クイズで遊ぶ歴史的假名遣(三十四) 平成二十九年十月一日
先月のクイズ解答
問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。
現代仮名遣いでなければ口語文でないとか、歴史的仮名遣でなければ文語文とはいわない、というようなものではない。(中略)おなじ理屈で、文語文が現代仮名遣いで書かれたとしても、どこにも不都合はない。(中略)むしろ、われわれは文語文を現代音で読んでいるのだから、現代仮名遣いで表記する方が理にかなっているかもしれない。(中略)
そもそも万葉集の歌には,仮名で表記できない音節があつた。仮名の誕生前に消滅した音節である。奈良時代の万葉集を歴史的仮名遣で表記するということは、平安時代初期の「
現代仮名遣い」で書いていることを意味する。ならば、二〇世紀の現代仮名遣をつかって万葉集を書いて、どこが間違っているというのか。(「かなづかい入門」1182〜183頁)
この主張に對する反論の一例を擧げます。
此處で明らかに讀取れるのは、將來の文語の現代假名遣い化を視野に入れてゐることです。昭和二十三年及び同六十一年の二囘の内閣告示にも共通する「この假名遣は、主として現代文のうち口語體のものに適用する(表記は地の文の統一、以下同じ)」の「主として」を根據として文語現代假名遣い化を正當化する論の非妥當性は、繰返しになりますが、上記の規定中、「この假名遣」を「死刑」に、「現代文」を「殺人罪」に、「口語體」を「兇惡性の高い」と置換へて、「死刑」が、「殺人罪以外」の犯罪に簡單に適用できるかどうかを考ふれば明らかでせう。本書ではこの章以外でも「新假名遣が口語文體のためのものであることが強調されてゐるとの印象がある。新假名遣の制定者ともあらう人たちが、自分達の作つた假名遣が文語文には適用できないと考へてゐた譯ではない」(同136頁)と記すなど、文部科學省が文語の現代假名遣い化を意圖してゐると考へざるを得ません。本書の刊行と同年直後には、自衞隊の幹部が防衞廳の方針に反する論文を發表したとして罷免されてゐます。ただ、この問題を文語現代假名遣い化贊成か反對かと二極分斷すべきではなく、肅々と「文語の表記は歴史的假名遣に決つてゐる」とするのが現實的な正解です。
練習問題
下記の所論に問題があるとすれば、その反論を御書き下さい。(問題の性質上、敢て新字・新かなで表記してあります)。
歴史的仮名遣も現代仮名遣も時間の経過とともに、個々の語のレベルで規則をすこしずつ変えざるをえないという宿命を持っている。一方は学問研究の進展を因とし、一方は発音と語源意識の変化を因とする。そして、前者の変更は、タイムマシンにでも乗らないかぎり、現代語の運用者であるわれわれが、この目とこの耳で正解を確認できない。それに対し、後者は、現代語の運用者であるわれわれが身近に正解を感得できる変更である。現代人の言語生活において、どちらが合理的な(すなわち科学的な)表記法であるかは、もはや言うまでもないであろう。(「かなづかい入門」213頁)
2017年10月03日
歴史的假名遣事始め (三十四) 市川 浩
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| 市川浩
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