2023年08月27日

國語のこゝろ(24)「京の『ぶぶ漬け』、ネットの『讀み辛い舊字・舊かなが目障り』」/押井コ馬

【今回の要󠄁約󠄁】
@「讀み辛い舊字・舊かなが目障り」は大抵文字通󠄁りの意󠄁味ではなく
A「お前󠄁は默れ」「お前󠄁は馬鹿だ」「舊字・舊かなで書いても書かなくても、お前󠄁の意󠄁見を聞きたくない」の遠󠄁回し表現です
Bしかし、遠󠄁回し表現ではなく本氣で讀み辛い人には配慮すべき時もあります

【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 讀(読) 舊(旧) 默(黙) 氣(気) 對(対) 應(応) 當(当) 殘(残) 觀(観) 會(会) 禮(礼) 體(体) 驗(験) 粹(粋) 讓(譲) 獨(独) 覺(覚) 關(関) 圓(円) 餘(余') 觸(触) 淨(浄) 樣(様) 總(総) 惡(悪) 變(変) 發(発) 樂(楽) 證(証) 據(拠) 實(実) 戰(戦) 滿(満) 眞(真) 斷(断) 豐(豊) 踐(践) 祕(秘) 傳(伝) 獻(献) 數(数) 肅(粛) 點(点) 擧(挙) 經(経) ヘ(教) 專(専) 剩(剰) 轉(転) 險(険) 續(続) 乘(乗) 學(学) 來(来) 圍(囲) 處(処) 假(仮) 强(強)

■「京のぶぶ漬け」とは
 京キ人のお宅にお邪󠄂魔󠄁した時に、「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」と訊(き)かれたら、正直に「ええ、いただきます」と言ってはいけない。こんな話をお聞きになった方も多いでせう。本當は「早う歸り」の遠󠄁回し表現だといふ事です。他にもたとへば、子供が「元氣でよろしおますな」は「うるさくて困る」の遠󠄁回し表現だとか。
 殘念ながら私は京キには觀光客としてしか行った事がないので、イケズな京キ人には一人も會った事がなくみんな親切でしたし、國語問題協議會の京キ在住󠄁の理事もイケズとはまるで對極の親切な方ですし、この話が本當かどうかは知りません。
 まあ私は空氣をわざと讀まずに、イケズだとわかった上でぶぶ漬けをわざと召し上がって「初めての京のぶぶ漬け、おいしうございました」とお禮を言ったり、怒られても「へえ、他の場所󠄁には全󠄁然ないそんな風習󠄁があるんですね。なかなか味はへない體驗をありがたうございました」とまたお禮を言ったりしかねません。
 そんな冗談はさておき、遠󠄁回しの表現を使ひたがるのは京キ人に限った話ではないのは確かです。「お箸が無いんだけど」は「お箸をくれ」の、「みんなまだ働いてるよ」は「殘業しろ」の遠󠄁回し表現ですし、「今度ごでもいかがですか」と言はれて「いいですね、今度の土日なら空いてゐますが」と返󠄁事すると無粹な奴だと思はれます。

■「どうして讓步して新字・新かなで書かないの?」
 それでは、
「言葉は意󠄁思疏通󠄁(疎通󠄁)の道󠄁具󠄁なのに、相手の讀みづらい舊字・舊かなで書くのは、相手に讀ませる氣のない獨りよがりだ」
「舊字・舊かな自體を否定するわけではないが、多くの人にとっては讀み辛いから、書く人は讀まれない覺悟をしろ」

といふ非難はいかがでせうか。皆さんは、これらを「文字通󠄁り受󠄁け取るべき表現」とみなしますか。

 「文字通󠄁り受󠄁け取るべき表現」だとみなした傍觀者は、しばしばこのやうに言ひます。
「小さな讓步で人間關係が圓滑に廻るはずなのに、どうして頑固に舊字・舊かなを通󠄁すの?」
「舊字・舊かな信者はどうしていちいち言ひ返󠄁すの? そんな事をするから餘計に『觸れてはいけない、頭がをかしい人』と思はれるのでは? 大人の對應は出來ないの?」
「私は舊字・舊かなは愛するが、舊字・舊かな信者は駄目だ。舊字・舊かな信者自身がこんな態度で舊字・舊かなの評󠄁判󠄁を損ねてゐて、あなた方の界隈から人が離れていく原因を作ってゐる。それが厭なら、そんな人を排除する自淨作用を働かせろ」


 正字・正かな(いはゆる「舊字・舊かな」)で書く人には、樣々な考への人がゐます。以下の說明󠄁は正字・正かなの書き手總てに當てはまる訣(わけ)ではないので、惡しからずご諒承下さい。ここからは、「私が大抵敢へて讓步しない事の多い理由」を幾つか說明󠄁します。

