2017年08月01日

歴史的假名遣事始め (三十二) 市川 浩

クイズで遊ぶ歴史的假名遣(三十二)
先月のクイズ解答
問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。

歴史的仮名遣のなかで生活していた時代のひとたちにとつて、この字音仮名遣ほど厄介なものはなかつた。国語仮名遣のほうは、もちろん紛らわしいものもおおいが、慣れてくれば感覚的に身につくところがある。ところが字音仮名遣はそうはいかない。日本人にとつて漢字は無数にある。その無数の漢字一字につき固有の漢字音があつて、固有の漢字音はさらに呉音・漢音・唐宋音・慣用音と数種類。これらの歴史的仮名遣の仮名のつかい分けをそらで覚えることなど、普通の日本人には不可能である。パターンがあつてパターンさえわかれば簡単というかもしれないが、パターンがわかるまで勉強すれば、とっくに漢字学者になっている。普通の人はそんなに暇人ではない。(「かなづかい入門」113頁)

この主張に對する反論の一例を擧げます。
字音假名遣は兔角評判が惡く、昭和二十年代或る漢學の大先生が御少い頃に字音假名遣の暗記に大變苦勞なさつた思ひ出を御披露されて、新かなづかひに贊意を御述べになつたのを讀んだことがあります。
決つて例に擧げるのが、「コウ」の音に對して「こう」「かう」「かふ」「こふ」「くゎう」と五種類もあつて覺えられる筈がない、といふものです。しかし英語では同じ「コウ」に
call, caught, cause, coat, cold, corporate, course, quart,
と八種類あつても誰も文句を言ひません。しかもその英語を小學校から教へることに贊成が多いのは何故でせう。
しかもここでは重大な自己矛楯を露呈してゐます。即ち
パターンがあつてパターンさえわかれば簡単というかもしれないが
と字音假名遣の學習はパターン認識で對處可能であると著者が認めてゐるのですが、それは例へば、「反」の字形を音符とする坂、飯、叛などでは字音は「ハン」(「ハム」ではない)のパターンとして覺えることが出來るといふことです。しかし同じ「反」を旁に持つ「仮」の字音は「カ」で「ハン」では決してありません。漢字の體系は不規則この上ないと思ふのは自然ですが、何のことはない「仮」は「假」の常用漢字字體なのです。つまり折角のパターンは早々と破壞濟であつたのです。著者は恐らく漢字破壞以前の字體で字音のパターンをマスターしたので、ついうつかりされたのでせう。
ここで重要なことは、正字・正かなといふ詞は單に二つの表記問題を指すのではなく、互に密接な關係があり、兩者揃つて初めて國語の表記として成立つといふことです。

練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。
若い新仮名遣世代がふるい仮名遣の文章に違和感をもつことが、そんなに不都合なことなのだろうか。違和感をもつことこそが、自分たちの文化を相対化する第一歩ではないのか。そもそも文化とは違和感をもつことができる感性の持ち主によつて創造され、そして受け継がれてきた。定家は仮名表記の乱れに違和感を覚えた。契冲も万葉集の字面を見詰めているうち、従来の認識に違和感を覚えた。いづれも鈍感な人間のおよぶところではない。これを洒落たことばになおせば、インスピレーションという。古典学を支える思想、それは「現代と古代とは違う、われわれはいにしえ人とは断絶しているのだ」という強烈な発見から始り、またそういった発見におわるものではないだろうか。(「かなづかい入門」166頁)
出題者(注)本文は同書第七章國語審議會が昭和五十八年全委員に行つたアンケートの囘答中、「現代かなづかい」の得失の内失として「一、「現代かなづかい」世代に舊假名遣で書かれた古典や戰前の文章に大きな違和感をもつやうになつた(同書162頁)」に對する著者の反論である。
posted by 國語問題協議會 at 11:02| Comment(0) | 市川浩
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