【今回の要󠄁約󠄁】
@当用漢字表・常用漢字表にある略字に對し、括弧書きされた從來の字を、正統・本筋・本(もと)の字の意󠄁味で「正字」「本字」と呼びます
A「正字」「本字」の反對は「誤󠄁字」ではありません
B傳統的󠄁な基本字形を學ぶと、漢字同士の繫がりが更によくわかります
【主󠄁な漢字の新舊對應表】
對(対) 從(従) 來(来) 傳(伝) 學(学) 舊(旧) 應(応) 澤(沢) 櫻(桜) 氣(気) 廣(広) 齡(齢) 廳(庁) 畫(画) 數(数) 雜(雑) 體(体) 國(国) 繼(継) 禮(礼) 圓(円) 點(点) 實(実) 戰(戦) 與(与) 變(変) 樣(様) 團(団) 圍(囲) 臺(台) 灣(湾) 關(関) 佛(仏) 拂(払) 發(発) 號(号) 壽(寿) 當(当) 豐(豊) 竝(並) 續(続) 將(将) 殘(残) 擇(択)
■人名に今なほ生きてゐる「舊字」
サッカーの「長沢選手」とかアイドルグループのメンバーの「桜井君」と新聞に載ってゐると、若い世代であっても「長澤君では?」「櫻井君では?」とすぐ氣づく人は多いものです。そして「どうして新聞は新字で書いてるの? 舊字の方が正しい書き方だよ」と。
このやうに、人名や組織名など固有名詞に限っては、令和の現代でもいはゆる「舊字」つまり傳統的󠄁な漢字が今なほ廣く使はれてゐて、學校で習󠄁はなくても若い世代から高齡者までよく知ってゐます。さて、この「舊字」とは何でせうか。
■「舊字」とは何ぞや
文化󠄁廳のウェブサイトに「常用漢字表」(PDFファイル)があります。
時々、「桜(櫻)」「沢(澤)」など、括弧書きで何やら畫數の多い字の併󠄁記された漢字があります。この括弧の中の字を一般に「舊字」とか「舊漢字」と呼びます。その左側が「新字」「新漢字」です。
昭和二十一(1946)年まで、政府や役所󠄁の文書も、學校のヘ科書も、新聞や雜誌も、原則としていはゆる「舊字」で書かれてゐました。日本だけでなく、中國や朝鮮半󠄁島でもさうでした――といふより、中國で育った漢字の傳統を朝鮮半󠄁島も日本も學んで受け容れてきました。
そして日本では、昭和二十一(1946)年の「当用漢字表」、昭和二十四(1949)年の「当用漢字字体表」によって、一部の漢字に略字體つまり「新字」が採󠄁用されました。現行の「常用漢字表」はこの後繼です。
この「新字」は、昭和二十年代まで全󠄁く存在しなかった漢字ではありません。ほとんどの字は、別の字體とか、手書きの略字としてなら、古來から中國や日本で使はれてきた字です。たとへば「礼」の舊字を「禮」と書くのは、人名でもおなじみです。しかし、ひらがなの「れ」が「禮」ではなく「礼」から來てゐることからわかる通󠄁り、「礼」の字はひらがなの生まれた古代からある事がわかります。一方、明治以降に普及󠄁した「円(圓)」のやうに、近󠄁代になって生まれた略字も一部あります。
また、「活字體だけの舊字」もあります。現代の活字では「半」の字の上は「ソ」の形、「絆」の字の右上は「ハ」の形で作ることが多いのですが、舊字の全󠄁盛󠄁期は「『半󠄁』も『絆』も、活字體はハの形、楷書はソの形」が一般的󠄁でした(ただし楷書でハの形でも間違󠄂ひではない)。「之繞の付く字」もあります。皆さんは「辻」の字を書く時、之繞を一點と二點どちらで書きますか。實はどちらで書いても決して誤󠄁りではありませんが、書道󠄁の傳統としては「活字體は二點、楷書は一點にくねる形で書く」ことが昔も今も多いものです。いはゆる「舊字」もこれと同じことです。戰前󠄁の學校ヘ科書でも、之繞のある漢字は「活字體は二點、ヘ科書體は一點にくねる形」でした。現代の活字體の、「常用漢字表に以前󠄁からあった字は一點、最近󠄁追󠄁加された字と表外字は二點」といふのは、戰前󠄁より何だか複雜になった氣がします。
閑話休題。ある字を「舊字」と呼ぶと「古臭い字」「今は使ってはいけない字」といふ印象も與へかねません。そのため、それを嫌󠄁ふ人は「正字」とか「正漢字」、「本字」とか「本漢字」と呼ぶこともあります。
そこでこんな疑問が生まれます。「現代の日本では、正しいと決められて學校で習󠄁ふ書き方は『新字』の方だ。特別な書き方の方の『舊字』を『正』と呼ぶなんて變ぢゃないか」。
なるほど、戰後の學校ヘ育で「新字」を習󠄁ひ、身近󠄁な人が「舊字」で書いてゐる樣子も見たことがない人にとって、これはむしろ「普通󠄁の反應」かもしれません。
■「正」の逆󠄁は「誤󠄁」とは限らない
「正答」「正社員」「正三角形」「正門」「正座」「正裝」「正月」「正午」。どれも「正」の付く言葉ですが、「正誤󠄁」「誤󠄁らず正しいもの」の「正」を意󠄁味するのは「正答」だけです。その他は「正統・本筋のもの」「整った狀態」「基準・基本」等の意󠄁味で使はれてゐます。
