2020年09月29日

あやとり(20) 中谷信男

百になるまでは十代
百歳までは十代の若さだ、つまり百歳までは九十代であつても十代がつくことからさう氣張つて言つてゐることをさし、「四十五十は洟垂れ小僧、六十七十は働き盛り、九十になつて迎へが來たら百まで待てと追ひ返せ」と同じやうな意味です。この後の言葉は澁澤榮一が言つたとされてゐますが、御本人は九十一歳で亡くなつてゐますので、百歳までは待つてもらへなかつたことになります。いづれにせよ、今の高齡化社會では常識化したやうなことばになつて來ました。
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2020年07月31日

あやとり(19) 中谷信男

「横板に雨垂れ」
横に張つた板に、ぽつぽつと雨粒が落ち、それがさらにゆつくり流れ落ちる樣を表す諺です。なんのことかといふと(つか)へつつかへものを言ふことの譬へで、(とつ)(べん)のことです。
その逆が「立板に水」の能辯になります。立板に水の喋りに人は感心しますが、とかく内容に嘘がまじつてゐることに氣づかないものです。
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2020年06月03日

あやとり(18) 中谷信男

八細工七貧乏
八細工とは器用なことをさします。何でもこなす多藝で多才な人は、結局どれも大成せず、貧乏することが多い。
「器用貧乏」といふ言葉がありますが、それに足して「器用貧乏人寶」といふのは、さういふ人がゐると周りの人はたいへん重寶だの意味で、本人は貧乏しても周りの人には役にたつ、利他行爲と言へ、結構なことです。
posted by 國語問題協議會 at 20:49| Comment(0) | 中谷信男