【今回の要󠄁約󠄁】
@「舊字・舊かなと新字・新かなの違󠄂ひ」「國語改革がいつ行はれたか」を誰もが肌で知ってゐたのは昔の話です
A正字・正かなの文化󠄁を繼承した人の多くは「親や祖父母に學んだ」のではなく「見て盜んで學び」ました
B「讀む」「書く」ことを學ぶ前󠄁に「知る」事も必要󠄁です
【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 舊(旧) 繼(継) 學(学) 讀(読) 對(対) 應(応) 藝(芸) 會(会) 當(当) 氣(気) 豊(豊) 戰(戦) 爭(争) 經(経) 驗(験) 實(実) 踐(践) 續(続) 惡(悪) 廢(廃) 嚴(厳) 觀(観) 斷(断) 樣(様) 觸(触) 變(変) 覽(覧) 賣(売) 隱(隠) 廣(広)
本日は東京ビッグサイトで開催された「コミックマーケット103」に、私の主󠄁宰する文藝同人サークル「はなごよみ」の名義で出展し、歷史的󠄁かなづかひによる本を中心に頒布しました。多くの方がお寄りくださったり、本をお求めくださったりしました。有難うございました。
■「親は舊字・舊かな、子は新字・新かな」の時代は遠󠄁くなりにけり
本會は昭和三十四(一九五九)年に設立されました。その當時は「舊字・舊かなと新字・新かなの違󠄂ひ」「國語改革がいつ行はれたか」を知らない人はまづゐませんでした。大人は昭和二十一(一九四六)年の「当用漢字表」「現代かなづかい」內閣吿示以降に新聞や役所󠄁の文書などが次󠄁第に新しい表記になっていったのを肌で知ってゐましたし、子供も、自分達󠄁が學校で學んだのとは少し違󠄂ふ書き方を親がしてゐる事に氣附いてゐました。
sc恆存氏が歷史的󠄁かなづかひを擁護し現代かなづかいを批判󠄁する『私の國語ヘ室』を著したり、國語問題協議會の當時の常任理事であった市原豐太氏が『同胞󠄁各位に訴へる』を書いた時代背景とは、以上のやうなものでした。
しかし今はどうでせう。「戰爭の經驗を祖父母に聞いてくる」宿題が難しくなってきました。何故なら、戰前󠄁生れの世代がだんだん居なくなってゐるからです。これは「戰前󠄁の正字・正かな(舊字・舊かな)によるヘ育を受󠄁けた世代も少くなってゐる」事も意󠄁味します。現代の子供達󠄁は、親どころか祖父母でさへ、新字・新かなでヘ育を受󠄁けた世代なのです。
■見て盜んで學んだ者が文化󠄁を繼承した
「殖民地の現地語」や「方言」は、「氣を附けないと三世代で消󠄁滅し得る」と言はれてゐます。「親と異る言葉を學んだ子供」は「親の言葉を理解なら出來るが、實踐はしないし、自分の子供にも繼承しない」場合があるからです。
これは正字・正かな表記についても當てはまります。戰後生れ世代の子供達󠄁は、戰前󠄁生れ世代の親の書く言葉を讀んで理解は出來ましたが、自ら書く事は大抵ありませんでしたし、子供にもヘへませんでした。それでも孫の世代は「祖父母が何やら自分達󠄁と違󠄂ふ書き方をしてゐる」といふ事は知ってゐました。ところが曾孫以降の世代となると、「正字・正かなで書き續けてゐる上の世代」の姿󠄁を知りません。良くて「歷史の本に出て來る偉人達󠄁(身近󠄁な存在ではない)の書き方」「普段見なくて古めかしいのが舊字・舊かな」、惡くて「何で中國語の漢字で書くの?」「どこの方言?」と何も知りません。「一九八六年に舊かなづかひが廢止されたみたいだよ」と、年代もまるで知らない事もあります。
