【今回の要󠄁約󠄁】
@左書きは明󠄁治時代には既にあり、縱書き・右書き・左書きの三つが共存してゐました
A縱書き廢止には反對しますが、左書きに反對するわけではありません
B書きも便利ですが、縱書きの良さも見直してみませう
【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 既(既) 縱(縦) 廢(廃) 對(対) 舊(旧) 應(応) 當(当) 勞(労) 氣(気) 殘(残) 圈(圏) 傳(伝) 實(実) 佛(仏) 參(参) 專(専) 數(数) 學(学) 樂(楽) 續(続) 雜(雑) 廣(広) 香i緑) 粹(粋) 譯(訳) 淺(浅) 歐(欧) 蠻(蛮) 隸(隷) 萬(万) 惡(悪) 與(与) 眞(真) 來(来) 假(仮) 將(将) 贊(賛) 戰(戦) 讀(読) 賣(売) 廳(庁) 變(変) 臺(台) 灣(湾) 擧(挙) 狹(狭) 圍(囲) 爲(為) 畫(画) 狀(状) 册(冊) 擇(択) 點(点) 發(発) 樣(様) 覽(覧) 勳(勲) 覺(覚) 關(関) 號(号) 兒(児)
■「舊字・舊かなをどうして右から左に書かないの?」
正字・正かなで書いてゐると、よく言はれる言葉です。
まあ大半󠄁の場合は本當の質問ではなく、「どうせ右から左に書く苦勞まではする氣がないんだらう、そんな中途󠄁半󠄁端なら止めてしまへばいいのに」といふ「からかひ」の言葉です。
この先はその殘りのパターン、つまり本氣で疑問に思っていらっしゃる方への解說ですが、このブログを含め、インターネットで正字・正かなを使ふ人々は、どうして書きを右から左にではなく、左から右に書いてゐるのでせうか。
■縱書き・右書き・左書きの三つが共存してゐた時代
文字を書き進󠄁める方向のことを「書字方向」と呼びます。英語やヒンディー語のやうに左から右に書く(左書き)言葉もあれば、アラビア語やヘブライ語のやうに右から左に書く(右書き)言葉もあります。
中國、朝󠄁鮮、日本といった漢字圈の國々の傳統的󠄁な書字方向は上から下、つまり「縱書き」です。そして行は右から左へ進󠄁んでいきました。
江戶時代以前󠄁の日本人が「書き」といふものを全󠄁然知らなかったわけでは無ささうです。ポルトガル語やオランダ語を通󠄁してでせうか。勿論それも大きいのですが、實は更󠄁に昔、七〜八世紀のインドの佛ヘの書物が日本の法骼宸ノ傳來し、今でも殘ってゐるさうですが、梵字の左書きで書かれてゐます(中國や日本では梵字を縱書きしましたが、元は書きでした)。(參考:
法隆寺献納宝物 - Wikipedia)
![[生そばの看板。右から左に書かれてゐる]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E59C8BE8AA9EE381AEE38193E3829DE3828D25_E7949FE3819DE381B0-thumbnail2.jpg)
それでも江戶時代以前󠄁は、日本語を書きする習󠄁慣は普及󠄁してをらず、殆どが縱書きでした。例外として、扁額や暖󠄁簾など長のスペースに書く時は、縱書きの行の進󠄁みと同じく、右から左の方向に書き進󠄁める事もありました。今でもそば屋やうなぎ屋などの老舖の看板や暖󠄁簾など、そして寺社等の扁額でも時折見掛けます。これは「一行一文字の縱書き」とも言へるものでしたが、一行限りの短文專用の書き方で、二行以上の長文を書きする事はまづありませんでした。縱書きが基本なのですから、たとへば二行の右書きをするくらゐなら、一行二文字の縱書きをしてゐました。
英語圖解 | 教科書・学習書 | 国立教育政策研究所教育図書館貴重資料デジタルコレクション