そして、「正」は必ずしも「完璧」を意󠄁味するとは限りません。「正社員」も最初から完璧な仕事をする集團とは限りません。「正字」も重箱の隅を突けば細かな問題はありますが、「略字」に比べれば、全󠄁體的󠄁には「正統・本筋」「基準形・基本形」と呼べます。また、「正」は「正解が一つしかない」とも限らず、「許容範圍のある正しさ」も存在します。
■傳統的󠄁な基本字形を學ぶ利點
1.漢字本來の意󠄁味や成󠄁り立ちを省略せず正しく表現してゐるものが多い
2.固有名詞で日常的󠄁に使ふ漢字もある
3.表外字の偏󠄁や旁は傳統的󠄁な漢字と共通󠄁であるため、基礎的󠄁な槪念を學んだ方が良い
4.國語改革以前󠄁の出版物を直に讀める
5.臺灣や香港󠄁や韓󠄁國の漢字とほぼ共通󠄁し、中國本土の簡體字の本(もと)の字もわかり、漢字圈それぞれの漢字のつながりがわかる
皆さんは「丸諳記(丸暗記)で憶える」のが得意󠄁ですか、それとも「既に知ってゐる事と關聯(関連)づけて憶える」のが得意󠄁ですか。
お寺に行くと「佛」の字を今でもよく見掛けます。これは人偏󠄁に「フツ」の音󠄁を表す「弗」を組合せた字です。同じく手偏󠄁に「弗」で「拂(ふつ)」、三水に「弗」で「沸(ふつ)」です。どの字も、旁の「弗」は「フツ」の音󠄁を表す「音󠄁符」です[*1]。ところが「佛」「拂」を「仏」「払」と書いても、旁の「ム」は意󠄁味も表さないし發音󠄁も表しません。「何かの形を省略しましたよ」といふ「省略記號」です。「最低限の漢字を丸諳記する」のであれば省略記號でも良いでせうが、「本(もと)の字を知り、本の字同士の關聯を知った上で、省略記號を學ぶ」方が、遠󠄁回りではありますが、澤山の漢字を頭の中で整理して憶えやすくなります。
「摑む」の「摑」、「怒濤」の「濤」、「演繹」の「繹」など、漢字の旁に傳統的󠄁な字形を含む表外字は多いものですが、「手偏󠄁に国の舊字」「三水に寿の舊字」「糸偏󠄁に沢の舊字の旁」と憶える人はきっと多いと思ひます。「国」「寿」「沢」の舊字が「國」「壽」「澤」であることを知らないと、「手偏󠄁に國構󠄁へ、一、口、……」といちいち說明󠄁することになりますし、「国」と「摑」を全󠄁く關係ない別の字として憶える二度手間になります。
中國語を學ぶ時も當てはまります。中國語を學んだ人の中には「中國本土の簡體字(1950年代に草書を楷書化󠄁したり略字を導󠄁入して簡略化󠄁した漢字)は憶えづらい」とこぼす人が多いものです。たとへば日本の常用漢字と中國の簡體字を
従-从
豊-丰
と竝べても、丸諳記するしかありません。
ここで、傳統的󠄁な漢字(臺灣や香港󠄁の繁體字、韓󠄁國の漢字、日本の舊字)を中央に入れてみます。
従-從-从
豊-豐-丰
まるで「補助線」のやうに、一氣にわかりやすくなります。
■傳統的󠄁な漢字を「基本」に位置づけるとは
「(活版印刷と和文タイプライターと手書きに合せて)漢字は1,850文字以內でやりくりし、それ以外の漢字は見ないことにする」といふ、昭和二十年代初頭の目論見はすぐ破綻しました。(少なからず表外字が使はれてきた)人名や地名を含めた固有名詞のかな書き化󠄁を大半󠄁の國民は受󠄁け入れず、「略字化󠄁された当用漢字(現在の常用漢字)」と「傳統的󠄁な字形の表外字」といふ「水と油のやうな二本立て」が惰性で續いてきました。さう、「惰性」です。常用漢字を元の傳統的󠄁な字形に戾すことに抵抗を感じ、さりとて表外字の略字化󠄁も「固有名詞を略字で書くなんて」と抵抗を感ずる。「國語の近󠄁代化󠄁、規格化󠄁」は大切ですが、よく考へずに下手な改革をすると、將來にまで禍根を殘します。
私個人は「常用漢字の略字を、括弧書きされた舊字にすべて戾す」ことこそ、理想であり根本的󠄁な解決だとは思ひますが、現實問題として、過󠄁去に当用漢字を導󠄁入したお上の面子としても、略字で漢字を憶えた現在の日本國民の大半󠄁としても、その選󠄁擇は受󠄁け容れ難いものに見えるでせう。それに、傳統的󠄁な漢字に戾すといっても、百パーセント完璧ではありませんし、(一部で複數ある字體のどれを基本形とするか等)今後解決すべき問題はあります。
それでも、普段常用漢字で書くとしても、傳統的󠄁な漢字をほとんど知らないとしても、今すぐ出來ることはあります。「建前󠄁でもいい」ので、傳統的󠄁な漢字を「基本形」とみなし、常用漢字や簡體字などの略字をその「應用」と位置づけることです。普段私達󠄁が「應用」の方で書くとしても、「基本形がある」ことは頭の片隅に入れておくわけです。「常用漢字表內だけの狹い世界」で漢字を見るのではなく、表外字もいはゆる「舊字」も必要󠄁に應じて使ふことが求められる現代ですから、このやうな位置付けで漢字を見た方が整理しやすい、と私は信じてゐます。
[*1]藤堂明保編「学研漢和大辞典」pp47-8,511,724
2021年09月14日
國語のこゝろ(10)「本(もと)の字を知れば漢字が樂しい」/押井コ馬
posted by 國語問題協議會 at 22:45| Comment(0)
| 押井コ馬
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