2015年01月04日

文とり(1) 賢愚經 中谷信男

 賢愚經といふ、仏教の御經といふより、賢者や愚者の話を集めた一種の説話集があります。東大寺に傳來したため聖武天皇の宸翰(御筆跡)との傳承があり、その經本は國寶にまでなつてゐます。ここに使はれてゐる「賢愚」といふことばは、「賢い」と「愚か」といふ反對語をならべて一字になつてゐることばですが、もう一つ別の意味も考へられます。つまり大和ことばにすると「かしこいばか」となり、つまりは「りこうばか」ともとれるものです。

この「利口馬鹿」は辭書にも登録されてゐて、自分では利口のつもりでゐても、人からはまぬけた行動をしてゐるやうに見えることを意味します。
「學者馬鹿」といふ言葉もあつて、一般には、智能指數は高いが、常識となるとまるきり駄目な人、自分ではそのことがわからない人のことを指します。

このやうに、まるで正反対の意味のことば(對義語)を強引に一つに結びつけて一つの單語にするので「對義結合」とも呼ばれる語法ですが、このやうな用法に名前をつけたのは古代のギリシャ人でした。
その「オクシ賢モロン愚」がそのまま英語”OXYMORON”になつて、日本では「矛楯語法」と譯されてゐます。

世界一よく出来たオクシモロンは何か、それがこの「矛楯」だといつてよいでせう。日本人なら誰もが自家藥籠中のものとして、「お前さんの言つてゐることは矛楯してゐるよ」などとよく使ふ單語ですが、ここで改めて由來を述べておきませう。

西紀前三世紀頃にあつた楚の國で、この矛はどんな楯をも貫き通す、こちらの楯はどんな矛も通さないと自慢しながら矛と楯を賣つてゐる男がゐましたが、それを聞いた人がその矛でその楯を突いたらどうなるとたづねたところ男は返答に窮したといふ話(「韓非子」)、それが語源です。

話が少し横道にそれますが、利口馬鹿の馬と鹿は反對語とは言へないにしても、秦の權臣が皇帝に「鹿」を「馬」と言つて獻上したら、群臣は權勢におもねつてその矛楯に反對しなかつた、それが「鹿を指して馬となす」といふ成語になり、馬鹿バカの語源とされたものです。

しかし、鹿を〔カ〕と讀むのは和語であつて、音は〔ロク〕、愚者の〔バカ〕とはなりません。元は印度の梵語からきたもので moha〔モハ〕、馬が〔マ〕ともバ〕とも讀まれ、海がハイ〕とも〔カイ〕とも發音されることからも、〔バカ〕の音が出てきたものです。モハは無智を指すことばで、佛僧が人をおとしめるやうな言葉「愚か者」を使ふ譯には行かないので、隱語のやうに〔バカ〕と言つたものとされてゐます。俗界の人にはわからない言葉でした。人前で「あの人は御利口な御〔バカ〕さんですね」とは大聲で言へたわけです。

「公然の祕密」"Open Secret"といふオクシモロンの慣用句があります。表向きは祕密にされてゐるが、實は誰でも真実は知つてゐることを指します。内外を問はず政治家に多いのが表向きは祕密なはずの「隱し子」です。以前のある政黨ではその長であつた政治家が二人とも「隱し子」のゐたことを公表しましたが、これは「祕密」を「公然」のものにしたことです。しかし、その後の隱し子がどうなつたかは祕密にされてゐるやうです。
posted by 國語問題協議會 at 13:12| Comment(0) | 中谷信男
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