2018年02月23日

「つたへること・つたはるもの」 きのふ・けふ。yesterday・today。和・英の「とき」感覺。 原山建郎

 
一年の初めに、正月を詠んだ俳句と和歌から、和語(やまとことば)の「とき」感覺をさぐつてみよう。
●去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの   高濱虚子(虚子五句集)
●命繼ぐ深息しては去年今年(こぞことし)   石田波郷(酒中花以後)
詞書(前書き)に「む月一日詠みはべりける」とある、後拾遺和歌集第一「春上」、小大君(こおほきみ)の和歌。
●いかにねておくるあしたに言ふ事ぞきのふをこぞとけふをことしと
詞書に「ふる年に春立ちける日よめる」とある、古今集巻一「春哥上」巻頭、在原元方(ありはらのもとかた)の和歌。
●年のうちに春は來にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とや言はむ今年(ことし)とや言はむ
たとえば、こぞ(去年)、ことし(今年)、あした(朝・明日)、きのふ(昨日)、けふ(今日)など、「ひらがな」で記した和語のうち、現代に生きる私たちは、正假名遣(舊假名遣、歴史的假名遣)の「きのふ」を「きのう」、「けふ」を「きょう」と發音する。
これは、「私は」における「は」の發音が、奈良時代以前は「ぱ(pa)」、奈良〜平安時代初期までは「ふぁ(fa)」、鎌倉時代ごろ「ハ行轉呼(語中・語尾のハ行音がワ行音へと變化した現象)」を起こして現在の発音「わ(wa)」となつたやうに、「きのふ・けふ」の「ふ(fu)」も「う(u)」と發音するやうになつた。
もちろん、「現代仮名遣い」の「きのう・きょう」でも、おほよその意味は「傳はる」のだが、「ひらがな」の和語(やまとことば)が「傳へやう」とした「とき〔時・期・季〕」の感覺を知るために、『学研古語全訳辞典』(金田一春彦監修、小久保崇明編集、学研教育出版、二〇一四年)、『字訓』(白川静著、平凡社、一九九五年)を參考にしながら、六世紀ごろ中國から傳來した「昨日・今日」といふ漢字の訓讀に、なぜ「きのふ・けふ」といふ和語を當てたのか、さらに「とき」をあらはす「ゆふ」「むかし」「いにしへ」「いま」も參照しながら、これらの和語を正假名遣(やまとことば)で考へてみよう。

こぞ 
(一)去年、(二)昨夜(さくや)。「き(來)ぞ」とも。また、(二)には今夜の意味とする説もある。【『学研古語全訳辞典』】
ことし〔今年・今歳〕
 「このとし」の意。「こ」は「こよひ」「こぞ」の「こ」と同じく、最も近いものを指示する代名詞。「けふ」と同じやうに複合語である。漢字にはこのやうな語の構成をとりえないから「今日」「今年」のやうにしるす。「とし」とは年穀(ねんこく)、年に一回の収穫をいふ。【以下の出典はすべて『字訓』】
あした〔旦・朝〕
 「ゆふべ」に対する語。「ゆふべ」の究極に「あした」がある。「ゆふべ」「よひ」「よなか」「あかとき」「あした」で夜の時間が指示される。「あくるあした」の意より、のちには明日を意味するやうになつた。
きのふ〔昨〕 前日。
今日からいつてその前の日をいう。「き」は「昨夜(きそ)」の「き」、「ふ」は「今日(けふ)」の「ふ」で、時を示す語であろう。昨は乍(さく)声。乍には「たちまち」の意があり、また過ぎゆく意がある。
けふ〔今日〕
 この一日をいふ。「けふ」の「け」は「けさ」の「け」で、「此(こ)」より轉じたもの、「けふ」の「ふ」は「きのふ」の「ふ」のやうに日をいふ。「け」は「來(く)」が語幹で、その活用の形であらうと考へられる。
ゆふ〔夕・夜・暮〕
 日ぐれのときをいふ。「ゆふ」の時間帶を「ゆふべ」といふ。一日の時間帶を「あさ」「ひる」「ゆふ」に區分し、「ゆふ」には「よる」をも含めていふ。「ゆふ」には「あさ」、「ゆふべ」には「あした」がその對稱の語である。
むかし〔昔〕
 長い年月を經た、以前の時。「向(むか)ふ」と方向や時間を示す「し」が複合して、回想の向ふ方向をいふ。對義語は「いま」。今(いま)と對立し、いまとは斷絶した状態にある時をいう。類義語の「古(いにしへ)」は「往(い)にし方(へ)」で、いまの延長上にありながら、すでに消滅している時間をいふ。
いま〔今〕
 ただいま現在。「い」は強意の接頭語。「ま」は間(ま)の意であらう。

つづいて、英語がもつ「とき(time,tide)」感覺を、古・中期英語までさかのぼつて調べてみよう。
たとへば「day」の語源は、晝間(一日)を表す「dæg」(古英語)で、dayに方向を示す前置詞「to」がつくと「to‐day(一日ぢゆう→今日)」となり、古英語のmorgen(朝)からきたmorrow(翌朝)につくと「to‐morrow(翌朝に向つて→翌日・明日)」、night(夜)につくと「to‐nigh(今夜)」となる。
「yesterday(昨日)」の「yester-」(古英語)は「すぐ前の」という意味で、「すぐ前の日→昨日」となる。また、昔を表す形容詞「ago」は、「過ぎ去る・通過する」を意味する中期英語の ago(n) からきてゐる。

和語(やまとことば)も英語(古・中期英語)も、ゆつたりと流れる「とき」、宇宙時間の「とき」を、二十一世紀の今に「傳へて」いる。

(武藏野大學非常勤講師『ゴム報知新聞』電子版コラム (2016年10月11日)

posted by 國語問題協議會 at 11:27| Comment(0) | 原山建郎
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