2017年05月25日

ブックセラピー(その10) 母と子のメディア、繪本のちから。 原山 建郎

たとへば、わが子の「晝食弁當」には、前の晩から獻立を考へ、早起きして作る母の心がいつぱい詰まつてゐる。わが子は弁當箱のご飯やおかずを介して、母の心づかひをいただく。
マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージそのものだ」を、この晝食弁當になぞらえると、弁當箱(容れ物)が「メディア(媒体)」で、ご飯やおかず(コンテンツ)に込めた母の思ひが「メッセージ」となる。母と子は日々の晝食弁當を介して、「召し上がれ」「いただきます」と、母と子のメッセージをやりとりする。
たとへば、幼少期のわが子に讀み聞かせた「繪本」もまた、やさしい母の聲で語られる「ひらがなの弁當箱」として、いまもなお、母と子を結ぶ最強のメディアでありつづけてゐる。
山口雅子さん(學習院女子大學非常勤講師)は、學生の課題レポートを軸にまとめた『絵本の記憶、子どもの気持ち』(福音館書店、二〇一四)の中で、いま幼少期の子ども、十五年ほど前に子どもだつた女子學生たち、二つの「子どもの気持ち」の乖離と回歸にふれてゐる。

「子どもが樂しんで讀みたいと思ふ繪本を選んでくる」といふ授業の課題で、女子學生が持つてきたのは「おとな好みのムードのある繪本」や「教訓やしつけの繪本」だつた。
さらに、子どもたちが大好きな繪本を何冊か讀ませ、グループごとに討議させて「みんながどのやうに思つたか」を發表させると、【「繪がかはいくない」「話の先がよめてしまつて、つまらない」「繰り返しが多く、あきてしまふ」といつた感想が次々と出て】きたといふ。

河合隼雄さんは、『子どもの宇宙』(岩波新書、一九八七)の中で、かつて「子ども」であつた「大人」が忘れつつある「子どもの宇宙」にふれてゐる。
【この宇宙のなかに子どもたちがゐる。これは誰でも知つてゐる。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知つてゐるだらうか。(中略)大人たちは、子どもの姿の小ささに惑はされて、ついその廣大な宇宙の存在を忘れてしまふ。(中略)
私はふと、大人になるといふことは、子どもたちのもつこのやうな素晴らしい宇宙の存在を、少しづつ忘れ去つてゆく過程なのかなとさへ思ふ。】
(「はじめに」一ページ)

そこで、山口さんは、かつて存在したはずの「子どもの宇宙」を引き出さうと、「幼いころに好きだつた絵本、あるいは思ひ出に残つてゐる絵本について」といふ課題を出した。
最初、「思ひ出の繪本なんてない!」「小さいときのことなんて、全然覺えてません」と戸惑ひを見せた學生たちだつたが、一カ月後に提出されたレポートでは、全員が思ひ出した。
『繪本の記憶、子どもの氣持ち』に収められたレポートを紹介しよう。
【*私は、この繪本(『しづかなおはなし』)を讀むときの、母の讀み方が大好きでした。聲をひそめて、小さな小さな聲で讀むものですから、兄と私がギャアギャア騒いでゐたのでは、聞こえません。兄と一緒に息を殺して、静かに静かに≠オて聞いてゐました。
*夜寝るときに、ふとんの中で、母はこの繪本(『わたしのワンピース』)を讀んでもらつた。「ミシン カタカタ ミシン カタカタ」と、母が歌ふやうに讀んでくれたのが印象に殘つてゐる。その讀み方が好きで、今でもよく覺えてゐる。「ミシン カタカタ……」が耳に心地よかつた。】
(「聲と讀み方が好きだつた」三四ページ)

學生たちの「子どもの宇宙」は、「ひらがなの弁當箱」といふ最強メディア、絵本のページでよみがへる。
(武藏野大學非常勤講師 『出版ニュース』コラム Book Therapy no.32)


posted by 國語問題協議會 at 23:26| Comment(0) | 原山建郎
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