2018年01月10日

數學における言語(21) ジョン・ロックの知[U] 河田直樹

 近代民主主義思想の嚆矢とも言ふべきロックの「寛容の精神」は高く評價されてゐますが、彼は生涯獨身をとほし、多くの人々に愛され、多くの友人に恵まれました。彼が頭脳明晰であつたことは言ふまでもありませんが、その立ち居振る舞ひは温厚かつ謙虚、哲學のみならず、人間關係や政治においても常に「常識的」であらうとしました。實際、ロックの政治思想は、あの『リバイアサン』の著者トマス・ホッブズ(1588〜1679)とは大きく異なり、人間の理性と良心への健全な信頼の上に成立してゐます。
 ロックはホッブズと同様「社會契約」を重視しますが、しかしそれは「治者と被治者の間」のいはば垂直的なものではなく、自由な「個人と個人との間」で結ばれるべき水平的な契約である、と考へ、さらに政府が樹立された後も「主權」は國民にあり、政府の唯一つの目的は「國民の生命、財産、自由を守ること」と考へてゐました。ロックのこのやうな考へが、1688年の「名譽革命」に際して大きな役割を果たしたことはよく知られてゐます。カトリックの國教化をはかろうとするジェームズ二世が國外に逃亡すると、オランダに亡命してゐたロックは1689年2月、みづからオレンジ公妃メアリーに付き從つて英國に歸るてきます。 
 さらにロックは、「私有財産權の根拠」についても考察してゐますが、これはまたこんにちの「自由主義的資本主義」の基盤にもなりました。
いづれにせよ、ロックの思想は佛蘭西革命や亞米利加の獨立運動などに精神的な影響を與へて近代市民社會誕生の濫觴(らんしょう)となり、その精神は20世紀の「反證可能性」の理論に基づく科學方法論を展開したあのカール・レイモンド・ポッパー(1992〜1994)にまで及んでゐます。その意味でロックはepoch-maker的哲學者であつたといふことができるでせう。次のロックの言葉に耳を傾ければ、ロックの經驗主義哲學のエッセンスが理解でき、ポッパーまでの射程や彼の穏健な寛容論を了解できるに違ひありません―「自分が眞實であると信じるすべてのこと、または僞りであると非難することすべてのことについて反論不可能な證據をもつ者、あるいは自分自身の意見や他の人びとの見解をすべて徹底的に調べつくしたと斷言できる者がどこにゐるだらうか。われわれの人生におけるこの束の間行爲と盲目同然の状態では、知識なしに、いやそれどころか、非常に乏しい根據に基づいてものごとを信じなければならないのだから、他人に自分の意見を押しつけるなどもつてのほかで、それよりも細心の注意をもつて切磋琢磨し、自分自身の知識を深めるべきなのだ(ブライアン・マギー著/中川純男監修『知の歴史』より)」。
いかにも、「科學的知識に数學と同じような絶対の確実性がある」とは考へなかった經驗主義者ロックに相應しい言葉です。また、かう言つてよければ、上で述べてきた個人と個人の間の水平的契約に基づく國家觀、自分の意見を他者に押しつけない相對主義的寛容などは、こんにちの日本でも人氣があります。しかし、ロックの社會思想のすぐ足下には、歐羅巴中世の「あざといまで」に執拗な神學論爭や普遍論爭があり、さらには多くの血のこびりついた宗教戰爭があったことを忘れてはならないでせう。それは、學問のKINGと目されてゐた「數學的思考」を雛型とした、「人間社會のあるべき姿」の探究であつたと言ひ得なくもありません。穏健なロックの思想は、さうした歴史的現實の上に成つた「反省の主題化(ジャン・ピアジェ)」の成果であり、私たちはその重層性を直視しておかなければなりません。そして、かうした歴史を經驗してゐない私たち日本人もロックの表層的甘い果實だけを簡單に捥ぎ取らうとしますが、しかしその場當り的無邪氣さに對して警戒心を持つておく必要があるのでは、と私は考へます。ロックの思想のすぐ裏側には歐羅巴の歴史に根ざした苦々しい認識があつたはずです。
 ところで、ここまで概觀してきたロックの哲學思想は主に『人間知性論』(1689)で開陳されたものですが、この書物を批判した哲學者もいました。あの萬能の天才イプニッツです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 22:21| Comment(0) | 河田直樹
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