ライプニッツ(1646〜1716)の『人間知性論』批判である『人間知性新論』の草稿が完成するのは1705年ですが、この書はプロシア王妃ゾフィー・シャルロッテ(彼女の母親もまたライプニッツの擁護者)が、ライプニッツに「ロックの『人間知性論』をどう思ふか」と質問したのが一つの契機になってゐると言はれてゐます。
『人間知性新論』はライプニッツ最大の著作ですが、實はこの書は遂に出版されることはありませんでした。といふのも、印刷を待つばかりであつた翌1706年、ライプニッツはロックの訃報に接し、「論争相手がすでに亡き者になつてしまつたからには、自分の批判に對するロック自身の再反論が不可能になつた」と考へ、それゆゑ彼はこれを公刊することを潔しとしなかつたからです。
『人間知性新論』の日本語譯は、『ライプニッツ著作集』(工作舎)の4巻と5巻に収められてゐて、「第1部 生得的観念について、第2部 観念について、第3部 言葉について 第4部 認識について」の4部構成であり、「序文」を除き全編プラトンの對話篇を彷彿とさせる「フィラレートとテオフイル」の長大な對話(プラトンのそれに比べ、緊迫感やドラマ性に欠けるが)から成り立つてゐます。言ふまでもなく、「フィラレート(真理を愛する者=ロックの分身))」とは「phil(愛)」に由來し、また「テオフゐる(神を愛する者)(=ライプニッツの分身)」は「theo(神)」に由来する命名だと考へてよいでせう。ちなみに、數学には「theorem(定理)」といふ言葉がありますが、これは「(神の命題を)観想する」といふ意味に由來してゐると私は考へてゐます。
さて、前置きが長くなりましたが、ライプニッツはロックの何のどこを批判したのでせうか。簡單に言つてしまへば、それは「プラトンによるアリストテレス批判」と言つてもよいかと思ひます。ライプニッツ自身、序文で次のやうに述べてゐます。
「じつに『知性論』の著者は、私の稱贊するみごとな事柄を述べてゐるけれども、われわれ二人の樂説は大きく異なる。彼(ロック)の説はアリストテレスに近く、私の説はプラトンに近い。私たちはいづれも、この二人の古代人の説とは多くの點で隔たつてはゐるけれど。彼は私よりも通俗的に語るが、私は時としてもう少し秘教的かつ抽象的にならざるをえない。これは、ことに現代言語で書く場合、私にとっては有利ではない。だが二人の人物に對話させることによつて、つまり一方がこの著者の『知性論』から出た見解を述べ、他方が私の見方をそれに組み合はせていくことで、兩者の比較對照が、無味乾燥は注釋よりも讀者の意にかなふだらうと思ふ」。
これで、『知性新論』の意圖ははつきりしたと思ひますが、さらにライプニッツは、次のやうに語ります。ここは、非常に大切と思はれますので、敢へてさらに引用を續けます。
「われわれ二人の見解の相違は、かなり重要な諸テーマについてである。それは次の問題に關はる。魂それ自體は、アリストテレスや『知性論』の著者のいふやうな、まだ何も書かれてゐない書字板(tabula rasa)のやうに、まつたく空白なのか。そして魂に記されてゐる一切のものは感覺と經驗のみに由來するのか。それとも、魂はもともと多くの概念や知識の諸原理を有し、外界の對象が機會に應じてのみ、それらを呼び起こすのか。私は後者の立場をとる。プラトンやスコラ派さへさうであり、「神の掟は人の心に書き記されてゐる」(ローマの信徒への手紙2・15)、といふ聖パウロの一節をこの意味に解してゐるすべての人々がさうである。ストアの哲学者たちはこれらの原理をプロレープシスと呼んだ。すなわち根本的假定、豫め前提されてゐる事柄である・數學者たちはそれらを「共通概念」(Notions communes)と呼ぶ」。
數學屋の私は、もちろんライプニッツの立場にたちますが、數學者たちの「共通概念」とは、ユークリッド幾何の「公準」や「公理」にほかなりません。 (河田直樹・かはたなほき)
2018年02月10日
數學における言語(22) ロックとライプニッツ[T] 河田直樹
posted by 國語問題協議會 at 10:43| Comment(0)
| 河田直樹
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