2016年06月20日

がらんとした天井の下に 中谷信男

「がらんがらんと鐘がなる」といつたときのがらんがらんは、からんよりは大きな音を眞似た言葉、いはゆる擬音語です。それと同じ音を使つて「がらんとしてゐる」といつた時のがらんは、日本語由來の言葉ではありません。「僧伽藍」といふ僧が集る寺院建築を意味する梵語名詞が取込まれて、大きな部屋、空間で何もない状態を示す日本語副詞になりました。
日本語の特徴の一つには、擬音(聲)語(オノマトペイ)の多いことが擧げられてゐます。極端な人は、日本語の多くは擬音語から單語が作られたと主張します。それほど日常多用されてゐることは確かです。

音そのものから或るイメイジを生みだすものなので、言葉の論理的な運用とは懸け離れてゐる上に、日本人特有のイメイジによることが多いので、外國人の日本語學習にはかなりな障礙となつてゐます。最近の携帶電話やタブレットにはマニュアルはついてをらず、多くのアイコン・icon があつて、その畫像から類推して作業を進めるやうになつてゐます。擬音のやうに聽覺によるものでなく、 視覺的な擬態語に似てはゐますが、イコンは直觀力を必要とされる點が、擬聲語にとてもよく似てゐます。

つぶつぶと」といふ單語は語源ははつきりとはしないにしても、小さく丸いもののイメイジから擬態語、擬聲語に組入れられてゐて、源氏物語を始めとして同じイメイジで使はれ續けてゐます。「かくつぶつぶと書きたまへるさまの」「つぶつぶとなき給ふ」「つぶつぶとをかしげなる胸をあけて」「つぶつぶと言ひしらする」など、樣々な意味の用法がありますが、いづれも細かい、丸いなどのイメイジから解釋出來るものです。「つぶさに」「つぶら」「つぶやく」など、粒のイメイジから日本人には容易く諒解されませう。

直觀は非論理的であるためからか、多くの「文章讀本」などでは、必ずと言つてよいほど、文章を書くときには擬音語、擬態語を極力使ふなと忠告してゐます。漢語を使へと獎める人もゐますが、その漢語とて、「峨々たる山」「諄々と説く」「爛々と眼を光らせた」などりつぱな擬態語で、漢語の擬聲語擬態語なら認め、和語のものは使ふなといふ意見には納得が行きません。中でも「呵々大笑する」は「カカ」と讀みますが、此の語、「發音の意味の口偏」がついて、じつは「ハハ」だつたのではないかと、素人ながら考へてゐます。地藏菩薩の眞言には「訶訶訶」とあり、これはサンスクリット語では「ハハハ・hahaha」とあつて笑ひ聲の擬聲語であることから類推されます。特に昔の日本人は〔h〕を〔k〕音で發聲してゐましたから、今に至るまで地藏菩薩の眞言は「おん・カカカび・さんまえい・そわか」と讀んでゐます。

印歐語では、〔sl〕には滑るとか傾くといつた意味があると聞いたことがありますが、slip、sleigh橇、sleek滑らか、slickつるつる、slide滑る、slug なめくじ、等々とあげていくと、英語もかなり擬音語的だと思はされます。日本語のすらりとかするするすりぬける等も音だけで意味がとれさうです。
最近耳で確認したことですが、バッハと同世代の音樂家ラモーには蛙を主役としたオペラがあり、その中の合唱に蛙の擬聲語「クワクワ」が出てきました。佛蘭西語に purqoi 何故といふ言葉があり、そのquoiをクワ(コワ)と發音することから使はれてゐたもので、18世紀の佛蘭西でこのやうな、日本の田圃ではなじみの蛙達の合唱をイメイジさせる擬聲語が音樂になつてゐることを大變面白いと思ひました。
日本では、三善晃といふ作曲家が「こどものピアノ小品集」で、ぎざぎざふわふわするするひらひらといつたオノマトペイを題名にして、ピアノの技術と共に、子供の感性をそだてやうとしてゐます。
これもつい最近に知つたことですが、時代の最先端を行くiPS 細胞の培養のことです。人間の體細胞から多能性幹細胞に變化させるその技法については多くの解説がわかりやすく行なはれてゐますが、大いに興味をそそられたのは、その培養過程です。毎日のやうに細胞を觀察し記録してゐる技術者の報告に、擬態語が多く使はれてゐるとか。正確なことばは覺えてゐませんが、個々の細胞もそれなりに個性があるのでせうか、「この細胞は今日はぴりつとしてゐる」とか「くねくねしてゐる」といつたやうな表現をして、成長の樣をかなり的確に言ひ當ててゐるさうです。いかにも日本的と言へる言語感覺だと思へる一方で、視覺と聽覺を結びつけた言語の有用性が見て取れます。たとへば副詞と動詞を一語におさめたアメリカネイティブの「ぴかる」や、主語と動詞を一語にした日本の「あふり・雨降」神社などといつた包合語が、五感プラス意識を結びつける大切な言語機能となるやうに思へます。論理一方の統語法・シンタックスとは對極にある言語事實です。


posted by 國語問題協議會 at 10:45| Comment(0) | 中谷信男
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: