2017年02月10日

數學における言葉(その9)口惜しい思い 河田直樹


 『ピタゴラスから電子計算機まで』という本を讀み耽つてゐた少年時代、何故日本の文字は數學で用いられないのだら、と訝つ記憶がある。成長するにつれて、それは結局ギリシア數學を起源とする西洋のやうな數理哲學の歴史がなかつたからだ、と朧に理解されてきたが、何とも口惜しい思ひを味はつた。この時以來私の中で日本語に對するある蟠りが生まれ、それは純粹數學を専攻するやうになつた今でも續いてゐる。

上の文章は、外山滋比古氏が主幹をしていた「ことば」という月刊誌に佳作として掲載された、「日本語と數學」といふ私の小論文の冒頭部分です。今から40年以上も前のものですが、いまもこの思ひに少しも變りはありません。いや、それどころか、この場でこのやうなことを述べてよいかどうか躊躇ひがあるのですが、殘念なことにこの口惜しい思ひは、日本の文學、ひいては日本文化そのものに對してさへも向けられるようになりました。
 私の讀書など偏頗でその量など高が知れてゐますが、それでも若さゆゑ虚榮心から一應、明治、大正、昭和の代表的「文學作品」に觸れ、また和歌や漢詩にもそれなりに接してきましたが、正直に言へばごく一部の例外を除いて心底面白いと感じたことはありません。
元來、私は「文學」といふものに不向きで、味盲だと感じてゐますが、「文學とか云ふものは真平御免だ」と啖呵を切つているあの物理學校出の數學教師「坊つちゃん」を讀んでも、さほど面白いとは思ひませんでした。『坊つちゃん』と言へば、いまでも小中學生の讀書感想文の推薦圖書なのでせうが、そこに描かれてゐる‘面白可笑しい’とされてゐる人間模様にはほとんど興味が湧きませんでした。
漱石は英國留學中に英文學ではなく、自然科學方面に多大の興味と關心とを抱くやうになりますが、少年の私が期待していたやうな「そもそも數學の論證精神とは」といつた野暮なことは、數學教師坊ちゃんに語らせようとは一切してゐません。數學少年の私が失望するゆゑんです。
そんな私が心から面白いと思ひ共感を抱いた初めての「文學作品(?)」は、高校3年の1學期の終業式の日に出會つた稲垣足穂の『少年愛の美學』でした。その後、私はタルホの作品を次々と渉獵することになるのですが、1969年『the high school life』に掲載された次の言葉は、私にとつて正に干天の慈雨でした。

 シナ人も僕は好みません。彼らが肉体派で、しかもそれ以外の何物でもないやうな存在だからです。唐詩選など僕には感覺的陶醉と二日醉的たは言だとしか思へません。シナの文章はレトリつクを出でず、老子だつて中身は處世訓であり政治家で、純粹な形而上學なんて夢にも思へません。千夜一夜の英譯者のバートン卿は、シナ人の古來最も淫靡な民族であることを注意してゐますが、たとへば赤眉の賊が歴代の墓陵をあばいて、水銀處理でコチコチになつた皇后様の遺體を引きずり出し、片つぱしから凌辱したといふことにしても、僕はそんなことをもつてエロティシズムと見ることはできません。なぜなら凡そ時空の無限に心をいたす程の者にあつては、エロスの倫理が準備されてゐなければならないのに、彼らにはそんな抽象性が微塵もないからです。

淺學非才の私如きがこんなことを言へば、多くの讀者からお叱りを受けるやもしれませんが、漢詩や日本の詩歌のほとんどは「二日醉的たは言あるいは嘆き節」に近く、また「孔子、老子、荀子、韓非」なども單なる「弟子へのお説教」だとは、私が高校時代の漢文の時間にいつも感じてゐたことでした。そのお説教と、第3回目で紹介した「彼らは、知識を純粋かつ不動なものとして弟子に押しつけず」という態度とは何といふ違いでせうか。シナ文化に多大の影響を受けた日本で、「論證としての數學」が生まれなかつたのは、當然なのかもしれません。
                   (河田直樹・かわたなおき)
posted by 國語問題協議會 at 16:19| Comment(0) | 河田直樹
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