゐますが、エリウゲナは“宗ヘと理性(ロゴス)の一致を堅く信じてゐた哲學者でした。
 カール大帝󠄁の沒後フランク王國は崩󠄁壞しヨーロッパは再び荒󠄁廢の時代に入っていきますが、ボエティウスやエリウゲナの哲學から、中世最大の論爭であるあの“普遍󠄁論爭(the problem of universals)”が生まれてきます。私がこの言葉を初めて知ったのは高校生の時でしたが、當時私は“普遍󠄁論爭”の意󠄁味も、またなぜ“普遍󠄁論爭”なるものが“~學論爭”と關係するのか、チンプンカンプン、全󠄁く理解できませんでした。二十代の後半󠄁、プラトンやアリストテレスの著作に親しむやうになり、“普遍󠄁論爭”のその切實さがやうやく納󠄁得できるやうになりましたが、まことにお粗末といふほかはありません。   (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 16:30| Comment(0) | 河田直樹

2023年06月21日

「やちまた」ノスヽメ/押井コ馬

【主󠄁な漢字の新舊對照表】
舊(旧) 對(対) 雙(双) 縣(県) 邊(辺) 來(来) 假(仮) 數(数) 兩(両) 稱(称) 點(点) 囘(囘) 變(変) 實(実) 誤󠄁(誤) 圍(囲) 應(応) 擇(択) 將(将) 單(単)

やちまた Web版
 『ヤマノススメ』ではなく、「やちまた」ノスヽメです。そんな駄洒落はともかく、令和疑問かなづかひ內、雙表記テキストで、「やちまた」といふWindowsアプリが配布されてゐます。これはWindowsアプリで、Word、一太郎、秀丸エディタ等、文書を扱󠄁へるアプリを組合せて使へます。一方、Windowsでしか使へないとか、インストールの手間が掛かるといふ制約󠄁もあります。
 そこで、モダンなウェブブラウザで使へる移植版「やちまた Web版」を作成󠄁してみました。このページにアクセスすればインストール無しですぐ使へますし、スマートフォンやタブレットでも使へます。


■やちまたとは? Yモードとは?
 「やちまた」と聞くと千葉縣の落花󠄁生の生產で有名な市(チーバくんの頰の邊り)を思ひ浮󠄁かべる方が多いと思ひますが、名前󠄁の由來とは特に關係ないさうです。
 新漢字/正漢字、新假名/正假名の複數の表記で文書を提供する必要󠄁がある場合、別々のテキストとして管理するよりも、兩表記を生成󠄁可能な情󠄁報を持たせた同一テキスト(これを「雙表記テキスト」、愛稱「Yモード」と呼ぶ)として管理し、必要󠄁に應じて表記を切り替へる方が整合性の點では有利です。
 この「雙表記テキスト(Yモード)」による文書作成󠄁を支援󠄁したり、Yモードテキストから新字/新かな、正字/正かなのテキストを生成󠄁するためのアプリが「やちまた」です。

■やちまた Web版の使ひ方
1.まづは「新かな」による文章が必要󠄁です。今囘は夏目漱石『我輩は猫である』新字・新かな版の冒󠄁頭を用意󠄁しました。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。


2.これをやちまた Web版のテキストエリアに貼り附け、「初囘假名遣󠄁變換」ボタンを押します(「正字+初囘假名遣󠄁變換」を押すと正字への變換も同時に行ひます)。するとこのやうになります。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いぢ'めじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶してゐ"る。吾輩はここで始めて人間といふ'ものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生といふ'人間中で一番獰悪な種族であったさう"だ。


 假名遣󠄁が「正假名」に變換された事がおわかりかと思ひますが、「ゐ"」の「"」や「いふ'」の「'」は何でせうか。これは「この部分は『正假名』と『新假名』で假名遣󠄁が變る」事を示す目印、いはば「訓點」です。內藏されたデータベースを基に、コンピュータが或程󠄁度自動認󠄁識して、假名遣󠄁が變る部分に自動的󠄁に訓點を附けてくれるのです。訓點が附かない場合、たとへば「ゐ"る」ではなく「いる」のままの場合は「要󠄁る」「射る」など「『正假名』と『新假名』で假名遣󠄁が同じ」扱󠄁ひになります。

