文語文で慣用的に使はれてゐる言葉をわざわざ口語文に變へると妙な事になる。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(河出書房)二十二頁に「父から聞かないじまひだった」と言ふ表現が出てくる。文語の「ず」は口語の「ない」に當るので、「聞かずじまひ」は口語では、「聞かないじまひ」になる譯だが、なんとも語呂が惡い。言葉は慣用によって成立つてゐる分が大きいので、慣用を重んずべきだらう。「讀まずじまひ、書かずじまひ」を、「讀まないじまひ、書かないじまひ」などとしたら日本語らしくない。「知らず識らずのうちに・・・・・」、「親子水入らずで・・・・・・」を、まさか「知らない識らないうちに・・・・・・」、「親子水入らないで・・・・・・」などとは書かないだらう。最近出版社がもともと文語文で書かれてゐる本を口語文に改めて出版する例がある。本來口語文に改めることには反對だが、どうしてもと言ふ場合でもかう言ふ所は愼重によく考へて作業して貰ひたいものだ。
2018年12月18日
日本語ウォッチング(9) 聞かないじまい 織田多宇人
posted by 國語問題協議會 at 22:12| Comment(0)
| 織田多宇人
この記事へのコメント
コメントを書く