2018年01月05日

歴史的假名遣事始め (三十七) 市川 浩

              平成三十年一月一日

新年明けましておめでたう御座います。時恰も世界を席捲した行過ぎたグローバリズムが行き詰り、文化の多樣性尊重の機運が高まつて來ました。その意味で今後の國語問題論爭に於ける基本戰略を考へてみますと我々も亦改善が必要と思はれます。
戰後の國語問題論爭は國語の「封建性」や「學習困難性」を擧げて、國語を徹底的に破壞改良しようとする人達への反論に追はれ、その非合理性を痛撃することに終始せざるを得ませんでした。しかし今や漢字の廢止やローマ字化を本氣で論ずる人は殆どゐない、そればかりか正字・正かなにあからさまな敵意や侮蔑を露にする人も寡くなり始めてゐるといふ事實と、これに危機感を抱いたか行政による締附けが強化されてゐる事實とを冷靜に直視しなければなりません。
即ち正字・正かなは、我が國文化の繼承と發展のために必要不可缺のものとしての適應性、論理性を國民的理解に訴へなければならないのです。極言すれば我々の正字・正かな論は戰後の表記改革が「惡い」からその對立軸として見るのではなく、今後の世界に於て我が國が文化の多樣性を確保するために必要であるといふ論理でなくてはなりません。これは例へば大正時代「月に吠える」や「青猫」で口語新體詩の旗手となつた萩原朔太郎が、更に新展開を志して苦鬪の末、昭和の始め遂に文語詩への囘歸に至つた經緯を想起させるものであります。
本年は明年五月の新しい御代を控へた平成締め括りの年となります。新しい意味付けでの正字・正かな論の出現を期待すると共に、私達自身もその創出者の一人にならうではありませんか。幸ひ、「現代仮名遣い」も「常用漢字」もその内閣告示に於て「個々人の表記にまで及ぼさうとするものではない」と明言してゐるし、グローバリズム其のもののやうな「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目指す」教育基本法も既に改正されて「傳統を繼承し、新しい文化の創造を目指」してゐる譯ですから、安心して新しい發想の下で國語表記の問題を考へることができます。ただし、憲法の改正が現實味を帶びて來てゐることから、それに便乘して、法律でも告示でもない一片の内閣通知に過ぎない「公用文作成の要領」のみを根據として、一切の議論を經ずして憲法全文の新字・新假名表記への移行が行はれる可能性を考へると、時間的には切迫してゐることに注意が必要です。

以上を踏へて前囘提示しました問題、出版社の「賣れない」、SNSでの「難しい」、「讀めない」といつた感情論的攻撃への對處法を次囘御一所に考へて見ませう。

             

posted by 國語問題協議會 at 15:11| Comment(0) | 市川浩
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