尋常小学算術 第一学年児童用 下-広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース 長文の日本語を書きする習󠄁慣が本格的󠄁に根附き始めたのは明󠄁治時代以降で、まづは英語のテキストから始まっていったやうです。左書きする英語に合せて日本語もだんだん左書きされていきました。その後、算用數字による計算や、アルファベットによる數式を多用する數學や科學や簿󠄁記の世界でも左書きの方がキ合が良いので徐々に採󠄁り入れられ、音󠄁樂の樂譜も左から右へ進󠄁むので、音󠄁符の下の歌詞も左書きされました。
クロス・ワード・パヅル : 最新世界的遊戯知識競 家庭の巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション 意󠄁外なところでは、大正十四(1925)年に日本でクロスワードパズルのブームが起󠄁きました。勿論「縱の鍵󠄀」と「の鍵󠄀」があるのですが、の鍵󠄀は現代と同じく、左書きされてゐました。
![[左横書きのニッサン洗剤の広告と、右横書きの石河羅紗店の広告]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E59C8BE8AA9EE381AEE38193E3829DE3828D25_E3838BE38383E382B5E383B3E6B497E58A91_E79FB3E6B2B3E7BE85E7B497E5BA97E5BBA3E5918A-thumbnail2.jpg)
そして從來通󠄁りの「縱書き」と「右書き」も引き續き使はれてゐて、結局「縱書き・右書き・左書きの三つが共存してゐた」事になります。新聞や雜誌の本文は縱書き、廣吿は左書きもあれば右書きもある、といふ風に、同じ出版物でその三つの書字方向が混在してゐる事も珍しくありませんでした。ちやうど現在の出版物で縱書きと書きの混在している場合があるのと同じです。
![[英数字を多用する横書きの本は明治時代から左横書き。右横書きは、横長の空間に書いたり、縦書き文書の一部に横書きの短文を混ぜる場合に使用。縦書きは昔ながらの書字方向。]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E59C8BE8AA9EE381AEE38193E3829DE3828D25_E4B889E381A4E381AEE69BB8E5AD97E696B9E59091E381AEE794A8E98094-thumbnail2.jpg)
ここまで說明󠄁すると、左書きと右書きの使ひ分けが少し見えてきた事と思ひます。つまり用途󠄁に應じて使ひ分けてゐました。英數字と混ぜて使ふとか、西洋的󠄁な印象を出したい場合は左書き。和風な縱書きの中に短い書きを混ぜたり、長のスペースに文字を書く場合は右書きでした。
佐藤󠄁紅著『あゝ玉杯に花󠄁うけて』を讀むと、左書きに西洋的󠄁といふ印象があった事が窺へます(私がこの先生の意󠄁見に同意󠄁するかって? 生憎私は國粹主󠄁義者ではありません……)。
……英語の先生とは言ふものの、この朝󠄁井先生は猛烈な國粹主󠄁義者であつた、或日生徒は英語の和譯を左から右へに書いた。それを見て先生は烈火の如く怒つた。
『君等は夷狄の眞似をするか、日本の文字が右から左へ書く事は昔からの國風である、日本人が米のを⻝ふ事と、顏が黃色である事と目玉が漆の如くKく美しいことと、君に忠なる事と親に孝なる事と友に篤き事と先輩を敬ふ事は世界に對して誇る美點である、それを君等は淺薄な歐米の蠻風を模倣するとは何事だ、さあ手を擧げて見給へ、ゥ君のうちに目玉がくなりたい奴があるか、天皇に叛かうとする奴があるか、日本を歐米の奴隸にしようとする奴があるか』
先生の淚が輝いた、生徒はすつかり感激して泣き出してしまつた。
