2016年02月25日

させていただきます 中谷信男

敬意逓減
誰が言ひ出したか「敬意逓減の法則」といふ言葉があります。低減ではなく逓減、つまり少しづつ減るといふ意味をもたせてゐる點は買へるのですが、敬意は必ず下つてゆくものだと斷定する「法則」なる語は行過ぎです。言葉は生き物、Will you 〜?よりはWould you 〜? は丁寧な言ひ方ですが、單純な言ひ方をする米國のほうが今では英國よりこの言ひ方の使用頻度が高いさうで、そのやうなところからも敬意表現に法則などあり得さうもありません。庶民の年收の二倍ほどを毎月の御小遣ひとして税拔きで母親からもらつてゐた首相がゐましたが、この人物、やたらと「〜させていただきます。」を語尾につけ、「させていただく症候群」と皮肉られてゐました。このことばは人によると敬意低減の現象によるものだとしてゐます。
夏目漱石は現代文を自在に操つた用例を數多く作つてゐますが、「敬意」の使ひ方も複雜です。。
・ 「御前か、健康診断をして貰ふのは」この語勢には、馬に對しても、犬に對しても、是非腹の内で云ふべきほどの敬意が籠こもつてゐた。(坑夫)
・重吉のお静さんに對する敬意は、この過去三か月間において、すでに三圓がた缺乏してゐるといはなければならない。將來の敬意に至つてはむろん疑問である。(手紙)

かみさん
この語、元々は神樣であつたやうで、それが淨瑠璃あたりになると「主人の母」、つまり老婆を敬つて呼んだ人に對するものとなり、さらに時代がくだると「商人や職人の妻」の呼稱になります。樋口一葉も「女房」をかみさんと訓じてをり、自分の妻を「うちのかみさん」と、これは筆者もよく使ふことばで、それと聞いたかみさんは嫌な顏をします。
「御上」も天皇を敬つて言ふ語ですが、政治を司る機關を「おかみ」とは多少の皮肉を籠めた意味で今もつかはれ、更に敬意が親密さにかはつて御内儀とか女將とが「おかみさん」と呼ばれます。

先生
金一圓で株式會社が作れる時代、社長といつても資本金一圓の會社も數億圓の會社も社長は社長です。その落差を利用して酒場のおかみさんなどは誰に對しても社長、社長を連發します。
それ以上に大きな落差をもつて使はれるのが先生、耳に胼胝ができるほどの言葉です。原義は、文字通り「自分より先に生れた年長者」で敬意の對象になることばですが、學藝や專門知識に堪能な人を指すやうになると共に、それが敬意遞減して樣々な人物に時には親しみをこめての呼稱となります。漱石の坊ちやんは「天麩羅先生」と落書きされ、『吾輩は猫である』となると「先生」のオンパレイドとなります。迷亭先生、寒月先生、東風先生、独仙先生、長範先生といつた具合です。雪隱で謠をうたふ苦沙彌先生の綽名は、「後架先生」です。先生といふ呼稱は人間ばかりではありません。
・三毛子だけは尊敬して先生先生といつてくれる。吾輩も先生と云はれて滿更惡い心持もしないから・・・

御前・てめえ
「敬意遞減の法則」の用例で必ずといつてよいほど使はれるのが「御前」です。元々が神佛や貴人の前を敬つてのことで、御前にゐる者と一人稱となるべきところを、直接呼ぶことを憚つて貴人を指したものです。最高の敬語だつたこの御前が江戸も後期になると庶民の女房が「おまへさん」等と亭主を呼ぶことばとなり、それが男性の使ふ二人稱として「おまへ」と變化し、明治では、同等か目下の者を指すやうに代りました。女性が相手を「おまへ」と呼ぶことはなく、それ以上に、自分が「おまへ」と呼ばれることには大きな抵抗を感じてゐます。似たやうなことばに「手前」があります。これも「てまへどもは」といつた自稱にもなり、一段とぞんざいな「てめえには云つておきたいことがある」などと使つて、對稱にもなるといふ不思議なことばです。

