2021年07月16日

かなづかひ名物百珍(10)「談山~社(たんざんじんじゃ)」/ア一カ

[談山神社]
 奈良縣の多武峰(たうのみね)にある~社。天武天皇七(678)年の創建で、藤󠄁原鎌󠄁足を祀り、その墓所󠄁もある。
[談山神社 神宮徴古館]
 この地で鎌󠄁足と中大兄皇子が蘇我入鹿討伐をかたらひ、遂󠄂に大化󠄁改新を成󠄁就したのだとされる。そのため「談ひ山(かたらひやま)」「談所󠄁ヶ森」と呼ばれたといふが、どうも典型的󠄁な後世の附會による地名說話ではないか。

 吉田東吾『大日本地名辭書』265ページ「多武峰」には
古はタムと呼びしを中世以降タウと云ひ、又談武に作るにより、修して談峰談山を爲したり、

とあり、穩當なところだらう。

 この說明が感覺的󠄁にわかりにくいのは、「多武ともいふのだから、談は談武の省略だな」と讀めてしまふところだらう。漢字傳來の當初、「タン」と「タム」は全󠄁く別の音󠄁であった。「タム」に「談武」の漢字を宛てたのではなく、「談」一字で「タム」なのである。ちなみに吳音󠄁の「ダムザン」ではない。「山」が「ザン」なのは連濁の結果であらう。

 「三位一體」が「サンミイッタイ」、「散位寮」は「サンニレウ」となるのは、もともと「三」が「sam」、「散」は「san」だから、後へ續く音󠄁との連聲で「サンミ」「サンニ」の別があり、つまりは「昔は實際に發音󠄁し分けてゐた」のである。現代の廣東語・臺灣語・朝󠄁鮮語などではこの區別がまだ生きてゐる。だから「ヤムチャ(飮茶)」「キム(金)さん」であり、また「ミマナ(任那)」なのである。平󠄁安京の「談天門」は「玉手(たまて)」の變化󠄁したものである。

 じつは現代日本人も自らは氣づいてゐないが「アム」の發音󠄁はしてゐる。ヘボン式ローマ字で例へば「新橋」を「Shimbashi」と綴るのは、それを反映させようとする理論的󠄁な努力である。
posted by 國語問題協議會 at 20:50| Comment(0) | 高崎一郎
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