■必ずしも文字通󠄁り受󠄁け取ってはならない
 私がインターネットを四半󠄁世紀程󠄁觀察した上で言へる事ですが、この種の「讀み辛い舊字・舊かなが目障り」云々の非難は、半󠄁分以上は「京のぶぶ漬け」みたいに「文字通󠄁り受󠄁け取るべき言葉ではありません」。
 文字通󠄁りでないとしたら、どんな意󠄁味でせうか。結論から先に書くなら「お前󠄁は默れ」「お前󠄁は馬鹿だ」「奇人變人發見!」「お前󠄁はネット民が樂しめるいいオモチャだ」「舊字・舊かなで書いても書かなくても、お前󠄁の意󠄁見を聞きたくない」の遠󠄁回し表現です。
 その證據に、馬鹿正直に讓步して「讀み易い」?新字・新かなで書いたところで、大抵は同じくまともに讀んでくれないのが落ちです。「異質なものの排除」の結論ありきで、「舊字・舊かな」はその口實に過󠄁ぎないからです。「相互の步み寄り」が出來ない相手に「讓步による改善」を期󠄁待すべきではありません。どうせ、非難する對象の努力が空回りしてゐるのを樂しみたいだけなのですから、そんな挑撥に乘ってはなりません。

 こんな風に、一徹に「舊字・舊かな」を通󠄁しても、讓步して「新字・新かな」で書いても相手がまともに讀んでくれないのであれば、どちらを選󠄁べばいいのかは、もう決まったやうなものです。言葉や「舊字・舊かな」や「新字・新かな」といふ表記だけがコミュニケーションではありません。「背中を見せる」事は本當に大切です。私自身、戰後もいはゆる「舊字・舊かな」を通󠄁した祖父の背中を見て育ったのが、この表記の讀み書きを學ぶ切っ掛けの一つでした。今は「舊字・舊かなで書く人とはコミュニケーションを取りたくないな」と思ってゐる相手も、五年後、十年後はわかりません。

■いはゆる「大宰メソッド」も多い
 不思議な事に、「讀み辛い舊字・舊かなが目障り」といふ趣旨の事を書く人も、大抵は返󠄁事が早いものです。一分未滿で返󠄁事が來た事さへあります。この種の人にとって、「讀み辛い」なんて眞っ赤な噓なんです。
 中には國語や古文のエキスパートが「私は不自由なく讀めるが、他のみんなは讀めないから配慮した方がいい」と言ふ事がありますが、これをネット用語で「大宰メソッド」と呼ぶさうです(註1)。「あなたに舊字・舊かなが讀めるわけがない」と勝󠄁手に決め付けて「配慮してやる」なんて態度こそ、逆󠄁に失禮ではないかと私は思ひます。
 正字・正かなの常用は、知識をひけらかすためではありません。お上は「たった七十年ちょっとの歷史しかなくて、それ以前󠄁の歷史と斷絶した國語」にしたかったらしいですが、あまりにも勿體ない。「千年以上の歷史を持つ國語を途󠄁切れさせたくない」のです。これまで蓄へられてきた豐かな國語の財產と、國語のあるべき姿󠄁を、古(いにしへ)の先人達󠄁に學び實踐したいのです。「博物に納󠄁められた剝製みたいな死んだ國語」では駄目なのです。そして「中學・高校で歷史的󠄁かなづかひを學んだあなたなら、固有名詞や表外字の部品で『舊漢字』に慣れてゐるあなたなら、きっと讀める」と信じての事ですし、仲間內だけの祕傳にもしたくないのです。それに、正字・正かなが讀める人は「私は讀めます」といちいちアピールしませんが、實際には多いものです。
 最近󠄁は「インターネットで正字・正かなで書く人の文章を讀むやうになってから、正字・正かなを讀むのにも慣れてきて、昔の文獻もすらすら讀めるやうになりました」といふ感想もいただきます。「日常見慣れた表記」になれば、自然と憶えるものです。
 これは、昭和二十一(1946)年の「当用漢字表」で漢字制限されてから平󠄁成󠄁二十二(2010)年の「常用漢字表」にやっと追󠄁加された漢字196字ですが、漢字制限を無視して六十四年間普通󠄁に使ってきた人がゐたからこそ、「死語」ではなく「生きた國語」として皆が忘󠄁れずに憶えてゐたし、どんな言葉にどう使ふのかも知ってゐます。正字・正かなについても、今後も誰かが使っていけば、「死語」ではなく「生きた國語」として何とか生き殘れますが、今ではインターネットこそがその最前󠄁線です。
挨 曖 宛 嵐 畏 萎 椅 彙 茨 咽 淫 唄 鬱 怨 媛 艶 旺 岡 臆 俺 苛 牙 瓦 楷 潰 諧 崖 蓋 骸 柿 顎 葛 釜 鎌 韓 玩 伎 亀 毀 畿 臼 嗅 巾 僅 錦 惧 串 窟 熊 詣 憬 稽 隙 桁 拳 鍵 舷 股 虎 錮 勾 梗 喉 乞 傲 駒 頃 痕 沙 挫 采 塞 埼 柵 刹 拶 斬 恣 摯 餌 鹿 𠮟(叱) 嫉 腫 呪 袖 羞 蹴 憧 拭 尻 芯 腎 須 裾 凄 醒 脊 戚 煎 羨 腺 詮 箋 膳 狙 遡 曽 爽 痩 踪 捉 遜 汰 唾 堆 戴 誰 旦 綻 緻 酎 貼 嘲 捗 椎 爪 鶴 諦 溺 塡(填) 妬 賭 藤 瞳 栃 頓 貪 丼 那 奈 梨 謎 鍋 匂 虹 捻 罵 剝(剥) 箸 氾 汎 阪 斑 眉 膝 肘 訃 阜 蔽 餅 璧 蔑 哺 蜂 貌 頰(頬) 睦 勃 昧 枕 蜜 冥 麺 冶 弥 闇 喩 湧 妖 瘍 沃 拉 辣 藍 璃 慄 侶 瞭 瑠 呂 賂 弄 籠 麓 脇