マンション
戰後の住宅不足を補ふために生れたのが「公團住宅」といふ數階建ての集團住宅ですが、その後に公團住宅とは一線を劃して高級感をただよはせた、民間による集合住宅が作られるやうになりましたが、それに名前をつけたのが「マンション」といふことばです。その建物を始めて見たときの違和感は、今も變つてはゐません。英語でMANSIONといへば何十部屋もあり車寄せなどもある豪壯な邸宅をさしてゐると習ひ、寫眞などを見て納得してゐたものです。それに比べ日本の今出來マンションの何とまづしい集團住宅群であることか。最近も基礎杭の不備で建物に段差が見つかつたとか。そのやうな建物をマンションと呼び、得々としてゐる神經が不可解です。敬意の低減は人間關係ばかりではありません。日本人が「マンション」といふ夢のある言葉に對する敬意を低めて使つてしまつた。殘念と言ふより、情けないといはざるを得ません。

敬意(けいい)と敬畏(けいゐ)
・三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの學生といっしょに先生の來るのを待つてゐた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が裝束を着けて、これから祭典でも行なはうとするまぎわには、かういふ気分がするだらうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。じつさい學問の威嚴に打たれたに違ひない。それのみならず、先生がベルが鳴つて十五分立つても出て来ないのでますます豫期から生ずる敬畏の念を増した。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板ボールドをながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehenという字と Nachbildという字を見て、はあドイツ語かと言つて、笑ひながらさつさと消してしまつた。三四郎はこれがためにドイツ語に對する敬意を少し失つたやうに感じた。(三四郎)
ここには「敬意」と「敬畏」の違ひが端的に表はされてゐます。相手に對する尊敬の氣持が敬意ですが、敬畏はそれに加へて「つつしみ畏れる」感情が加はります。この世以上のもの、神や佛などに向ふとき、豫期できない出來事等に對する氣持です。近頃は皇室に對する敬語がそれはひどいものになつてゐますが、かなりの人達が時代を超えて存在する皇室への敬畏の念を缺くやうになつたからではないでせうか。

posted by 國語問題協議會 at 11:47| Comment(0) | 中谷信男

2015年12月26日

三年八年 中谷信男


桃栗三年柿八年
首振り三年コロ八年
獨逸語三年 佛蘭西語五年 英語七年
桃や栗は芽が出て三年で實がなるが、柿は八年はかかると言ひ慣らはされて來た。そこから尺八は首を振り振りまともな音が出せるのに三年かかるが、さらにその上の妙なる音、コーロ・コロコロコロといふ音がでるやうになるにはさらに八年はかかるといひます。
以前、獨逸語習得には三年、佛蘭西語には五年、英語にかなり精通するには七年はかかるとされたものです。この桃栗三年柿八年のパターンを受けたものでせう。
では一體日本語はどうか。或るユダヤ人は八ケ月あれば一應の使ものになると廣言してゐましたが、日本語はそこからが大變だといふ外國人も多く、特に漢字に躓くやうです。

三人寄れば人中(ひとなか)
三人寄れば文珠の智慧
三人旅の一人乞食
三人が集ればそこは人中、公の場となつて、そこで言つたことは祕密にはできないといふ意味です。智慧を出しあふのもそのゆゑでせう。ところがその三人で旅をすると、その中の一人が窮乏するとか、仲間外れになることが起り勝ちだともいひます。二對一となつてそこに對立關係が生れ、一人が彈きだされることが多いものです。
鼎談(ていだん)といふのは、主として食物の煮炊き用に用ゐられの青銅器鼎(かなへ)が三本足をしてゐるので、三人向ひあつて座談することを言ひます。若くしてなくなつた遠藤浩一さんは、三島由紀夫は鼎談に向いてゐたが福田恆存さんは對談(二人で向合つての座談)が秀逸だつたと言つてゐました。福田先生に「對談集」の多いのはそのゆゑで、プラトン的ともいへる思考パターンがよくわかります。