3.實はコンピュータによる自動的󠄁な假名遣󠄁變換は、時々間違󠄂ひもあります。上の例では「いぢめ」と誤󠄁認󠄁識してか「ぢ'めじめ」と變換されたり、「泣いてゐ"た」とすべき部分が「泣いていた」のままになってゐます。その文字+訓點、または文字の後をクリック・タップしてカーソルを置き、「漢字・假名遣󠄁切替」ボタンを押すと順に候補が表示されます。
 「ぢ'」の後にカーソルを置いて「漢字・假名遣󠄁切替」ボタンを押し、「じめじめ」に、「泣いていた」の「い」と「た」の間にカーソルを置いて「漢字・假名遣󠄁切替」ボタンを二度押し、「泣いてゐ"た」に變換してみます。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてゐ"た事だけは記憶してゐ"る。吾輩はここで始めて人間といふ'ものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生といふ'人間中で一番獰悪な種族であったさう"だ。


4.これでYモードテキストが出來ました。あとは「新假名」や「正假名」ボタンを押すと、文章が新假名や正假名に切替ります。「新字」「正字(二水迄)」「正字(四水迄)」「正字(Unicode)」ボタンを押すと新字や正字に切替ります(「二水迄」「四水迄」「Unicode」は、どの範圍の漢字コードに對應させるかによって選󠄁擇します)。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてい"た事だけは記憶してい"る。吾輩はここで始めて人間という'ものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という'人間中で一番獰悪な種族であったそう"だ。(新字・新假名)


 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてゐ"た事だけは記憶してゐ"る。吾輩はここで始めて人間といふ'ものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生といふ'人間中で一番獰悪な種族であったさう"だ。(新字・正假名)


 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見當がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてゐ"た事だけは記憶してゐ"る。吾輩はここで始めて人間といふ'ものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生といふ'人間中で一番獰惡な種族であったさう"だ。(正字(Unicode)・正假名)


5.これを印刷したりブログ等に載せる場合は訓點が邪󠄂魔󠄁なので、「訓點除去」ボタンを押すと除去する事が出來ます。その後、テキストエリアにある文章をお使ひのアプリにコピー&ペーストしてお使ひ下さい。

■Yモードテキストの未來
 この機能の作成󠄁はこれからなのですが、ウェブサイトの文書をYモードテキスト化󠄁する事で、將來的󠄁にはボタン一つで「正字/新字」「正假名/新假名」の表示切替が出來る事を狙ってゐます。皆さんは「空文庫」で「舊字・舊かな版しかないけど、新字・新かな版でも讀みたい」とか、逆󠄁に「新字・新かな版ではなく舊字・舊かな版で讀みたい」と思った事はありませんか。空文庫には現在そんな機能はありませんが、Yモードテキスト化󠄁した文章ではこれが簡單に實現出來るはずです。次󠄁はこの機能の實現を目指してゐます。
posted by 國語問題協議會 at 12:45| Comment(0) | 押井コ馬

2023年06月02日

日本語ウォッチング(60)  織田多宇人

言語同斷
「そのやうな振舞ひは言語同斷」と書いてあつても、もつともらしく見えるが。「言語同斷」は正しくは「言語道󠄁斷」である。なほ「言語」だけなら「げんご」だが、言語道󠄁斷は「ごんごどうだん」と讀む。原義は言葉で述󠄁べる道󠄁が斷絶してゐると言ふことで、佛ヘでは「言葉で說明󠄁出來ない深奧の眞理」の意󠄁に、一般では「口で到底言ひ表せないこと」に、更󠄁にこれが轉じて「もつてのほか、とんでもないこと」の意󠄁に用ゐられる。これを「言語同斷」と書いたのでは、意󠄁味が分らなくなる。それこそ「言語同斷」等と書くのは言語道󠄁斷である。
posted by 國語問題協議會 at 22:40| Comment(0) | 織田多宇人