■特定の人へ舊字・舊かなで返󠄁事する事を、必ずしも自肅すべきではない
 「不特定多數に向けて書く分には舊字・舊かなでも良いが、特定の人への返󠄁事(SNSのリプライ等)では舊字・舊かなは自肅した方が良い」と主󠄁張する人が一部にゐます。一見正論に見えますが、實は問題點もあります(これまでに擧げた事と重複する項目もありますが、まとめも兼󠄁ねて二度書いておきます)。


  • 自肅の風潮󠄀が「舊字・舊かなによる返󠄁事を受󠄁け取りたい、讀みたい」他の大勢の人の邪󠄂魔󠄁をする事になる(私も「どうして舊字・舊かなで返󠄁事してくれないんですか? 期󠄁待してたのに!」と、普段新字・新かなで書く人に殘念がられた經驗がある)

  • 苦情󠄁を申し立てるのは「舊字・舊かなによる返󠄁事を讀みたくない」人ばかりで、「舊字・舊かなによる返󠄁事を受󠄁け取ってもいい、讀んでもいい」その他大勢の人はいちいち「私は讀みたいです」と公言しないし、表面上わからないが、後者の意󠄁見を無視する事になる

  • 「相手が內心で望󠄂まない言語や表記で書く」事を禁ずる「法律」も「宗ヘ的󠄁タブー」も存在しないし、「社會的󠄁タブー」についても、「大半󠄁の人が合意󠄁するもの」とまでは呼べない

  • SNSは大抵「新字・新かなの日本語專用の場所󠄁」でも「自分の母語しか使ってはいけない場所󠄁」でもないし、「相手が內心で望󠄂まない言語や表記で書く」事を禁ずる決まりもなく、どんな言語・表記も許される場、どんな言語・表記で返󠄁事が來ても當たり前󠄁の場だが、權限のない人による「自己流マナー」の押し付けは問題

  • 「舊字・舊かなが本人にとって地雷かどうか」は、本人が目立つ場所󠄁で公言しない限り、知る手立てもないが、だからといって過󠄁剩に自肅するのは「表現の萎縮」「文化󠄁の衰退󠄁」につながる

  • 「讀み手が自分のキ合で讀みたくない」のが問題なのに、「お前󠄁に不愉󠄁快にさせられた」と被害󠄂者ぶって責任轉嫁するケースも多い

  • 「相手が內心で望󠄂まない表記で書くな」は一見正論だが、嫌󠄁韓󠄁論者が「ハングルの案內板は要󠄁らない」と排除を主󠄁張するのに似た發想で、エスカレートすると「言語差別」「民族差別」につながる危險な思想

  • そもそも、SNSでは返󠄁事を「讀む義務」もなければ「それに返󠄁事する義務」もないので「讀みづらいから迷󠄁惑」は理由にならない

  • 特にTwitterのリプライは、形式としては「相手に對する返󠄁事」の形を取るが、實際には「世界中の他の大勢の人々」に宛てたメッセージである事も少なくないため、この場合、「相手の國語表記に合せてない」はナンセンス

