2017年01月18日

數學における言葉(その八) タルホ的ブンガクの欠如

 数学者たちの執拗な「証明」への根源的衝動に関連して、前回はタルホの『弥勒』の言葉を紹介しましたが、タルホはまた『白昼見』といふ小説でも、「お終いの雰囲気」を玩具にして「サつケリーの仮設だのルジャンドルの定理だの、くその役にもたたぬ道楽にその日その日を送つてきた」と告白してゐます。
「白昼見(Tagesansicht)」とは、精神物理学者フェヒナー(1801〜887)が初めて用ゐた言葉で、これは色も香もない、自然科学的、機械論的な夜の見方(Nachtansicht)と対立するもので、要するにありのままが真であるとする昼の見方を言つてゐます。また、「サつケリー(1667〜1733)」は、イタリアのエスイつタ派の僧侶にして、パビア大学の数学教授で、非ユークリつド幾何学の画期的な先駆者、「ルジャンドル(1752〜1833)」も、整数論、物理数学などで大きな足跡を残したフランスの数学者です。
タルホの小説には、しばしば数学者や物理学者(リーマン、ロバチェフスキー、アインシュタイン、ミンコフスキー等)が登場してきますが、これはタルホの本質的玩具である「最終気分」と緊密に繋がつてゐる、と私は見てゐます。なぜなら、数学における「定理」とは、常にすべてを尽くし、すべてを見通さうとする命題であり、いつも「最終(無限、超越、普遍)」を志向してゐる言説だからです。
 すでに述べたことですが、数学における命題は、「点Pがどのやうな位置にあつても」とか「どのやうな偶数に対しても」とか、あるいは「リーマンのゼータ関数の零点はすべて」とか、そんな形で述べられます。 
ところで、日本文学には「タルホ的ブンガク」がそもそも存在するのでせうか?たとへば、横光利一の『旅愁』には、帝大で数学を学んでゐる槇三が「日本に昔、幾何学はあつたのですか」と、彼の姉千鶴子の恋人矢代に尋ねる場面が出てきます。矢代の答は「ありましたとも、日本の古い祠の本体は幣帛ですからね。弊帛といふ一枚の白紙は、幾ら切つていつても無限に切れて下へ下へと降りていく幾何学ですよ。同時にあれは日本人の平和な祈りですね」などと答へさせてゐます。
 私には「下へ下へと無限に降りていく弊帛」が、どうして「幾何学」なのかよく理解できませんが、利一は‘三角関数と双曲線関数’で与へられる「ヘリコイド」のやうな螺線曲面をイメージしてゐたのでせうか? 矢代の答に比べれば、以下のやうな記述の方が、「幾何学」の何たるかを、よほど明確に語つてゐるやうに思はれます。

 古代エジプト人やバビロニア人、インド人は、このやうな、図形や数の間の面白い関係をたくさん見つけてゐました。そこには、まだ確かな証拠はなかつたけれども、それで別に困ることはなかつた。これらの国の数学者たちは、自分の長い経験から「これは確かだ」と確信が持てればよかつたのだ。ところが、間もなくして、エジプト人やバビロニア人たちから、こういふ面白い数学の知識を教はつた人々の中に、とても面倒なことを言う人たちが現はれてきた。「そんないい加減なことでは駄目だ!」といふのだ。それはギリシアの数学者たちで、その代表がターレスとピタゴラスであつた。

 これは、私が小学生の頃愛読してゐた『ピタゴラスから電子計算機まで』といふ本の第4章「すべての人が納得する真理<幾何学>」からの抜粋ですが、「幾何学」の何であるかを易しく語つて余りあります。矢代は「日本には幾何学はなかつた」と答へるべきであつたし、横光利一は「和算と古代希臘の論証精神(経験から言語への離陸)の違ひ」を、小説のなかで徹底的に探究してみるべきでした。
日本には何故「タルホ的ブンガク」が、なかつたのか?実は、これは今も私にとつて大きな問題なのです。
                   (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 16:59| Comment(0) | 河田直樹
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