2016年06月27日

 きゃりこの戀(23) 大と太  雁井理香(かりゐりか) 

きゃりこ:
 小倉山嶺の紅葉葉心あらば今一度のみゆき待たなむさだのぶきみ
オスカー:
 「さだのぶきみ」つて何ですか。
きゃりこ:
 作者の名前らしい。漢字で書くと「貞信公」。
オスカー:
 「ていしんこう」と讀んでね。藤原忠平のこと。道長の曽祖父。
平安時代前期には、太政大臣経験者にはみんな「公」のついた名前が死んだ後に贈られたのです。百人一首には、「謙徳公」といふ人もゐますが、これは忠平の子供の伊尹(これただ)。
摂関時代も最後の頃になると、「公」は贈られません。百人一首でも、保元の乱に出てくる藤原良経なんかは、「後京極摂政前太政大臣」といふ肩書きで、「公」はついてゐません。
きゃりこ:
 その「だじやうだいじん」といふのは、一番偉い人なのね。
オスカー:
 「だいじやうだいじん」と讀んで下さいね。
きゃりこ:
 えッ。ちよつと漢和辞典貸してね。----------------ほら、「太」には「タイ・タ」はあるけど、「ダイ」といふ音は出てゐないよ。でも、「ダ」も出てゐないから、どつちも間違ひかも。
オスカー:
 辞書に出てゐなくてもいいんですよ。
きゃりこ:
 アメリカ人のくせに、漢和辞典より俺のはうが正しいって言ふつもり?
オスカー:
 固有名詞は慣用的な讀み方が出來てくるものなのです。さういふふうに、常識では考へられない発音をする所が日本語の魅力だと言つたぢやないですか。
 歴史上、一人だけ「だじやうだいじん」がゐます。明治十八年に、内閣制度が出来る前は、「太政官制度」だつたのですが、そのトップの「太政大臣」は「だじやうだいじん」と讀むことになつてゐました。それに就任したのは、三條実美だけ。この人が、歴史上ただ一人の「だじやうだいじん」。
 ただ、退位した天皇のことは、「太上天皇」、縮めて「上皇」と言ひますが、これは「だじやうてんわう」。もつとも、「だじやうてんわう」でもいいといふことになつてゐます。
きゃりこ:
  「太政大臣」の下が、右大臣とか左大臣ですね。当然、太政大臣・右大臣・左大臣の順ですね。
オスカー:
 違ひます。太政大臣・左大臣・右大臣の順です。
きゃりこ:
 右より左の方が偉いの?
オスカー:
 「天子は南面す」といふ言葉があります。中国の皇帝は、北極星になぞらへられて、いつも北にゐて、南を向いてゐるのです。そして、天子から、南に並んでゐる臣下を見ると、東が左、西が右になります。東は太陽の昇る方向だから、西より偉い。だから、左が右より偉いことになるのです。左大臣の方が右大臣より偉いんですよ。
 ところで、「ダザイフ」つて、漢字で書けますか。
きゃりこ:
 太宰府。
オスカー:
 これは、百人一首の解説で、「菅原道真」の所だけど。ほら、ここ讀んでみて。
きゃりこ:
 なになに。「時平の讒言にあつて失脚し、大宰權帥に貶せられて、九州へ流された」。それがどうしたの。------------あれッ。「大宰權帥」が「太」でなく「大」になつてる。
 分かつた。ダザイフのときは「太」だけど、役人のときは「大」を使ふんだ。
オスカー:
 発想はいいけど、まるつきり違ひます。
きゃりこ:
 また馬鹿にしたね。そのうち、痛い目に遭ふよ。
オスカー:
古い時代には「大宰府」と言つてゐましたが、平安末期頃から「太宰府」も出てきて、その後、時代が経つにつれて、「太宰府」が多くなつたのです。因みに、「ダザイヲサム」は「太宰治」。
「駄目」の「駄」は、正字はウマヘンに、「太」でなく「大」なのです。「駄」は俗字。きゃりこ:
 へええ。俗字の方が画数が多いんですね。
オスカー:
現代中国語で「大」はda、「太」はtai。何か関係があるかも知れません。でも、「沙汰」の「汰」は旁(つくり)が「大」になることはありません。

posted by 國語問題協議會 at 21:46| Comment(0) | 雁井理香
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