  • 「舊字・舊かな」は千年以上續く「歷(れっき)とした國語のもう一つの標準」であり、略式の書き方を非難するならともかく、正式な書き方の國語を非難される謂れはない

  • それでも本當に「舊字・舊かなが讀みづらい」場合は配慮しても良いが、「自分にとって異質なものを排除する」「相手の意󠄁見が氣に入らないので、その人やその意󠄁見を排除する」ための「口實」として「舊字・舊かな」を持ち出すのが實際にはほとんどであり、その手に乘るのは賢明󠄁ではない



■配慮が必要󠄁な場合
 それでも、上記に當てはまらず、相手が本氣で讀み辛い場合など、狀況によっては配慮が必要󠄁になる事もあります。普通󠄁ヘ育をまともに受󠄁けられなかった人や、學習󠄁障碍を抱󠄁へてゐる人もゐて、それでも正字・正かなを讀むだけは出來る人も多いのですが、どうしても苦手な人が一部にゐます。YouTube Liveやツイキャス等のネット配信にコメントを書く時も、私は例外的󠄁に新字・新かなで書いてゐます。默讀と異なり、音󠄁讀は速󠄁く正確に讀む事が求められ、新字・新かなの文章でさへ、漢字を間違󠄂へて讀んだり「ぎなた讀み」になる事がしばしばある程󠄁だからです。

■トレードオフに逃󠄂げない方法もある
 上記のやうな一部の例外を除き、私は無理のない範圍で臆せず正字・正かなを使ふつもりでありますが、實は「正字・正かな/新字・新かな」の「トレードオフ」に逃󠄂げない方法もあり、場面は選󠄁びますがコンピュータ技術󠄁で解決できる方法を現在硏究中です。實用の目處が附いたところで發表しようと思ひます。

■參考文獻
歷史的󠄁假名遣󠄁事始め (十五) 市川 浩
歷史的󠄁假名遣󠄁事始め (二十二) 市川 浩
歷史的󠄁假名遣󠄁事始め (三十八) 市川 浩
國語のこゝろ(3)「毀譽襃貶相半󠄁ば」/押井コ馬
押井コ馬「正かな布ヘ心得」、『みんなのかなづかひ2018』


■註1 「大宰メソッド」の由來
「しかし、お前󠄁の、女道󠄁樂もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
 世間とは、いつたい、何の事でせう。人間の複數でせうか。どこに、その世間といふものの實體があるのでせう。けれども、何しろ、强く、きびしく、こはいもの、とばかり思つてこれまで生きて來たのですが、しかし、堀木にさう言はれて、ふと、
「世間といふのは、君ぢやないか。」
 といふ言葉が、舌の先まで出かかつて、堀木を怒らせるのがイヤで、ひつこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間ぢやない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢󠄁ふぞ。)
(世間ぢやない。あなたでせう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間ぢやない。葬るのは、あなたでせう?)
 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、惡辣(あくらつ)、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去來したのですが、自分は、ただ顏の汗をハンケチで拭いて、
冷汗(ひやあせ)、冷汗」
と言つて笑つただけでした。
 けれども、その時以來、自分は、(世間とは個人ぢやないか)といふ、思想めいたものを持つやうになつたのです。
(太宰治『人間失格』)
posted by 國語問題協議會 at 11:15| Comment(0) | 押井コ馬

2023年08月05日

日本語ウォッチング(62)  織田多宇人

昵懇の間柄󠄁 
 「(じつ)近󠄁(こん)の間柄󠄁」と言ふルビを振つた文言をみても抵抗無く見過󠄁ごしてしまふ人が多いと思ふが、これは「昵懇」でなくてはならない。ただ、昵懇(親密で心安い)とほぼ同じ意󠄁味の「昵近󠄁」と言ふ熟語もあるので、「じつこん」と言ふルビが無ければ、或は「じつきん」と言ふルビが附けてあれば間違󠄂ひではない。
 「昵」は音󠄁が「ジツ」で、訓が「ちかづく」であり、「昵懇、昵近󠄁」などの熟語を作る。「近󠄁」は今更說明󠄁するまでもないが、音󠄁は「キン、コン」で訓が「ちかい、ちかづく」であり、「近󠄁代、近󠄁況、近󠄁所󠄁、近󠄁親、接近󠄁」など多くの熟語を作る。一方、「懇」は音󠄁が「コン」で訓が「ねんごろ」であり、「懇切、懇意󠄁、懇談、懇親會、懇願」などの熟語を作る。
posted by 國語問題協議會 at 12:45| Comment(0) | 織田多宇人