『新聞の廣吿や、町の看板にも不心得千萬な左からの文字がある、それは日本を愛しない奴等の所󠄁業だ。ゥ君はそれに惡化󠄁されてはいかん、いゝか、かういふ不心得な奴等を感化󠄁して純日本に復活せしむるのはゥ君の責任だぞ、いゝか、解つたか』
此の日ほど烈しい感動を生徒に與へた事はなかつた。
『カトレットはえらいな』と人々は囁きあつた。
■「右書きではなく一行一文字の縱書き」說は眞實か
……と書くと、「いや、右書きなんてものは元々存在しない」と反論する人が出て來るのがお約󠄁束です。「あれは書きではなく、一行一文字の縱書きだ」と。
私も「一部は眞實」だと思ひます。確かに「一行一文字の縱書き」とも取れるものが多いものです。
しかし、これはどうでせうか。
![[クラブ美身クリームの広告。一番上に「新しい美容は/ホルモンと/ビタミンから…」と三行の右横書き]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E59C8BE8AA9EE381AEE38193E3829DE3828D25_E382AFE383A9E38396E7BE8EE8BAABE382AFE383AAE383BCE383A0E5BBA3E5918A-thumbnail2.jpg)
「新しい美容は/ホルモンと/ビタミンから…」の部分ですが、これは「一行一文字の縱書きの三段組」と呼ぶにはちょっとつらい氣がします。昭和の始め頃から、西洋的󠄁な左書きの影響を受󠄁けて二行以上のもう少し長めの文章が書かれる例もありましたが、この場合は「一行一文字の縱書き」から明󠄁らかに外れてゐます。また、棒引き(ー)や括弧などが向きである場合も、一行一文字の縱書きではなく、正眞正銘の右書きとみなした方が自然でせう。
■「書字方向の使ひ分け」と「左書き以外を廢止」は似て非なるもの
明󠄁治以降、漢字廢止論、つまり漢字で書くのをやめて假名かローマ字だけで書く國語に改造󠄁しようといふ運󠄁動が本格的󠄁になり、明󠄁治政府も將來的󠄁に漢字を廢止する方針を決めました。この方針に贊同する人が同時に行はうとした事の一つが「左書きへの統一」でした。「縱書き」と「右書き」をやめようといふ事です。
縱書きはともかく、右書きをやめて左書きへ移行しようといふ試みは戰前󠄁からありましたが、左書きが本格的󠄁に普及󠄁して右書きが廢れていったのは昭和二十年代以降の事でした。昭和二十一年に讀賣新聞、昭和二十二年に朝󠄁日新聞が新聞に左書きを採󠄁用し、昭和二十年代以降、省廳の文書が縱書きから左書きに徐々に變更󠄁されていったのがきっかけでした。
![[そば屋の掛紙。「きそば」は右横書き、そば屋の名前と場所は左横書き、「天どん」「親子丼」は縦書き。]](http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/sblo_files/kokugomondaikyo/image/E59C8BE8AA9EE381AEE38193E3829DE3828D25_E3819DE381B0E5B18BE381AEE68E9BE7B499-thumbnail2.jpg)
しかし戰後も右書きが全󠄁く絶滅したわけではありません。先に擧げた老舖の看板や暖󠄁簾、寺社の扁額等(これらの多くは一行一文字の縱書きでせう)は勿論、商用車の右側面に社名等が右書きされてゐる事も珍しくありません。省廳の文書で、右書きが一番最後に殘ったのが、恐󠄁らく土地や建物の登記簿󠄁です(それ以外のものをご存じでしたらごヘ示下さい)。電子化󠄁されて左書きになる(各地で徐々に進󠄁められ、平󠄁成󠄁二十(2008)年に完了)前󠄁は、縱書きに一部右書きの書式で書かれてゐました。
なほ、臺灣は右書きがかなり後まで殘り、1980年代頃までは右書きが普通󠄁に使はれてゐたさうです。