八細工七貧乏
八細工とは器用なことをさします。何でもこなす多藝で多才な人は、結局どれも大成せず、貧乏することが多い。

十年一日
「十年」も過ぎたのに「一日」しか經つてゐないかの如く、全く變化がないこと。
しかし良い意味では、一つの仕事を根氣よく續けることを意味します。

百になるまでは十代
百歳までは十代の若さだ、つまり百歳までは九十代であつても十代がつくことからさう氣張つて言つてゐることをさし、「四十五十は洟垂れ小僧、六十七十は働き盛り、九十になつて迎へが來たら百まで待てと追ひ返せ」と同じやうな意味です。この後の格言は澁澤榮一が言つたとされてゐますが、御本人は九十一歳で亡くなつてゐますので、百歳までは待つてもらへなかつたことになります。いづれにせよ、今の高齡化社會では常識化したやうなことばになつて來ました。

百發百中
一發必中
「中」は當るといふ意味ですから、「一發必中」は、彈の一發一發が必ず命中することです。東郷元帥は「百發百中の砲一門は、百發一中の砲百門に匹敵する」と言つて、訓練の大切さを教へました。
posted by 國語問題協議會 at 10:34| Comment(0) | 中谷信男

2015年10月17日

三つ四つ二つなど 数を二つ以上含む表現 中谷信男

枕草子の第一段に「烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり」とあり、日本人の數に對する感性が典型的にあらはされてゐます。そこで日本語にある數字を使つた熟語をあやとりの材料としてみませう。

一利一害
一利あれば一害あり」の略。利になることの反面に害もある。「一得一失」(何かを得れば何かを失ふ)、「一長一短」(長所もあれば短所もある)もほぼ同じ意味。だから「一喜一憂するなかれ」といふことになる。

一も二もない
むろん、そうだ。わかりきったことだ、の意で、すぐさま、即座に、の意でも「一も二もなく」の形がよく使はれる。

一藝より二藝
一藝より二藝のはうがまし、と言つて、二藝を「逃げない」にかけたもの。二藝も一藝もない無藝の者の逃げ口上。

一と知りて二を知らず
見識が狹い。知識があつても淺薄で、心理を知らない。

ぴんからきりまで
骰子(さいころ)や骨牌(かるた)、トランプ、花札の數字には江戸時代から綽名がついてゐます。1はいづれも〈ぴん〉、骨牌の12月、つまり最終が〈キリ〉と呼ばれるので、「最低から最高まで」「最少から最大まで」「最惡から最良まで」の意味になります。そのうちに「ピンキリ」といふ言葉が生れ、「あの店の品はピンキリだ」、つまり最低最高樣々だといふ意味が加はりました。

一か八か
骰子賭博では、偶數を丁、奇數を半と呼び、その漢字の上部にある一と八を隱語としてゐました。そこから50%の確率のどちらかを選び決定すること、思ひきつてどちらかに賭ける、運を天に任せるの意味になりました。
賭事には數字による勝負が多いものです。花札には〈おいちょ8・かぶ9〉といふ遊びがあつて、手札とめくり札の數の合計の末尾が9に近い者を勝とします。そこで生れたのが「法被くるくる車屋の株」といふ洒落です。法被(はつぴ)を8と1と解し、足すと最高の(かぶ)9になるときの喜びのことばです。

二七が通る水戸街道
これも足して9になる博奕の洒落言葉です。二七は、仁吉といふ人名のもじりだとも、水戸偕樂園の梅が2(月)で、萩が7(月)だとも言はれます。しかしそれが「何でも通る水戸街道」と變身して廣く使はれるやうになりました。以前大阪の友人の家に行つたところ、そこが街道添ひで、樣々な車が通つてゐました。そこで友人が「何でも通る奈良街道」と言つたので所變れば熟語もその土地に合せて代るのだとをかしくなりました。

二進(につち)も三進(さつち)も
「行かない」と續けて使はれる。漢字のよみがむつかしいが、これは算盤の用語で、「2割る2」を二進と言ひ、それが訛つて〈につち〉と言ふやうになつたとか。2÷2=1 で割切れることだつたが、段々に2や3で割切れないことを意味するやうになり、計算のやりくりができない、金銭のやりくりがつかないこととなつた。現在は窮地に陥って身動きがとれない場合に言う、何とも割切れない意味の逆轉です。






posted by 國語問題協議會 at 20:55| Comment(0) | 中谷信男