それでは「文化󠄁は繼承されなかった」のでせうか。嚴密にはさうとも言ひ切れません。インターネットでは正字・正かなで現代の言葉を綴る人々が一人や二人どころか何十人何百人と觀察されますが、戰後世代も決して少くありません。インターネットの外を含めると更に多いでせう。これらの人々の多くは、學校で學んだのでも、自分の親や祖父母に書き方を習󠄁ったのでもありません。はっきり言ひますが「獨學」したり「見て盜んで學び」ました。戰前󠄁生れの人から直接學ぶ事が全󠄁く無かったわけではありませんが、あるとしても、たとへば「一つや二つ質問した」といふ斷片的󠄁なものでした。
長年育てられてきた文化󠄁を親が子にヘへなかった世代があった事、そしてその文化󠄁を見て盜んで學んだ人が辛うじて繼承してきた事を、どう見るべきでせうか。本當に悲しい現實です。
■知る→讀む→書く
さて、國語國字問題の背景となる情󠄁報について「一からか? 一から說明󠄁しないと駄目か?」と昭和世代は言ふかも知れませんが、一から說明󠄁しなければなりません。もう、そんな時代なのです。
「正字・正かなの文章を讀む技術󠄁を學ぶ」「書く技術󠄁を學ぶ」前󠄁に、「知る」が必要󠄁なのです。
どうすれば知る事ができるでせうか。「昔の文章から現代の文章まで、樣々な出版物の實例に觸れる」のは一つの方法です。これまではあるとしても緩󠄁やかな變化󠄁だったのが、昭和二十年代には非常に急󠄁激な變化󠄁が生じてゐる事が、そこから分ります。當然、「どうしてこの變化󠄁が起󠄁きたの?」といふ疑問が生じます。昭和世代にとっては常識中の常識ですが、若い世代にも常識とは限りませんし、サボらずに一から說明󠄁しなければなりません。來年以降はこの分野にも力を入れたいと考へてゐます。
その次󠄁のステップである「讀む」ですが、百漢字 正字新字一覽表は「これまでは分らない舊字をキ度調󠄁べてゐたが、こんな便利な一覽表は見た事がないし、有難い」と多くの方に感謝されました。本日開催されたコミックマーケットの私のサークルスペースでも、一番人氣は無償頒布したこの一覽表で(勿論本も賣れましたが)、目ざとく見附けて「これ持っていっていいですか?」と聞く若者が多かったのが印象的󠄁でした。「供給」してみれば「隱れた需要󠄁」は掘り起󠄁こせるものです。
ともすると我々は「正字・正かなで書きたい」人向けに情󠄁報發信したくなりますが、先の「正字新字一覽表」のやうに、「書かないまでも讀みたい」需要󠄁は意󠄁外と多いものですし、その層を大事にする事で「裾野が廣く」なり得ます(讀むだけだった人も、氣が向いたら書きたくなるかも知れません)。これについても現在いろいろ考へてゐるところです。
※1/1更新:『みんなのかなづかひ』の表紙イラストを描いてくださってゐるコシヌケ1040先生が、上記に關聯してこんな記事を書いてくださいました。合せて御覽下さい。
あけおめことよろ2024|コシヌケ1040|pixivFANBOX
“パッと見て「見慣れないこの字は見慣れたあの字と新旧の繋がりがあるんだ」って視覚的に理解できる、発見できるものって貴重だなあと。”
“俺達のバイブルみたいになってる福田恆存の『私の國語教室』だって、あれはまだ正字と正かなづかひの香りが今より色濃く残ってゐた時代の代物なんですよね、って。だからあの本自体が、どんどん初見殺しになりつつある。そんなわけで今年は、正字だ正かなづかひだ云々以前の、国語表記の歴史が見てわかる、発見できる、見て楽しい、さういふ博物館みたいな本やサイトを作らうか、なんて話をしました。”
2023年12月31日
國語のこゝろ(26)「『現代の同胞󠄁各位に訴へる』には」/押井コ馬
posted by 國語問題協議會 at 23:10| Comment(0)
| 押井コ馬