ここまで數回に亘つてロックの言説をライプニッツのそれと比較しながら考へてきましたが、私の意圖は、私たちが混同しがちである「科學の言葉」と「數學の言葉」との相違、あるいはその志向性の決定的相違を分かつてもらふためです。もうお分かりだと思ひますが
自然科學、社會科學の言葉=ロックの『人間知性論』の言説
數學の言葉=ライプニッツの『人間知性論』の言説
といふ構圖が、私の頭の中にはありました。もちろん、私とて數學が自然科學や社会科學から多くの養分を得てきたことは承知してゐますが、數學の命題(定理)には必ず「證明(proof)」があり、この言葉は法律用語でもあって「證據、立證、反論に堪へる」といふ意味もあります。
論理學者のゴットローブ・フレーゲ(1848〜1925)は、「算術の基礎」という論文の結びで「數法則といふのは、本來、外的な物には適用不可能である。それは自然法則ではない」と述べ、とは言へ、「數法則は外界の物について成立する判斷には適用可能である。つまり、それは自然法則の法則である。數法則が主張するのは自然現象間の結びつきではなく、判斷間の結びつきであり、そして判斷の中には自然法則も含まれるのである」と、誠に的確なことを述べてゐます。「數學」が「自然科學」ではないゆゑんです。數學の定理にはカール・ポッパーが考へた「反證可能性」の餘地は全くありません。實際、ユークリッド幾何の公理を「共通了解事項」として認めてしまへば、「ピュタゴラスの定理」は「絶對」であり、この命題は知性の「關係に關する判斷」なのです。これはまた、『エチカ』のスピノザの立場でもありました。
ところで、『シンボル形式の哲學』の著者エルンスト・カッシーラー(1874〜1945)によれば、「ライプニッツは、フィレンツェの神秘主義者たちによつて形成されたプラトニスムから解放されてプラトンそのものを自らの眼で見た最初のヨーロッパの思想家」(谷川多佳子「最小表象の示唆」)であり、「フィッチーノやプロティノスのフィルターを通さずにプラトンの對話篇を讀むべきだ」と主張していたさうですが、「ローゼンタールの森」を逍遙してゐたニコライ學院時代の少年ライプニッツは「機械論的自然觀」に立脚した、どちらかといへば非プラトン的唯物論哲學に共鳴していたやうです。歳を重ねるともにライプニッツは「スコラ哲學」に親近感を抱くやうになり、やがて「無限と連続」の問題から「モナド(單子)」といふものを考へるようになります。そのあたりのいきさつをオルテガ・イ・ガセット(1833〜1955)は『ライプニッツ哲學序説』で次のやうに記してゐます―「ライプニッツの合理的情熱、存在の理解可能性、論理性への信頼は、數とか大きさといった純粋理論にきわめて近い領域で不合理の深淵を發見して、甚大な外傷的障害を蒙つたにちがひない。一再ならず、連續した構成要素の困難な迷宮(labyrinthus difficultatum de compositione continui)と呼ぶところについて不平をもらすのが聞かれる」と。
この指摘はきはめて重要だと思はれます。ライプニッツは、一般に理性と合理の萬能の天才であり、「豫定調和」を説いた啓蒙の人だと思はれてゐるかもしれません。實際、ヴォルテールは小説『カンディード』でライプニッツその人と思はれるパングロス教授の樂天主義を陽気に茶化し、またスウィフトは『ガリバー旅行記』第3編の「ラガード學士院」の數學言語の製作者であるライプニッツとおぼしき學者に痛烈な皮肉を浴びせてゐます。しかし、「スコラ學」に親近感を抱き、あの不可解な「單子論」を書いたライプニッツは私にとつて啓蒙家ではなく、はじめから「一種の神秘主義者、非合理な魂の理解者」と受け止められてゐました。その意味では、「反省による主題化」によつて生まれたロックのあの餘りにも穩健な社會思想も私には奇妙であり、そのすぐ裏側にはいま私たちにはほとんど徒勞とも思はれる「無限や絶對」を媒介にした‘神學’論爭があつたはずです。私たちはさらに、中世から近世にいたる「無限思想の旅」に出てみる必要がありさうです。 (河田直樹・かはたなほき)
2018年04月06日
數學における言語(24) ライプニッツとは 河田直樹
posted by 國語問題協議會 at 12:53| Comment(0)
| 河田直樹
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