そろそろ冒󠄁頭の質問、「舊字・舊かなをどうして右から左に書かないの?」に答へる事にしませう。「そんな理由はどこにあるのですか」がその答へです。
先に擧げた通󠄁り、日本語は「縱書き・右書き・左書き」の三種類の書字方向を用途󠄁に應じて使ひ分けられる言語です。「舊字・舊かなには右書きだけしか許さない」といふ、狹い範圍に押し込󠄁めるやうな文句を私は許せません。そもそも日本語の傳統的󠄁な書字方向は縱書きが基本なのですから、縱書きを差し置いて右書きを求めるのも、をかしな話です。勿論、縱書き廢止にも私は反對します。
しかしインターネットはURLが左書きされる等、左書きとの親和性が高い世界です。またウェブサイトの記述󠄁言語であるHTMLも、縱書きする爲の規格も一應ありますが、原則としては書きで書く事を前󠄁提に設計されてゐる部分が多く、例へばブログやSNSなどは大抵書きしか對應してゐません。縱書きのテキストをそのまま載せられない場合でも、畫像で載せる、縱をわざと組み替へて書く等、無理に縱書きする方法もありますが、さうすると文書の再利用性が低くなりますし、編󠄁輯も大變です。將來的󠄁には縱書きによるウェブサイトやブログ等がもっと普及󠄁して欲しいと個人的󠄁には思ひますが、現狀では「あまり無理のない範圍で」行ふのが良ささうです。
紙の册子の場合は、もっと自由が利きます。數式やアルファベットの多い技術󠄁書などは別として、私は積極的󠄁に縱書きを採󠄁り入れる事にしてゐます。縱書きの本は、スペースに應じて縱書きと書きを自在に選󠄁擇してレイアウトしやすい利點もあります。
漫畫も、極一部の例外はあるものの、商業誌・同人誌の別なく九割󠄀九分が縱書きです。昭和五十一〜五十四年までサンリオにより發刊されてゐた漫畫雜誌『リリカ』が書きを採󠄁り入れたり、ネット漫畫で書きが試される事もあったりと、日本の書き漫畫が全󠄁くないわけではないのですが、なかなか定着しづらいやうです。樣々な出版物が書きになっていく現在、「漫畫は縱書きの最後の砦」かも知れません。
さて、書きの歷史に興味の湧いてきた皆さん、詳しくは、
屋名池誠󠄁著『横書き登場―日本語表記の近代』を是非ご覽下さい。大變參考になる本です。
また、縱書きの利點については本會の若井勳夫理事が會誌『國語國字』に「縱書きの意󠄁識と感覺」といふ記事を連載してゐます。この連載を含めた若井理事の縱書き關聯の記事の揭載號は以下の通󠄁りです。
第187號 pp33-6 縱書きの文法的󠄁原理
第189號 pp38-41 縱書きによる理解と表現
第191號 pp45-52 縱書きの意󠄁識と感覺
第194號 pp59-62 續、縱書きの意󠄁識と感覺
第197號 pp30-3 縱書の意󠄁識と感覺(その三)
第198號 pp36-9 縱書の意󠄁識と感覺(その四)
第199號 pp49-51 縱書きの意󠄁識と感覺(その五)
第203號 pp23-5 縱書きの意󠄁識と感覺(その六)
第204號 pp47-50 縱書きの意󠄁識と感覺(その七)
第207號 pp57-61 縱書きの意󠄁識と感覺(その八)
第208號 pp18-22 縱書きの意󠄁識と感覺(その九)
第210號 pp32-6 縱書きの意󠄁識と感覺(その十)
第213號 pp38-43 縱書きの意󠄁識と感覺(その十一)
第215號 pp71-6 縱書きの意󠄁識と感覺(その十二)
第217號 pp58-64 縱書きの意󠄁識と感覺(十三)
第219號 pp75-9 縱書きの意󠄁識と感覺(十四)
■參考資󠄁料
尋󠄁常小學算術󠄁書. 第1-3學年兒童用尋󠄁常小學算術󠄁. 第1學年兒童用 下日本語が縦書きから横書きになるまで(前篇) 日本語学者 屋名池 誠 Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)